門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

櫻井翔を語るあらしっくになれなくて

櫻井翔を語れるあらしっくになりたいと思う。
でも、やっぱり"ときめきはときめきのまま 野に咲く花であればいい”とも思う。


翔さん、この世に生まれてきてくれてありがとうございます。



翔さんを語ろうなんて、にわかあらしっくの私には恐れ多すぎるのかもしれませんが、多分私はそうではなくても翔さんを語ることはできないと思う。私が翔さんを好きな気持ちと、嵐を好きな気持ちってちょっと違うから。たぶんこれから先、翔さんを語れるあらしっくになれるほど、翔さんのことを知れないと思うから。




翔さんは好きだし、嵐も好きだけど、嵐の中の翔さんってあんまり興味がない。
櫻井翔という一人の人間には興味があるけど、それがアイドルとしてどうとか、自分のアイドルヲタク的な琴線に触れているいないということになかなか繋がらない。誕生日を祝うエントリにこんなこと書くなよ、と思うかもしれないけれど、これはこれで私の翔さんの愛し方なのです。



長く山田くん担当としてJUMPを応援している自分としては、Jr.時代を知ってるわけでも、デビューから熱心にグループを見てきたわけでもない嵐や翔さんへの気持ちはやっぱり山田くんやJUMPとは全然違うものだと思っていて。「理想の息子」というドラマの中でのあるセリフが、両者への気持ちを分けていると思う。

苦労して育てて、ときどき、うんざりして。それでも、うれしいことがたくさんあって、アルバムの写真がどんどん増えていく。その、思い出の数が、たくさん貼ってあるアルバムの名前が 、“母性本能” っていうんじゃないのかなあ

例えるなら、JUMPは我が子*1、嵐は旦那って感じ。
もしかしたらずっと連れ添うことになる相手なのかもしれないけど、結局赤の他人でしょって割り切れちゃう。燃え上がるような恋も冷めたらとことん冷え切るみたいな。(なんか詩人っぽいw)




自分で何を言っているかよく分からなくなってきたのですが、JUMPの中の山田くんを見るように、アイドルとしての山田くんを見るように、翔さんのことは見れなくて。でも、普通にファンとしての感情もちゃんとあって。カッコイイ、可愛いって沸ける。でも、それと同時に翔さんには普通の一人の人間としての幸せも経験してほしいとか思ったりするんですよね。それが結婚であったり恋愛であったりするんだけど。山田くんには結婚も恋愛も良いけど、アイドルとして守るところは守って、と思っちゃう。




語らないとか言っておいていろいろ書き連ねてしまいましたが、JUMPや山田くんみたいに、あれこれ語ろうなんて思いません。あれこれ希望や夢を抱いたり、そういうこともない。私が嵐や翔さんを好きになったのは、希望や夢を叶える過程じゃなく、その結果をはっきり見せてくれていたからだから。



私は、未来も昔も知らないし、遠い距離のままでいい。
でも、何かを見て、何かに影響されて、何かを食べて、何かを感じて・・・今の翔さんがあって、何らかの過程を踏んだ結果である今を私が好きになったなら、そのすべてをたとえ知らなくても、肯定したいと思うから、翔さんに吹いている爽やかな風も、翔さんの思考回路も、今私が見てる翔さんも、全部全部そのままでいいと思うのです。


校庭の楡の木陰
リルケの詩集をめくり
唇が動いている
君は今 胸の奥に
どんな悩みを抱えて
そよ風に吹かれるのか?


遠くから
気づかれず
そっと守ってあげたい
眼差しは
君を暖かくするよ
太陽


恋を語る詩人になれなくて…
言葉を飾るより
無口な僕でいる
恋を語る詩人になれなくて…
ときめきは ときめきのまま
野に咲く花であればいい



恋を語る詩人になれなくて/SKE48teamS)

翔さんよりも一回りも年下のわたくしがよくもまあ、ここまで偉そうに申し訳ないです。
神様のカルテ2」楽しみにしてます!!!JUMPともいっぱい共演してくださいお願いします!!!


32歳のお誕生日、おめでとうございます。

*1:だからモンペなんて言われるんだよ