門限の9時

この世界は待ってくれない

中島裕翔よ、今からでもいい、嘘だと言ってくれ

私は怒っている。
おい、中島裕翔、お前何してくれてんだ。

 


仲のいいJUMP
これからも8人でやっていこうと全員が思っているJUMP
同じ方向を向いて20周年に向けて進んでいるJUMP


を、よくも崩してくれた。

 

 


a-nationを3日後に控えて、打ち合わせもしているような発言もしていて、舞台も終えたばかりで、写真集のイベントもあるのに、発表日付の卒業って、そんなことが起こっていいのか?

 


百歩譲って不祥事ならまだ仕方ないと思えるのに。

 

 


不祥事ではないのに、別れの猶予も与えられないなんて、円満ではないことの証拠じゃないか。


こんなにも不義理な方法で済ませようと、彼とグループとその運営がするというのは何か事情があったに違いない。


事情があるなら説明してもらないと。

 

Hey!Say!JUMPの最大の魅力である8人横並びを崩したことに対して裏切られたと感じてしまうし、何よりそれを崩す決断をした裕翔くんにどうしても行き場のない想いをぶつけたくなる。

 

 


昨今の芸能界は独立・移籍ブームである。
芸能事務所の勢力図や役割、働き方が変わってきている証拠なのだろう。


そんな中、我がSTARTOエンタテインメント所属タレントもさまざまな選択をできるようになった。


「俳優業に専念したい」「個人の仕事を精力的にやりたい」など、今回と同じような理由でグループを抜けたタレントは他にもたくさんいる。

Hey!Say!JUMPにも前列がある。

 

 


だが、今回の発表で誰もが思ったことは
結婚もゲーム事務所との契約も、架空のアイドルに扮した盛大な茶番で舞台をすることだってできるHey!Say!JUMPというグループで、俳優業に重きを置くことができないわけがないということ。

 

 


「個人の活動をしてもグループという帰ってくる場所がある」と全員が共通認識として、同じ想いを持っているからこそ、個人の希望が尊重される環境なのだとばかり思っていた。


つまり、捨てられるほど悪条件なグループではないということ。

むしろ、風通しがよく、働きやすい職場でしかない。

 

 

 


それなのに、言い方は悪いけど裕翔くんはグループを捨てた。
いつかはグループを離れるつもりだったのかもしれないし、Hey!Say!JUMP自体もいつかは終わらせようと思っていたのかもしれない。

 

 


でも、こんなふうに仲間を失うことの悲しさや不条理さはないよ。


せめてFC動画を出してよ。
せめて最後にいい思い出をちょうだいよ。
アイドルとしてのパフォーマンスを目に焼き付けたり、8人での思い出を作る時間が欲しいよ。

 

 


そうだよ、俳優業に専念するということは、
「アイドル・中島裕翔」としての物語が終わってしまうということだ。

 


私はこれが、何より受け入れ難い。

 

 

 


アイドル・中島裕翔の魅力は、エンタテインメント力とサービス精神を惜しむことなく発揮したパフォーマンスと目を引く美しさで、担当ではない人間からしても、とにかく愛おしさや好感を持てるところだ。

 


「アイドルだ」「芸能人だ」と素直に感動してしまうような煌めきを纏う世界がとことん似合う人なのだ。

 

 

 


そして、中島裕翔という人の最大の魅力は「人を応援したいという気持ちにさせる何かを持っている」ことだと思う。


ハンサムなお顔やスラッと目を引くスタイルや演技だけでも、日本アイドル界、いや芸能界のレベルを押し上げる国宝級の逸材なのだが、彼のことを応援している人間からすると、ビジュアル以上に彼の内面、人間性、感受性、強さや弱さにひたすら魅了されているのだ。

 


明るく社交的でオープンなキャラクターに見えて、超がつくほど繊細で神経質な部分もあり、素晴らしい才能を持っているのに、なぜか自己評価が低いし、なぜか自信がない。

 


そして、なぜかずっと幸せになってくれない、そもそも幸せになろうとしていない。


常に何かに悩み、何かを抱え、迷い、拘り、自分と戦っている。

 

 

そんなふうにしながら、大人になったという生き様が大好きなのだ。

 

 


だから、私たちが幸せにしたかったんよ。
だから、これからも応援したかったんよ。

 

 

 


Hey!Say!JUMPにいるのが一番幸せに決まってるんだよ。

裕翔くんを一番幸せにするのはHey!Say!JUMPしかないんだよ。

 

 


機微、風情、侘び寂び…そんな曖昧な絶対値のない人間の感性を震わすのがアイドル中島裕翔の魅力なのだ。
2次元やAIを持ってしても、中島裕翔のようなアイドルを創り出すことは未来永劫絶対に出来ない。


だから彼はアイドルとしてこんなに輝いていたし、愛されていたし、アイドルを辞めてしまうことを心から惜しいと思う理由なのだ。


「勿体無い」とかそんな程度じゃない。
何か大事な物を失った感覚というか。

 

 

 


そうだ、血だ。


私は昔からここのブログでも、「Hey!Say!JUMPとは中島裕翔の成長のことである」と言ってきた。
エース・センターは山ちゃんだけども、Hey!Say!JUMPの主人公はずっと変わらず裕翔くんなんだよと思い続けて来た。


だから、山田涼介がHey!Say!JUMPの顔だと言われるのなら、中島裕翔はHey!Say!JUMPの精神であり血のような存在なのだと私は思っている。

 

 


Hey!Say!JUMPスピリッツを言語化するなら、いついかなる時も「喜び悲しみ受け入れて」ファンの前に立つことだし、10代でデビューを果たし、大人になるまでの大事な時期を芸能界に身を置き、メンバーと共に過ごし「いつだって空を見上げて明日の自分探してた満たされない足りない何かを知らないまま」に他者との関わりの中で、自分探しと自己表現を追い求め続ける旅だ。


裕翔くんのいないHey!Say!JUMPなんて、血を抜かれたと同然だ。

 

 

 


裕翔くんって欲張りなんだよなあ、結局。


これだけ天賦の才能があって、おまけに器用で運動神経も良いとか恵まれすぎにもほどがあるのに、「もっともっと」「まだまだ」って思い続けてさ。

でも、そんなところが裕翔くんの魅力であり、それが彼のプロ意識の高さの根源なんだよな。

 

 


「JUMPの中でも山田と裕翔は振り覚えが早い」「2人がレッスンの志気を高めてくれる」

と言ったような発言をメンバーがしていたこともあって、JUMPの中で山ちゃんと裕翔くんは特にプロ意識が高く、パフォーマンスに妥協しないメンバーとして認識されていたが、今思えば2人のプロ意識の矛先は真逆だった。


山ちゃんは周囲のため、ファンのためという意識が強いタイプで、裕翔くんは自己成長という意味合いが強かった。


どちらが良い悪いではなく、どちらも必要なモチベーションなのだが、私はHey!Say!JUMPのファンとして、Hey!Say!JUMPの中島裕翔という人間が、自分で自分を認めて褒め称えてあげられるようになるまで追いかけ続けられるものだと勝手に思っていた。

そんな未来を楽しみにしていた。

 

 

 


愛されること、必要とされることにとても強い憧れのある人で、自分がどんな肩書きや立場で語られるのかを気にするところもあって、強固な他者評価を貰い続けたい人だと思っていた。


だから、愛されていたし、応援したいと思えた。
裕翔くんが欲しいものファンなら全部あげられる、ファンが全部あげられる。
そう思って来たけど、きっと裕翔くんはそうじゃなかった。


いくらファンに愛されて応援されて評価されても、メンバーや共演者に評価されなきゃ意味がないし、形にならなきゃ満足しないし、自分のしたことが全部自分に帰属すると思っているし、自分がどれだけ自分以外の人間にプラスの影響を与えて来たか自分が一番分かってない。

 

 


くそう。

だから、ずっと応援したかった、ずっと支えたかった。


ファンが裕翔くんの欲しいものを与えられる存在になれないのなら、じゃあ裕翔くんが欲しいもの目指すものが手に入るまでの道中、気持ちが上がったり下がったり、自信がなくなったり、不安になったりするときに、支えになれたらよかった。Hey!Say!JUMPが、Hey!Say!JUMPのファンが裕翔くんにとってのそういう存在でいたかった。

 


だから、「Hey!Say!JUMPとは中島裕翔の成長」なんだよ。

 


グループが、裕翔くんの仕事や作品に対する想いや葛藤や反省やその他諸々の思考の変遷や感情の動きを持ち帰って来てくれる場所だったということで、それがあったから、裏の気持ちを隠しがちな根っからのアイドルメンタルなHey!Say!JUMPが感情の起伏のある、ドラマのある、人間味のあるグループになれたと私は思っている。
いつだって自己開示の中心は裕翔くんだった。


そんな存在がいなくなるのは痛い。辛い。
そんな裕翔くんだからグループにいることが甘えだなんて思って、旅立つ決心をしたこともなんとなく分かる。

 

 


今の裕翔くんの活躍は、紛れもなく裕翔くんの努力や悩みもがいた青い時代が作り出したものなんだけど、そんな裕翔くんを支えて来たのはHey!Say!JUMPとそれを取り巻くファンだということは間違いないのだから、やっぱり今回の決断や発表の内容は、置いてけぼり感が否めないし、勝手だ。

 


いつかグループを離れる予定だったとしても、絶対に今じゃなかった。
20周年まで使うペンライトも販売したのがつい去年のことじゃないか。
20周年に向かう気持ちに嘘がなかったのなら、こちらの気が収まるような言葉や機会がやっぱり欲しい。

 


舞台が終わって、一旦次の作品で公表されているものはなくて、出演が決まっていたフェスもあった中で、すぐにグループを抜けなくてはならなかった理由がそれこそ不祥事しか思いつかない。

 


いつも言葉を尽くして、アイドルとしても組織としても分別のある対応をしてきたHey!Say!JUMPが、大事なメンバーの脱退をこんな形で発表することになってしまった状況が信じられないし、大好きなグループで、よりによってまさかこんなことが起きるなんて、予想もしていなかったからこその衝撃であることは間違いない。

 

 


事務所や他のグループでいろいろあった中でも、変わらないよという姿勢で居続けてくれたHey!Say!JUMPに安心感を覚えたのは私だけではないはず。
去年のツアーでも「8人でJUMPとして歩いていく」という旨の発言をメンバーがしていて、おまけに涙ぐんでもいたということで、信用しきっていた私は「この幸せがずっと続けばいいなあ」と思っていた。

 

 

 

 

このとおり呑気な平和ボケJUMP担の呟きがこちら。

 

KAT-TUN解散発表時

 

▼タイプロ5次審査視聴後

 

 

▼カウコンの感想


 

▼「eek!!」MV公開後

 

 

 


ずっと続くと信じて疑わなかったからこそ、堪えた今回の発表。


そりゃそうだ、「この幸せがずっと続けば良いのに」が一番難しいんだ。
このまま8人揃って、8人に負担のないペースでグループ活動して、個人仕事もしたいことだけして、プライベートも叶えてもらって、このままを願うことがファンとして最も現実的で控えめな希望だと思っていた。


そうじゃないと叶わなかった時に悲しいと思ったし、私ももう30歳を超えて家族もできて、疲弊するほどの熱量で推し活ができないことは分かっていたので、出来るだけ悲しくない、辛くない推し活をしたいからこそ、JUMPを応援することは負担が少なかったし、私にとっては心地よくファンが続けられると思っていた。

 


「8人でずっとJUMPとしてステージに立って欲しい」ただ、それだけだったのに、それすら叶わなかった。
実際に夢が途絶えて一番に思ったのは、多くを望んでいたわけではないけれど、難しいことを望んでしまっていたんだということ。

 

 

 


発表当日はやっぱり怒れたけど、数日経った今は、裕翔くんのことを思うとひとりで落ちていないかな、なんて考えている。

すっきり楽しく過ごしていて欲しいとは思えないけど、落ち込んで塞ぎ込んでいませんようにと思った。

 

自分で抜けるって決めて落ち込んだり塞ぎ込んだりするのもよくわからんけど、裕翔くん自身も思ってもみなかったタイミングだったかもしれないなとか思ったりして。

 

 

 

 

a-nationの生配信は観ることができなかったけれど、7人のステージについては人伝に話を聞くことができた。

 

どんな表情でステージに立つのか、今回の件について何か言及があるのか、気になっていたけど、プロすぎるほど何事もなかったようにステージに立っていたようだ。


Hey!Say!JUMPを詳しく知らない人にも楽しめる王道なセトリも相まって、キラキラアイドルを全うしてくれていんだ。

 

 

こんなことがあっても笑顔でステージに立てるって一体、どんなメンタルしてるんだ。

まじで20年選手になると、メンタルの落ち着き方がエグい。

平成のアイドル戦国時代生き抜いて来ただけあるわ、やっぱ。

 

それだけでも充分関心するレベルなのに、JUMPで居続けてくれる7人に感謝。

 

 

私にとってHey!Say!JUMPの主人公である裕翔くんのいないHey!Say!JUMPを応援できるのかめちゃくちゃ不安だったけど、a-nationでのプロ意識を知って、とりあえず最低20周年まではHey!Say!JUMPのことを全力で応援したいと思った。

本当に頑張って欲しいと心から思う。

この先幸せなことだけあってほしい。

 

 


裕翔くんの脱退は納得できないし、こんな抜け方に怒りしかない。
でも、前を向いたJUMP7人の想いを汲み取ろうとすると、ひとりにひとりの顔が順番に浮かんで、それぞれに「この人がいるからJUMPは大丈夫」と思えた自分がいた。
それは、それほどメンバーひとりひとりを信用しているということだ。

 

 


じゃあ、裕翔くんは裏切り者なのかというとそうではない。


そうではないけど、理由はどうあれ、こんなに素敵なグループを離れるという決断をする価値観の人で、伝え方によっては背中を押したくなる正当な理由なのに、猶予もなく3日後にステージに立つ仕事があるにも関わらず、即日発表なんて不義理な形で離れてしまう決断を良しとしてしまえる人だったんだと思ってしまう。

 

 


そう思えてしまうけど、それもこれもやっぱりHey!Say!JUMPにとって中島裕翔の存在がデカすぎてデカすぎるから。

Hey!Say!JUMPらしさの大根底になる存在を欠くという損失ばかり考えてしまっていた。

 

 


でも、日を置いて7人でも変わらず穏やかに他者に優しく、前を向いて歩くHey!Say!JUMPを見て、裕翔くんにヘイトを向けてしまうのは「Hey!Say!JUMPに裕翔くんが必要だ」「裕翔くんのいないHey!Say!JUMPはHey!Say!JUMPのようでHey!Say!JUMPではないなにか」だと信じる私自身の気持ちを落ち着かせるために過ぎないことに気づいた。

 

 


この先もずっと裕翔くんを憎み続けるのか?
この先もずっとHey!Say!JUMPの悲劇を悲劇と思い続けるのか?

 


そうはしたくない。


そう思ったら、すっと何か整理されたような気がした。

 


裕翔くんを欠くことを惜しみ続けることなく、裕翔くんのいないJUMPに慣れることもなく、この先ずっと心のどこかで「ここに裕翔くんがいたらなあ」と思うのだろうと思う。

 

 


裕翔くんのために、裕翔くんはグループに居た方がいいと思っていたけど、結局、ファンの知るアイドル本人の姿こそ完全なる虚像にすぎないのだ。

 

 

私は裕翔くんのこともHey!Say!JUMPのことも何も分かっていなかったんだと思う。

 

 

 

 

切ないね。

推しの方からアイドルという仕事を手放してグループ活動を諦めてしまうことほど悲しいことなんてないよ。

 

 

今からでもいい、お願いだ、嘘だと言ってくれ。

 

 

 

元山田担が見た山田涼介の到達した世界【「Ryosuke Yamada LIVE TOUR 2025 RED」感想】

 

 

 

※終演後の勢いすぎて終始意味わからない文章です、悪しからず(苦笑)

 

 

 

 

Hey!Say!JUMPを結成当初から応援している私は、元々山田担だった。山田担を8年ほどしていた。
このブログを始めた頃も、もちろん山田担だった。

 

 

山田涼介という自分と同い年のアイドルを好きになるのは必然だったのかもしれない。
彼が中学1年、2年のときに出演したドラマ「探偵学園Q」はクラスの女子全員が観ているほどの人気だった。同時期に結成された旧Hey!Say!7も女子中学生の心を掻っ攫っていった。彼らの「Hey!Say!」「BONBON」という楽曲が、人気アニメのOP&ED曲となったことも相まって、アイドル好きのみならずアニメ好きにまで彼らのことが浸透していた。
Hey!Say!JUMPとしてデビューしても、10代女子への刺さり方は凄まじく、バレーボールのサポーターとしてリリースしてきた数々の曲は、あの頃教室で誰かが口ずさみ、カラオケに行けばその場にいる全員で踊って盛り上がった。
例に漏れず、私もそんなふうに山田くんを知り、Hey!Say!JUMPのファンになった。

 

 

そんな風に10代から支持されてきたHey!Say!JUMP。
当時、嵐が売れに売れまくっていたという背景があったことを踏まえても、若い平成生まれの彼らの健闘ぶりは見事だったと思いたい。

 

 

 

 


その中でも、みるみるグループ1番人気になり、同世代アイドルのトップを走るようになったのが、我らが山田涼介だった。
メンバーの中島裕翔とのセンター交代劇は、今なお語り継がれるほど衝撃的な出来事だったことに変わりはないのだが、長く山田担をやっていた私からすれば、センターになったあとの山田涼介の活躍の目覚ましさのほうが凄かった。

中島、知念、有岡と4人で主演を務めたドラマ内では、主人公が中島裕翔の演じる役でありながらも山田涼介の役の見せどころが多かった。
その後、弱冠15歳の彼に次々と単独主演の話が舞い込み、あれよあれよとグループのセンターや主演俳優の看板を背負わされる期待のホープになった。古畑任三郎金田一一といった歴史ある役や作品がこぞって彼を真ん中に据えた。

 

彼と同じく10代だった私は、当時は露出があるというだけでとても嬉しかったし、供給される全てを味がしなくなってもしゃぶり続けるかのように堪能し尽くしていた。

 

 

けれど、今なら思う。
グループの売上やドラマの視聴率、CMスポンサーとのしがらみ、アイドルとしてのイメージ、主演・座長としての気配りや振る舞い…などなど。
大人でも気が狂いそうになるほど重い責任や重圧を、10代の山田涼介は背負っていた。大人が簡単に背負わせていた。


さらにNYCとの兼任や学業との両立。
そしてソロデビュー。
人気や活躍の代わりにどれだけ自分自身を削り消耗し、プライベートや青春を犠牲にしたことだろうか。
想像しただけで胸が痛い。

 

 


それでも、山田涼介はキラキラアイドルとしてステージに立ち続けてきた。しかもどセンター、第一線、誰もが憧れるキラキラのスター街道を走り抜けてきた。
同じ事務所のタレントからも一目置かれるような存在で、同じグループのファンでさえ全員が全員温かかったとは言えない時代や場面もあった。
時に孤独を抱えていただろう、時に投げ出したくなるほど苦しかっただろう。
そんな山田くんは、どんなに大人になるのだろう、10代の日々が傷にならないだろうか。
人気が出て忙しくなることは、ひとりの人間・山田涼介の人生にとっては幸せなんだろうか。
そんなふうに山田くんを見るようになった。

 

 


気がついたら私は、山田涼介にとにかく想いを馳せて、とにかく心配する山田担になってしまっていた。
全媒体をチェックし、彼の発言内容、表情、声色、言葉の選び方、抑揚から、彼の思考を想いを深読みをした。恐ろしいほど独り歩きする彼の活躍ぶりを見て、グループから彼が遠ざかってしまうのではないかと感じて怖かった瞬間もある。そして、それは彼の本意ではないような気がして、余計に心が苦しくなった。

 


だから、私は
「山田くんの真意を誤解なく受け取るファンだよ」
「あなたの気持ちをよくわかってるよ」
「あなたの活躍を応援してるよ」
「山田くんのことが好きだよ」
と、山田くんが悩む時、迷う時、いつだって言ってあげられるファンになりたいと思った。

自分自身の言動で、影響力で、ファンがどう思うかを考えて、窮屈になって苦しそうな山田くんを見たくない、ビジュアルの変化や作品の盛り上がりで離れていったり戻ったりするようなファンとは違って、いつも変わらずここで山田くんのファンをやっているよと言えるファンになりたい。
その一心だった。

 

 


山田涼介という人間は、確かに才能があるし、人気がある。
その一方で、本当に普通の人で、普通に良い子で、素朴で飾らず、闘志とガッツは人一倍あるけど、それ以上に協調性の塊だし、結果や成果を出すまでやり切る負けず嫌いで努力型の人だ。
そして、大真面目で素直で正直で、優しいところもある。
お姉様と妹様に挟まれた間っ子のパーソナリティが強すぎて、配慮と気遣いだって息をするようにする。
演出やパフォーマンス、身体作り役作りにはストイックで、プロ意識も高いが故に、譲れないところは譲らない頑固さもある。


山田くんは、熱狂的な人が多い彼のファンに対しても、誤解のないように、思いがけないところで火が立たないように、でも自分を曲げて機嫌を取るわけではない、そんな振る舞いをしていたときもある。

 

すり減ってないか?山田くんは幸せなのか?
私は山田涼介というアイドルそして人間が大好きすぎて、山田涼介のファンでいることが辛くなった。山田くんの心配をしすぎて自分の生活がままならなくなった。

 


それだけが理由ではないのだけど、
それもかなり大きな理由で、山田担を辞めることにした。

 

 

 


今年で山田担を辞めてから10年になるみたいだ。
山田担を辞めたとはいえ、私は今日まで変わらずHey!Say!JUMPを続けていて、グループのメンバーとして山田くんのことを見てきたつもりだ。しかし、山田担としての熱量を無くして見ると、さらに山田涼介の凄さや魅力が分かるなと感じたのも、山田担を辞めてからだった。
自分なりの山田涼介像を持つことを辞めたからこそ、みんなに愛される超人気アイドル山田涼介の良さに気づけた。

 

 


そんなタイミングでのソロ活動だった。
これを読んでくださっている方の中で、私と同じように2013年ごろに山田担・JUMP担だった方がいらっしゃれば、共感して頂けると思うが、かつて「山田涼介のソロ活動」というワードは、取り扱いに注意を要するものだった。


ソロデビューが発表された当時に心を支配した嬉しさだけではない、複雑で少しほろ苦いような気持ちが、2025年の今でもふと蘇り心にトゲを刺すことだってあるほど、慎重になるトピックだ。

 

 

 

2013年、20歳を目前にしたソロデビュー。
山田担だけではなくHey!Say!JUMPのファン、事務所のファン、山田くんを好きな人が全員楽しみにしたが、本人はとにかく「嫌だった」「最初で最後」「1人のMV撮影は寂しい」と静かに抵抗する様子だった。


後日談として、仕事量や仕事内容が本人の意向と乖離しすぎて事務所を辞めようと思ったというような主旨のエピソードを聞き、「山田くんのソロ曲が増えるのは嬉しいが、なぜHey!Say!JUMPじゃダメなのか」をぐるぐると考えていた自分と同じだったのだなと報われた気がしたほどだ。

 

 

 

 


そこから12年の年月が流れた2025年。
アーティストRyosuke Yamadaの活動が始動した。
デジタルシングル2作に続いて、ソロアルバムにソロアリーナツアー。

 

もう、文句を言う者は誰もいない。
むしろ文句なしに心から喜ばしいニュースだった。
それでも、彼は今回ソロ活動することになった経緯を語る際に、2013年の頃の自身の気持ちや状況からの変化を有耶無耶にすることなく、そしてまたファンに最大限の配慮をするかのように語った。

そういうところが昔から変わらない彼らしさだと感じた。

 

 

 

グループのツアー同様のツアー日程と公演数にも関わらず、チケットはそう簡単には取れなかった。

当初の申し込みに落選し、プレガイでもチケットが取れず、山田担ではない自分はお呼びでないのだなと諦めたが、公演直前に制作開放席で当選することができた。

 

 

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山田担だった頃は、私自身も10代だったこともあり、本気愛のファンと一緒くたにされたくないという捻くれた考えでメンバーカラーなんて絶対に身につけたくなかったし、うちわもファンサもいらなかった。

でも、今回は久しぶりに山田担になりたいと思えた。
手持ちの服から探し出した赤に服を着て、山田くんのうちわを持って、ワクワクしてルンルンしながら会場に着いた。

 

 

明かりが落ち、開演すると一気に赤色に染まる見たことのない景色が広がった。


美しさや歌と踊りの巧さは言わずもがな、山田涼介の空気感や生き様、歴史…アーティストとして人間として、どのようにここまで生きてきて、どんな"居方"をしているのか、全部が詰め込まれていた。言葉での説明がなくても感じ取ることができて、とても嬉しかった。
最前線で向かい風を全身で受けて息もできなかった10代から、少し自分本位に興味やアンテナの向くものを伸ばし熱中した20代と、山田くんはいつだって全力で駆け抜けて来たからこそ紡げた歴史があると感じた2時間だった。

 

 

 

「ああ、山田涼介はついにこんなところに到達してしまったのか」と思った。
振り返れば、山田くんはいつだって山田くんらしくそこに居たかった人だし、そう居られるようにもがいてきた人だ。
でも、こんなにも自然体でいながら、最高峰のエンタメを体現することだってできる。何も無理していないのに、極上の空気感を作ることができる。
山田くんが歩んだ道全てが今の山田くんを作って、全てに意味があったんだと思えた。


山田涼介という人間が大好き過ぎるが故に離れたけれど、やっぱり大好きだし本当に凄い人だと思えた。

10代の頃からプロ意識が高くしっかりしていた山田くんだけど、やっぱりどこか幼いところもあった。その幼さがなくなり、成熟した良い大人になっていた。

 


「これどっかで見たな」
「これはあの影響を受けているのかな」
「山田くん最近こういうの好きだもんな」
みたいなものが一切ない、正真正銘山田涼介の産み出したエンタメだった。
これまで全てを背負って来た人が全てを解放して、そこに立っていた。

 


ファンが、私が、どんな種類のどんな形の愛情や矢印やエネルギーを飛ばそうとも全部受け入れてくれる。
そんなタフさや余裕が見えた。

 

 

若い頃は「これが自分なんだ」「本当はこう考えている」を、誤解されないよう言葉を選んで伝える彼だったが、そんなことをしなくても良いと思えるようになったのか、ファンの山田くんの解像度が上がったのかは分からない。

でも、1人ステージに立つ山田くんは、Hey!Say!JUMPの山田涼介とも違う、より素なんだけど、よりアーティスト・表現者としてのプロフェッショナルを感じる。

だけど、何かを伝えたい表現したいというよりかは、「この時間だけは嫌なことを忘れて楽しんで欲しい」というファンファーストなアイドルマインドを持って佇んでいてくれる。

 

 

 


自分でも何を言っているのか全然分からなくなってきたけど、過去も現在も未来も山田涼介がアイドルの羅針盤であり模範解答で、天下というわけ。
来る者を拒まない、愛を拒まない、アイドルとして愛されているという自己肯定感が高い。

背負って戦って傷ついて、でも美しい、至高であり極上である。

これぞ、スーパースターだ。でもスーパースターという言葉じゃ、やっぱり語り尽くせない。

 

 


山田涼介が辿り着いた到達点は、山田涼介の完成形でありながら余白のある世界だった。
こんなところに来たんだ。
本当に今までよく頑張って来たよ。よくぞ頑張って来てくれた。
推しがいつ表舞台から姿を消してしまうか分からないこの時代に、次はどんな姿を見せてくれるんだろうとワクワクさせてくれるなんて。独立ブームの昨今に、グループもソロもお芝居もバラエティもSNSもやりたいこと全部できる環境に居てくれるのがどれだけ凄いことか。
それは、これまで山田くんが、たくさん頑張ってきたからで、それを周りのスタッフやメンバーもファンもよく分かりすぎているからで。
山田くんの歩みがなかったら、こんなにも奥行きのある今になっていなかったと思うと尊くて、大切にしたいとのだけど、何をどう大切にしたら良いのかわからない。

 

 

 

山田くんのことになると、私は本当に…気持ち悪いな!!!(語彙力)


とにかく、こんなに素晴らしい景色を見せてくれてありがとう!!山田くんがアイドルとして生きる世界線に居られること、同じ時代に生まれ生きられていることを心から嬉しく思ったソロコンでした。


1人で歌って踊ってMCをして…時に1日2公演もあり…ドラマもやりながらで、相当なハードなツアーかと思うけど、元気に怪我なく完走できますように!!

幸せな時間をありがとうございました。

 

 

 

 

 

 


P.S.

以下、具体的な曲名や演出について触れますので、ネタバレ注意。行く方は絶対にセトリも見ないことをお勧めします。

 

 

 

 

昔の曲もやるのだろなとある程度予想していたものの、「パフューム」はさすがに予想外で、イントロが流れた瞬間腰が抜けた。脊髄反射で、鳥肌が立って、血が疼いた。

当時の少クラの映像、ファーストコンの映像がフラッシュバックして、14歳の山田くんの声が脳内で重なって流れた。
VHSに録画した映像を何度も何度も繰り返し観ていた14歳の自分を思い出したというか、14歳にタイムスリップしたようだった。あの時からずっと同じ時間軸の上にいて、あの時の延長線が今なんだ。あの時からずっと私はHey!Say!JUMPが好きで、山田くんもHey!Say!JUMPとしてずっと私たちの前に立ち続けてくれていたということだと思うと、勝手に涙が出た。
山田涼介とHey!Say!JUMPは、確実に私の血肉になっているのだと痛感した。

 


昔の山田担は、同担拒否や熱狂的なガチ恋が多く、さらに母数も多いので、嫌悪感を抱く他担も多かった印象だった。
度を超えた応援をするファンも多くファンマナーと治安の悪さにも定評があった(不名誉すぎ)。
そのため、かつての山田くんは、自身がファンから恋愛感情を抱かれる存在であることを弁えた言動を常にしていたが、今回会場にいたのは文字通りの老若男女だった。
彼のゲーム配信やドラマ・バラエティ、諸々の活動を通して、幅広いファン層に支持される存在になったことを実感した。
それもあってか、MCの進め方やファン対応も友達のように親しみやすい雰囲気にだったように感じた。
アイドルとしても俳優としても頂点に君臨し別格な存在としてのイメージを確立させ、一方で可愛らしく親しみやすい雰囲気や好きなことをプロレベルまで極めるマニアックな気質で敷居を下げる。

芸歴約20年で、恋愛対象から友達になりたい親しみやすい存在へとファン層を移行させてきたイメージチェンジが自然すぎるし、ブランディングがまじで素晴らしい。

 


何をやっても山田涼介らしくなるな。
オープンAI?プラットホーム?フリー素材か??(良い例えが出ない)
ここまで「山田涼介」というジャンルを作り上げたセルフプロデュース力の高さに脱帽。
そして、山田くんは魅せ方が上手い。

いや、魅せ方が上手いというよりかは、もちろん上手いんだけど、「どんな山田涼介を魅せたらファンが喜ぶかを察知する能力」とそれを具現化するために「引き出しを使いこなす能力」が高すぎる。昔からだけど。
しかも、持ってる引き出しが生まれ持った才能(音感、歌心、体力、運動神経、体幹の強さ、演技力、表現力)と努力に美貌に良い性格という…もう誰も敵うわけがない。

 


苦しかったこともあっただろうに、こんなに健やかにスレることなく真っ直ぐに、お高く止まらず変に庶民離れしすぎず居られることから察するに、10代の多感な時期にご家族の献身的な支えがあったんだろうな。
あったかい愛情たっぷりのご家庭で育ったから、山田くんはお仕事を続けられて来たんだろうなと、ご両親・ご姉妹・ペットたちにも敬意と感謝。
そして、なんだかんだ身近なスタッフも良い大人が多かったのかもしれない。今も昔も事務所の内情は知らないが、Hey!Say!JUMPを大切にしてきてくれたスタッフがたくさんいたからこそ、エモい演出や作品を生み出すことができるのだと思った。


歌踊りのクオリティはハイレベルな山田くんにしかできないセトリ。終盤の主演作品主題歌メドレーも、一部分ずつとは言え、莫大な曲数を1人で歌うにはさすがに歌いきれない部分もあったが、無理せず歌わない選択肢を作り、なんならファンに歌おうと委ねる場面を見て、1人で背負い込みすぎていた山田くんはいないんだな、周りを誰かを頼って、程よく力を抜きながらできているんだなと嬉しかった。

 

 

あと、やっぱりHey!Say!JUMPは他のメンバーもまじで人格者。

デビューから今まで、誰1人としてメンバーのことを妬んだり、そういった感情をモチベーションに変えているような素振りを見たことがないというのが凄いと思う。

山田くんのソロ活動を応援して寄り添えるのが本当に凄いと思う。普通だったら人気や才能に嫉妬しちゃったり、自分もソロコンしたいとか欲や我が出ちゃったりしそうな気がするけど、そういうのがない。

個々に感じていることや内に秘めているものはあるだろうけど、外に出さないのがまじですごい。Hey!Say!JUMPって本当にみんな性格良い。最高のグループすぎる。

そして、その最高で大好きなグループに山田涼介というスーパースターがいるの強すぎる。しかも、全然山田頼みじゃなく、知念くんもいる有岡くんもいる、高木くんも、薮くんも、伊野尾くんも、光くんもいる、裕翔くんもいる、、、、、強すぎん??出来ないこと何もないじゃん。

山田くんのソロコンがまたメンバーにも良い刺激になるだろうし、もうすぐ20周年でまだ最年少が30代前半って…まだまだこれからすぎるだろ…Hey!Say!JUMPの未来眩しすぎる。

 

 

 

 

 

 

最後オタク全開ですみません。締め方がわからないです。私からは以上です(え)

 

 

 

 

 

 

 


P.S.②

久しぶりの投稿になり、ご無沙汰しております。
自担である八乙女光くんが結婚した際に必ずブログを書こうと思ったものの書けていません💦山田くんのソロコンの記事が先になって光くん本当ごめんなさい。
取り急ぎお伝えすると、自担の結婚は、「結婚おめでとーー!!まじで嬉しい!!お幸せにー!!!」という感じでとってもとっても嬉しかったです。
また必ずブログを書きたいです!!!

そのときはまた遊びに来てくださいね!!!

 

 

 

Hey!Say!JUMPと15年

 

親愛なるHey!Say!JUMPの15周年という記念すべきタイミングに、久々のブログ更新を企てていたが、数ヶ月の間、良い書き出しが思いつかずにいた。
当初、結成日の9/24に投稿しようという計画だったのに、到底間に合わない。気づけばデビュー日をも過ぎた。


15年を数ヶ月でまとめられるわけがない。
15年はとても長い。若くしてデビューしたHey!Say!JUMPの15年はとても長く貴重でもあった。
 

 

 

 

 


Hey!Say!JUMPのアルバム「FILMUSIC!」の発売と収録曲が発表されたとき、クレジットの中で最も興味を引いたのが、「秋元康」の文字だった。

久しぶりの馬飼野楽曲に、秋元康の詞がついた曲をJUMPが歌う。
思ってもみなかったような、でも心のどこかで空想していたような、なぜこのタイミング!?と疑問に思うような、でも古き良き正統派アイドルを踏襲するグループについに訪れたタッグだと納得するような、不思議な気持ちになった。


曲のタイトルは「人力飛行機」。
なんと昭和臭い。いや、漂うレトロ感(汗)。
秋元康がどれだけHey!Say!JUMPを知っているのだろう。Hey!Say!JUMPの楽曲にどんな言葉をあてがうのか。
なぜか上から目線で、一方で「早くこの曲を聴きたい」とアルバムの発売を楽しみに思える魅力も感じていた。

 

 

 

 


15年前、「メンバー全員が平成生まれ」という紹介文句は世間に相当の衝撃を与えていたように思う。
平成に元号が変わり19年の年月が経つも、日本経済を支える生産年齢人口の9割以上が昭和生まれで構成されていたため、平成生まれはまだまだ稀有な存在であった。平成生まれ=子どもという世代がデビューする=プロの世界で仕事するということに驚く大人が多かったように思う。
蓋を開ければ、想像通りの子ども。最年少は当時小学6年生、中学生メンバーも成長期・声変りが未到来だということが見るだけでわかるほど小柄で華奢な姿。フレッシュを通り越して未完成で未熟な姿で、どこに行っても場違いな子どもの集団であった。
ネット上では「こんな子どもたちのCDにお金を払うファンなんているのか」「ジャニーさんもついにボケたか」などの罵詈雑言を見かけることも多かった。


それまで、「ジャニーズ=カッコいい憧れのお兄さん」というイメージを持っていた私(Hey!Say!7とタメ)にとっても、「もう同世代がデビューするのか!」と衝撃を受けたことをよく覚えている。

 

Hey!Say!JUMPの結成・デビューは世間からも特に歓迎されていなかったし、ジャニーズファンにとっても悲劇であったように思う。
ジャニーズJr.の複数のユニットからメンバーが選出されたことで、人気ユニットの事実上の解体が発生。残されたメンバーのファン、ユニットのファンには到底受け入れられるデビューではなかった。
そういった経緯を知らない新規のファンに対する風あたりも強かった。
それを封じ込めるかのように、UMPのTVCMにバレー組の先輩方に出演していただいたり、東京ドーム単独公演最年少記録を持たせたり(実際はJr.と共同公演なんだけどね☆)、事務所を上げてHey!Say!JUMPを世に放とうとしていたのだなと今になって思う。


それほどまでにグループそしてメンバー個々がなんの価値もイメージも持たない「未」な状況から走り出してあっという間に15年が経った。

 


振り返ればいろいろなことがあった。
グループとしての特技や個性、メンバー個々の個性を見つけるために、とにかく数を重ねる中で試行錯誤していたツアー。
明らかに伸び悩んで苦しいときや応援していてもどかしいときもあった。


メンバー同士の仲違いが、仕事にも影響が出てしまう幼い時期、他と比べたり先輩グループと比べたりして落ち込むような繊細な時期もあった。


もちろん、飛び上がるほど嬉しいことや、「もっと行け、もっと行ける」と上昇気流に乗っていたこと、新たな挑戦に胸を躍らせたことも多々ある。


思い出を語れば、枚挙にいとまがない。
15年はそれほど長く濃い時間だった。

 

 


Hey!Say!7の面々と同い年である私の15年も、それはそれで大事な15年だった。
Hey!Say!JUMPも確かに前を向いて歩み続けていたけれど、私は私で確かに生きてきた。


私の15年は、Hey!Say!JUMPの15年にしっかり紐付けることができている。
それくらい、私の人生にピッタリと張り付いてる存在とも言える。


昔は、勉強も遊びも手につかないくらいHey!Say!JUMPのことを考えていたが、
今は「Hey!Say!JUMPの時間」「Hey!Say!JUMP用のお金」とHey!Say!JUMPのための時間やお金を確保している。
どんなに自分の人生を生きるようになって、も確保したい大切でなくせないものであるとも言えるし、確保しなければ毎日の生活から容易に押し出されてしまうとも言える。

 

でも、15年ずっと変わっていないのは、Hey!Say!JUMPの活動や成長を目撃し続け、Hey!Say!JUMPの発信を受け取れることをとても楽しく思っているということだ。
それを続けていたら、Hey!Say!JUMPのシングルやアルバム、ドラマなどの作品を思い出すとその頃の自分の状況や気持ちが思い出せる。人生のチャプター的な存在になっている。

 

Hey!Say!JUMPもグループとしての成長や、メンバーの脱退、休業など大変化をしながらの15年だったと思うが、私自身に目を向けても、中学生からアラサーになったし笑、社会人になってからも転退職した友達の方が圧倒的に多いし、既婚子持ちになっている人も多い。私だって事務職から営業職になったし、K-POPにハマったと思えば最近はINIにハマっているし、引っ越しもしたし、私の方がよっぽどいろんなことが変わっている。

 

 


「君と同じ時代に生まれてきたボクらはツイてる」
今からちょうど5年前、このフレーズに死ぬほど胸が高鳴った。そしてこれでもかとこの歌詞を噛み締めた。

 


Hey!Say!JUMPが存在する世界を生きていること
Hey!Say!JUMPと同世代に生まれたこと
Hey!Say!JUMPに出会えたこと
Hey!Say!JUMPを好きになったこと
Hey!Say!JUMPを最高だと思える人間だったこと

 


こんなふうに、自分自身のことや自分の感覚そして人生を、全面的に肯定できる状態を幸せと言うのだろうなと思う。
Hey!Say!JUMPがいたから、私はこんなに幸せな人生を歩めている。
Hey!Say!JUMPと生きてこれたから、過ぎたすべての時間が大切に思える。
良い思い出も苦い思い出も、Hey!Say!JUMPの曲や活動に全部紐づいて、
「あのシングルのとき、私はこんなことをしていたな」「あのツアーのとき、プライベートはこんなだったな」と振り返ることができる。

 


全てに「〜ではなかったら」を付け足すと恐ろしくて震える。
でも、生まれた時期もHey!Say!JUMPの存在を知るに至ったことも全てが偶発的な事象である。
ひとつでも掛け違えていたら、今とは全然違う今であったことは間違いない。
だから、特に誇れることのない私の人生なんだけれど、この人生で良かったと思えるし、嫌いなところなんていっぱいあるのだけれど私が私で良かったと思える。
 

 


そして、私はきっとこれからもHey!Say!JUMPの活躍を楽しみにしていくと同時に、私自身の人生に対してもいろんな期待や不安を思い浮かべていくだろうし、いろんな場面でHey!Say!JUMPを重ねるだろうし、そんなふうにしながら不幸せにならずに絶対に生きていくんだと思う。
予想できない将来に不安を感じることもあるけれど、Hey!Say!JUMPも同じ時代を生きていくだろうと思ったらそれだけで生きていく価値があると思える。

 


もはや好きとか嫌いとか、応援するとかしないとか、その次元ではない。
居てくれないと困るし、勝手にHey!Say!JUMPとこれからも生きていく。そう思っています。

 

 


15年、よくぞ歩き続けてくれました。横並びの強さを魅せ続けてくれました。最高に素敵なグループになってくれました。
デビュー当時、櫻井翔くんが「Hey!Say!JUMPらしさについてメンバーとたくさん話し合って、Hey!Say!JUMPらしいグループになってください」とコメントをくれたことが印象に残っている。
振り返れば、そんな15年だったと思います。「もしあの時ああしていれば・・・・」という要素がない、どこをとってもJUMPらしい、JUMPでなかったら歩けなかった、そんな15年だったと思う。

 

 


「鳥は一体 いつ気付くのだろう 空を自分が飛べるってことを」


歌い出しのこの一節が、この曲の主題だと、作詞の秋元康先生が語っていた。
この曲のテーマは「可能性」だと。

 

「夢は思っているだけでは叶わない。何かしなくてはいけない。鳥がいつ飛べることに気づくのか、羽を羽ばたかせたら飛べると気づくのかと同じように、羽をパタパタさせる、助走で走ってみるとか、何かした時に夢に近づくと思う。」

(2022/9/24放送 らじらー!サタデー より)

 

 

鳥が自分の飛べる可能性に気付いて羽ばたくように、自分の可能性や能力にいつか気づき、羽ばたいていくために生きている、頑張っているのではないか。私はそんなふうに解釈した。

 


このフレーズを初めて聞いたとき、「紛れもなく、Hey!Say!JUMPが歌う曲のための歌詞だ。」と感じた。


デビュー当時、子どもだったHey!Say!JUMPに、子どもになにができるんだと言わんばかりの心無い印象を持つ大人が多かったが、
同世代の私は私で、「なぜ、中高生で自分の将来を決められるのか?」と心の底から疑問に感じていた。
近年、解散や事務所を離れる先輩グループが多いが、当時はデビュー=終身雇用くらいに感じていた。少なくとも10~15年はグループで活動するのが普通だと。
ある程度、有名になってしまったら簡単に一般人に戻って普通の生活を送るという選択がしにくくなるのにも関わらず、どうしてHey!Say!JUMPのメンバーは自分の人生を、将来の方向性を、こんなに若くして決めることができるのだろうと、文系・理系も決められない私は思っていた。


人力飛行機」を聴いて思ったことがある。
Hey!Say!JUMPのメンバーは、ジャニーズに入って、もしくはジャニーズを志したあたりから、潜在的に自分の可能性に気付いて夢を見つけたのかもしれない。
または、ジャニーズ以外の可能性もあったはずなんだけど、他の可能性を検証することなくここまで来ただけなのかもしれない。
またどこかで、他の可能性に気付くことがあるかもしれない。それは怖いことになるかもしれないし、嬉しいことになるかもしれない。


とにかく今は、Hey!Say!JUMPのメンバーそれぞれがアイドルという可能性に気付いてくれて、アイドルという空で羽ばたいていてくれて本当に有り難く思う。
そして、これからもその大きな空で自由に羽ばたいていてほしいと思う。自由に羽ばたける空が広がっていてほしいと思う。
いつか、自分の新たな可能性に気付くかもしれないけれど、気付かないかもしれない。
どうであれ、自分の望むように生きてほしいと思う。自分たちの望むことを叶えていってほしいと思う。
そしてそれが、私の空とずっと繋がっていればいいと思う。まあ、私はそもそも羽ばたく必要はないと思っているがね(捻くれ)。

 


P.S. 
12/17の名古屋ドーム。暗転と同時に、無声のJUMPコールがペンライトの光に変わる。その景色に見惚れつつ、一瞬の間にコンサートの始まりに備えて、目、耳、心、すべてを整える。準備が整ったのか整っていないのか分からぬまま、ステージに登場したメンバーの中に最愛の自担の姿を確認して涙を流す

 


そんな日を夢見て居ましたが、どうやら叶いそうです。
自担の顔が見れるということがこんなに嬉しいことだったなんて初めて知りました。


「推しは推せる時に推せ」
友人の口癖ですが、推しを推せる幸せ、推しが表舞台に立つ仕事を選んでくれていることの幸せ。
そんなものを感じています。


8人で15周年を過ごせてよかった。
光くんが元気そうでよかった。
無理はしないで欲しいけど、やっぱりHey!Say!JUMPにずっと会える未来が続いて欲しい。

 

 

 

君に届かないでほしいこと

 

私が最初に耳に違和感を感じたのは、2017年頃だ。
周囲の音が聞こえにくい。立ったり座ったりするだけで酔う。しかもそれが情緒と連動している。
「嫌だな」「きついな」「しんどいな」といったようなストレスを感じたときに、耳が塞がるような、飛行機に乗っているときのような感覚になったり、「こうしなきゃ」「やばい」とプレッシャーを感じたときにめまいがしたり。特定の人、作業、状況において耳が変な感じがするようになった。

当時のことはこちらの記事にも書いているが、精神的にとにかくきつい時期だった。
職場での人間関係や業務負担の多さやプレッシャー、将来への不安など要因はひとつに限定できないのだが、過剰な負荷が様々な体調不良になって表れた。その中で一番恐怖とやばさを感じたのが耳だった。
聴覚は、当たり前のように勝手に鼓膜が震えることで機能していた器官だったので、精神状態や体調によってパフォーマンスに影響が出るとは思いもよらなかった。だからこそ、耳の不調はいよいよ自分自身への警告だと感じて急いで病院に行き、上司が休ませてくれたのをとてもよく覚えている。

現在は聞こえにくく感じることが時たま起こるものの、精神の疲弊が改善されると共に、上記の症状が出なくなったので、やはりあれは精神的な不調からきたものだと再認識する。

 

 

 

先日、私の自担である八乙女光くんが耳の不調でお仕事を休止することを発表した。
数年ぶりの舞台も降板することが決まった。
グループの15周年に合わせ、この先決まっていた仕事もいっぱいあったのだろうなどというのは容易く想像できる。

自分のことを思い出した。原因が分かり、解決したことで、今私は自分が罹患したこの病気に対しては楽観的なイメージを持っているが、当時の精神状態はやはり苦しく不安で辛かった。

今回の休止を光くんはどんな思いで発表しただろう、どんな気持ちで決断しただろう、周囲に相談しただろう。
考えても仕方ないとはわかっていても考えてしまう。
自分自身の経験も重なり、いつから不調を感じていたのだろう。耳に不調を感じるまでに、どんな違和感をどんな悩みを抱えていたのだろう。
正解を知る術もないのに考えてしまう。

 

仕方ないと勝手に理解したように片付けるというのもおかしい。何様だって話だ。
今までずっと、デビュー以来、いや入所以来働き続けてきた人じゃないか。「休まず」「変わらず」「これからも」を一方的に期待し要求しているようでおかしな話だ。

そもそも光くんは、こういうふうに人に心配をかけたり、迷惑をかけたり、悩ませたり悲しませたりするために決断したわけではないし、そうさせてしまうことを自らが選ぶことを嫌がる人だと思う。
だからこそ、ずっと続けてきたことを中断すること、立ち止まることはどれほど怖いことだろうとも思う。
メンバーや共演者の「安心して休んで」という言葉がそれを物語る。

だからこそ、今回のことを受け入れるとか待っているとか、ましてや偉そうに仕方ないと思う自分がとても嫌なのだ。

 

八乙女担になる前、光くんのことを「いつでも明るくて元気で、器用になんでもこなして、芸能人になるべくしてなった人なんだな~」と羨望の眼差しでみていた。そんな私が八乙女担になろうと思ったきっかけは、「この人は人よりたくさんのことを想像して、たくさんの人を思いやって、誰かの代わりに多くを感じて表現するということに長けている人であり、それは才能だけではなく、努力と思考力によって積み重ねてきたからこそのものだ」と感じ取るほど、彼の本当の姿に興味を持ったからに他ならない(一文が長い)。

そんな光くんの、簡単に言えば「器用貧乏さ」を私は信頼し、愛してきたつもりでいたのだが、またしても八乙女光の魅せる虚像に慣れきってしまっていたことに、今回の活動休止の一件で気付いたのだ。
八乙女担になる前のように、無意識のうちにタフで完全無欠のイメージを持ち、そうすることで八乙女光から安定感や安心感を見出そうとしていた。
どんなときも情緒やメンタルが安定している、ステージやカメラの前でのパフォーマンスのクオリティもそう。ビジュアルもそう。
だからこそ、ファンだけでなく業界、事務所も八乙女光を求めるのだ。八乙女光の仕事が絶えない理由にもつながる。

その安定感・クオリティは光くんの才能や能力、運やセンス、アイディアだけではなく、入念な準備と練習、深く多角的な思考・想像、配慮があるからだと私は思っている。
コンサートや舞台期間中は、食事や飲み物にもとてもこだわるエピソードを各媒体で見聞きする。日ごろから健康に対する意識も高い。習い事や学びに費やすことも惜しみない。
そういったことを息するように生き生きと取り組むように見える一方で、他者からストイックと表現されることもある。
披露したギャグがスベっても果敢に場を盛り上げようとする強心臓がある一方で、人に寄り添うやさしい歌詞や心を動かす芸術作品を作り出す豊かな感受性もある。
人々は、憑依型だとかアーティスト性があるとか、個性的とか各々の言葉でそれを噛み砕いている。
ひとりの人間がこんな振り幅を抱えつつ、敵を作らず誰のことも責めないのに、たくさんの人を笑顔にし人の気持ちをプラス方向に動かしてきた。

 

そんな人が、今不調なのだ。

精神的支柱のピンチに、途方に暮れそうになっている人間は私だけではないはずだ。
ああ、私は本当に光くんを頼りにしている。支えてもらっていたんだ。
光くんが当たり前にカメラの前で明るくいてくれることが、こんなにもありがたいことだったなんて。

 

光くんの実際の健康状態は、発表されている病名だけでは把握しきれない。
もしこれが上記の私のような原因で、光くんのなにかが悲鳴を上げているのなら、心に重いものがあるのなら、それは最優先でケアすべきことだ。
こちら側としては、詮索するなどもちろんしたくないし、「待っている」とか「ゆっくり休んで」とか、そういうことも押し付けたくない。
いつも、光くんがその場、その仕事をただ楽しんでいるように、そんな姿で我々を楽しませてくれているように、なんにも押し付けたくない。休止に対するどんな気持ちもどんな反応も知らなくていい。


っていうか、シンプルに健やかでいてくれという気持ちだ。
身体が健康であること、心が重くなく自分のことと好きなことと大切な人のことを考えられる隙間があること、好きなものを好きなだけ飲み食いできること、人間が生物として生理的に欲してしまう欲求は、欲求のままに満たせる状態でいてくれ。感情を全部自分のために使ってほしい。才能とか努力とか魅力とかそれ以前に。

そんなことを願う。

いつももらってばかりの私が光くんを想って考えられることはそんなことだ。

 

 

とにかく、詳しくは知らないが、この場を借りて言わせてもらう。世界や社会は誰かが少し休んだって普通に回る。「あなた」が休んだ分、誰かが埋め合わせて大変になるなんてことはそうそうない。
そう思うのは、頑張っている「あなた」だけだ。

他人は、「あなた」と同じようにあなたの頑張りも見えない分、不調も見えないものだ。

良いことも悪いことも「あなた」だけ特別に降り注ぐなんてことはない。

あなたも、あなたも、あなたも、そうだよ。


「あなた」が立ち止まったって、人は死なない、GDPにも株価にも影響ない。

いい意味で全部そんなもんだよ。

だから、楽しいことを考えられる。クリエイティブなことやエンターテイメントが活きる。だから、世界が変わる。変わる気がする。そう解釈できる。

 

私はそう思う。

 

 

光くん、今日はどんな1日でしたか?何食べましたか?楽しいことや面白いことありましたか?

毎日それだけ思って、望んでいます。

 

私が思うことでした。誰にも届かなくていいし、光くんに届かないでほしいことでした。

また推敲します。

 

尚、記事内の症状につきましては、あくまで私の例です。

私の場合は、聴こえにくいなどの症状に対してのつらさや難しさはあまり感じませんでしたが、そもそも耳に不調がでるほどの精神状態なので、当時のことを思い出してしまうとやばいです。なので、光くんもそういう原因である可能性がゼロでない以上、我慢していたかもしれない時間を必要以上に称賛し美談としたり、復帰後に掘り返すようなことはしないでほしいと思います。)

はてなブログ10周年によせて

大変にご無沙汰しております。久々にも程があるほど久々の投稿になってしまいましたが、タイミング良くはてなブログ10周年のイベントを知りましたので、リハビリがてら書こうと思います。
私の生存など気にされてた方いらっしゃらないと思いますが、とりあえず普通にのらりくらり生きておりました。普通です!!!笑

では!
はてなブログ10周年特別お題「はてなブロガーに10の質問

ブログ名もしくはハンドルネームの由来は?

ブログ名は、一度変えたことがあります。
開設当初は、「星空の下で歴史を刻む」というブログ名でした。
Hey!Say!JUMPの「Star Time」という楽曲の歌詞なのですが、Hey!Say!JUMPを応援する私の願いそのものだなと思い、ブログ名に使用しました。
現在の「門限の9時」も同じくHey!Say!JUMPの楽曲からの引用ですが、こちらは「コンパスローズ」という曲です。
山田担から八乙女担という異例の担降り(昇り?)を決意した直後に発売されたアルバムの収録曲で、八乙女光作詞だったため、この曲をすこぶる気に入りブログ名にしました。実に安直ですね。
ハンドルネームは、Twitterもその名前でやっていたからです。なぜその名前になったかの経緯は、本名の中に「な」があり、そこから思いついた適当な名前です。

はてなブログを始めたきっかけは?

もともと、他社サービスで細々とブログを書いていましたが、方向性が定まらなかったのと、フォントやレイアウトなどが見づらく感じたり余計な機能が不要だなと感じたりしていたところに、ジャニオタの方が綴ったはてなブログを発見し、使いやすそうと思って開設しました。
ブログの方向性としても、他社サービスのジャニオタさんたちはレポ系の投稿が多かったですが、はてなブログからは文章、読み物という印象を受け、自分の方向性と合致したこともあり使い始めました。

自分で書いたお気に入りの1記事はある?あるならどんな記事?

何かあるかな〜と過去投稿をサーッと見てみたら、文章を書いている時の最高潮に到達している熱量を思い出して意外と迷ってしまいます。駄作は駄作なのですが、全て思い入れがありますし、文章の拙さも含めその時にしか書けないという感じがします。
メンバーや推しの誕生日や記念日に書いた投稿は全て全力でその人を思って書いたので思い入れがあります。

多くの方に読んでいただいているのは、メモやノートの使い方について書いたライフハック系の投稿や超主観による分析・考察系の投稿です。
下の楽曲分析の投稿は、反応して下さった方が多いです。


最近はK-POP関連の投稿が続いていますが、2013〜2015年あたりは、Hey!Say!JUMPへの熱量がありまくっているなと感じます。
中でも山田担から八乙女担になると決めた時のブログはかなり深刻そうに仕上がりました笑

ブログを書きたくなるのはどんなとき?

アイドルを見て心が躍ったり動いたり、好きなアイドルのことを大真面目に考えたりしたとき。
K-POPについては、単純に楽しい!良いよ!って気持ちを発散させたいから笑
ライフハック系は、多分他の人のブログなどを見て感化されたくなるとです。

下書きに保存された記事は何記事? あるならどんなテーマの記事?

20弱です。多い笑 今は更新頻度が減っていますが、書き溜めてることは書き溜めてるんです。ただ、学生の頃と違って社会人になるとブログひとつ書き切れずに日常生活に戻らざるを得ないという時間的な制約があり、日を空けると熱量が減ってしまうことが多く書き切れていません(汗)

「DEAR.」コン宮城遠征の記事や「Aino Arika」発売時に書いたブログ、本人たちがハッピーエンドになってしまったがために続きを書けなくなってしまったやまゆと関連の記事などタイミングを逃したものとかが多いです。
最近の下書きだと、一過性の心境などですね。
書きたことはたくさんありますよ。

自分の記事を読み返すことはある?

あります。特に3〜4問前のお気に入りの記事についての回答で挙げた投稿は、未だにスターやブクマをいただくこともあるので、その通知が来るとリンク押してしまって開いてしまいます。

好きなはてなブロガーは?

具体的にこの方というのは最近はいらっしゃらないかな。
最近はアイドル以外のことでも興味のあるブログがあったら読んでいます。
好きなアイドルや物事について推察したり考察したりしたものを、ご自身の言葉で纏められている方の記事は好きです。

はてなブログに一言メッセージを伝えるなら?

10周年おめでとうございます。
表現手法が多種多様に広がる中、文章の楽しさを感じている人や文章を表現方法に選ぶ方々の集う場所だと感じています。
それぞれの好きや関心、考えや想いが溢れた場所ですので末永い繁栄を期待しています!万年筆ください!!!!笑

10年前は何してた?

高校生してました!受験を控えた高3でした!
昼休みにお弁当を食べながら、ジャニーズについて語り合っていました!それがなによりの楽しみでした!

この10年を一言でまとめると?

「一言じゃまとめられない時間」ですね。
18歳からの10年ですから、二度と返らない日々だと思います。
いろいろな経験を致しましたが、今はより一層、好きなグループへの「好き」をこれからもどこかで、誰かに向かって発し続けたい気持ちです!


Hey!Say!JUMPも来年は15周年イヤー、私も今月28歳になりました。
メンバーも30代にステップアップしていく中、私も私の人生、生活、いろいろ挑戦して考えてやっていきたいと思っています。
更新は低頻度の状況が続きますが、この人は必ずどこかでHey!Say!JUMPやアイドルを好きでいるはずだと思っていてくだされば嬉しいです。


向こう1週間で3件の結婚式があるのもまた28歳の試練かなと思います!(支出面で)
もう2021年も残すところあと2ヶ月ですね〜
JUMP担の皆様はツアー、楽しく安全に走り切りましょう!