門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

弾丸宮城遠征記〜計画性ゼロの新入社員〜①

 

事の状況が大きく変わったのは、週の始めに届いた1通のメールだった。

 Hey!Say!JUMPのコンサートツアー宮城公演における「制作解放席」募集お知らせ。

それまで、「制作解放席」など、10時ちょうどに電話を掛けても既に終了しているプレイガイドのチケット販売のように、あってないものだと思っていた。

しかし、藁にもすがるような思いで仙台公演に固執する自分がいるのもまた事実であった。

なぜなら、私は八乙女担でありながら、自担の地元であるこの宮城公演に1度も入ったことがないからだ。学生時代は、365日金欠で、自宅から最も近い横浜公演のチケット代とグッズ代を捻出することで精一杯だった。今年の春、ついに社会人になった私は、自分の稼いだ給料で自担の地元凱旋公演に行く夏をそれはそれは楽しみにし、夢に見ていたのだった。

 

(これはチャンスだ、社会人、実家暮らし、金はある、土日休み…いける!!)

私が暮らしている静岡県極西の田舎町から580km以上離れた宮城という土地で行われるコンサートに、わずかな希望を抱きつつも半ば冗談半分で申し込んだ。

 

終わってみれば、コンサートまでの一週間は、仕事でバカみたいに嬉しいことと辛いことが畳み掛けてきた怒涛の一週間だった。会社で週2回も大泣きをした。怒られた。ふいに大好きな友達から飲もうというお誘いを受けた。褒められもした。出来なかった仕事が1つ出来るようになった。冗談半分で申し込んだとは言っても、内心では、そういう一週間の先に、愛する自担に会えるという予定があればどんなにいいかと思って、毎日過ごしていた。

当選結果が分かるのは金曜の夜だった。私はその翌日の夜公演を申し込んだ。本当はゆとりを持って準備ができる日曜の昼公演が良かったが、台風など天気の影響で電車が止まって月曜日会社に行けないなんてことになってはいけないと思い、往路は多少ドタバタしても復路には余裕を持たせることにした。

 

金曜は、仕事が長引いた。

年次の近い先輩がみんな帰ったあと、1人で更衣室に行き、メールボックスを開いた。

当たってしまった。

一週間、仕事が辛いときは、「その分、当選という形で返ってくる!」なんて自分を励ましながらやっていたくせに、実際に当選という文字を見たときに、一気に現実味を帯びて、580kmを無計画に行き来しようとした自分をそれはそれは愚かだと思った。

 

事前に「コンサートに申し込んだので、当たったら土日仙台に行くことになる、それが金曜の夜に分かる」という旨を家族に話していたため、母から「どうだった?」とLINEが来ていた。「当たった」と返すと、「バカめ  萩の月買って来て」とだけLINEが来た(笑)。

 

バカだ。そりゃそうだ、バカでしかない。コンサートに入ることは決定したが、交通手段も、宿泊するのか、日帰りするのか、日帰りなど出来るのか、そもそも金曜の夜に当選通知を受け、朝出発したところで辿り着けるのか、1つも分からずに、浮かれる気持ちとやってしまったという気持ちでとにかく家路を急いだ。

自分でもバカだなと思いながら、新幹線を調べ、帰りの夜行バスを調べ、ホテルを調べた。

会社から自宅までのドア to ドア30分の間で、明日朝乗る新幹線を決め、 夜行バスで帰るのか一泊するのかを決め、泊まるホテルを予約した。

人間その気になればなんでも出来るわ。

家に着いたとき、ホテル予約のために使ったクレジットカードを手に握りしめており、家族にさらにバカにされた。

 帰宅時間は19時を過ぎていただろうか。そこから食事をし、明日からの遠征準備をバタバタと始めた。

 

 

土曜

7:30

家を出た。平日とほぼ変わらない時間だ。最寄りの新幹線の駅まで父に送ってもらった。新幹線のチケットを往復分買い、8:20発の新幹線に乗った。

新幹線に乗って1時間が経った頃、制作解放席のチケット引き換えに必要な持ち物であるファンクラブ会員証を忘れたことに気づいた。

余裕を持って出てきたが、最高時速200kmの1時間だ。引き返せるわけがない。焦り。ずっと財布に入れているつもりでいた。会員証どこいった。

まず、探してもらおうと母親に電話をかけた。心当たりの場所をとにかく探してもらい、なんとか会員証を発掘してもらった。念のため会員証の写メを両面送ってもらった。

これで入れると決まったわけではないのだが、慌てていても仕方ないと思い、気を取り直して、新海誠の「秒速5センチメートル」を観た。周りはみんな良いというけど、そんなにかなあと思う。自分の行間を読み取る力のなさに愕然とする。でも「君の名は。」見たいなあ。あの中だったら「コスモナウト」が一番好きだなあ。

 

10:30過ぎ

ようやく東京駅に着いた。まだ東京だ。社会人になってから頻繁に東京に行っているが、毎回品川か新横浜で降りるので、東京駅自体も久々で戸惑った。仙台も数年前に1度行ったことがあるが、新幹線を使って行くのは初めてだったので、東北新幹線の乗り場でもソワソワしていた。

東北新幹線は、東海道新幹線の比じゃないくはい混んでおり、座れたことに一安心した。途中寝たり、スマホをいじったりしながら、林真理子の「失恋カレンダー」という本を読んだ。読みやすくて面白い。

 

13:00

仙台到着。とりあえずお腹空いた!駅ビルのカフェ的なところでパスタを食べた。ジャニヲタばっかりだった。

 

13:30

仙台から東北本線に乗って会場へ。なかなか電車が混んでいたが、岩切までも利府までもなんとか座れた。

利府駅の何もなさに驚愕。そこにブリブリのワンピース着たヲタクとか花冠着けたヲタクとかメンバーカラーの派手な服着たヲタクがすごく浮いていて、なんの変哲もないトップスにジーパン、スニーカーというシンプルな格好をして一人でいる自分の方が逆に浮いていたような気がした。

ヲタクの流れに身を任せ、バス乗り場まで行き、普段は何をしているのかわからないちょっとイケメンな案内係のお兄さんに導かれるままにバスに乗った。

バスは5分置きくらいのペースで出発していたような気がするから、待った感じもなかった。

 

14:15

会場着。チケットの引き換え開始時間が15時だと思っていたら15時半だったことにバスの中で気付いた。暇なのでグッズ列に並んだ。並んでいる間も暇なことに変わりはないのだが、グッズを買おうという目的がある方がまだ退屈しない。

お友達の代行分と、仙台で光くんグッズの売り上げに貢献しようという魂胆で、すでに横浜で買ったうちわをもう1つ買い足した。

明日エルを歌うというのにタオルを持ってくるのを忘れたことに気づいたが、タオルは2つもいらないので買うのをやめた。

そのあと、友達と会ってグッズを渡してから、引き換えに行った。

 

15:30

会員証を忘れたと言ったらどんな対応をされるのかと、頭の中でシミュレーションしていたつもりだったが、案外チョロかった。どうせバイトだもの。何も言われなかった、一安心。

引き換えが終わった時には16時を過ぎていたので、そのまま会場に入った。

 

スタンド席で、メインステ側一番端の席だった。なので、視界的にはメインステを斜め後ろから見る形になった。当然、ちょいちょいセットや照明が被る。制作解放席なんてこんなもんだろ。ただ、私の横は通路で、そのまま階段でステージに繋がっており、スタトロ時に期待出来る席だった。メインステは見にくいがスタンド5列目内なので、コンサート始まってしまえば普通に良席。むしろ神席。

 

 

光くんがこちらの方に来るまでの間に圭人が来たり伊野尾ちゃんが来たりしたけど、光くんが来てくれた時は、本当にドキドキして、まあ過呼吸みたいになったよね笑

圭人が来ても伊野尾ちゃんが来ても、光くんのうちわを持ち続けて「光くん出せや!」って念を送っていた。

光くんはほとんど背を向けていたけど、メインステの真ん中の方に戻る時に、私の顔は見ずに「光」と書いたうちわを見た。

その後、ファンサタイムの時にこちらの方に手を振りに来てくれて、今度はちゃんと顔見て、目合って、ニコッとして3秒くらい手を振っててくれた。「もう見ないで!」って思うくらい長く感じたから一瞬の話じゃなかった。

「後ろにも八乙女担いたんじゃね?」って思われるかもしれないけど、光くんが立ち去って真っ先に後ろ振り返って、黒い布で潰された座席と機材しかないことを確認して勝ち誇った。←

 

予想通り、私の席の横の通路は、スタトロを降りたメンバーの通り道だった。

まずは裕翔くん。あまりの美しさに引いてしまったら、隣の席のお姉さんがガンガン押してきたのでその勢いで裕翔くんにめちゃくちゃ近づいてしまった。裕翔くん苦笑い(笑)ごめんよ…。

続いて雄也。普通に手を出してくれたのでハイタッチ。すっごい良い匂いがした。手にも匂いがついて帰り道でずっと嗅いでた←

最後に圭人。今回の公演で1番圭人と仲良くなった。よく私のいたブロックに来てくれて、その度に私が「光くん呼んでこい」と言わんばかりにうちわを見せていたので、多分なんだこいつと思われていたと思う。圭人もハイタッチしてくれた。ニコニコで可愛かった。

 

 

「My Girl」は真横から見たんですよ。山田くんのダンス真横から見るってなかなかないじゃないですか。しかもなんにも遮るものもなくて。やっぱり山田くんのダンス好きです。気持ちが伝わるっていうか、キレキレだしね、全身で踊るし、なにより魂もってるじゃない。どの振りも手を抜かない、全力。だから、山田くんなんだなーって。最近は、俳優としても大活躍してるし、バラエティも頑張っているけど、やっぱり山田くんのアイドルとしての表現だったりパフォーマンスが私は凄く好きだと思う。山田くんのダンスって山田くんの真っ直ぐすぎる性格とか重いくらい熱くなる感じとか、山田くんの全部が伝わる。と思って泣けてきました。担当じゃなくなったのでそれだけだけど。(ツン)

 

光くんは、最近メンバーが好きすぎるでしょ。あとファンも好きすぎるでしょ。っていうか、すごく真っ直ぐ「好き」を表現するようになったよね。若さが邪魔をして素直になれないことってあるけど、光くんもきっとそんな感じだったのかしら。光くん、人からすごく影響受けるタイプだから、これからも周りの人には光くんに良い影響を与え続けて欲しいし、光くんをたくさん愛してほしい。お前何様だよって感じだけど(笑)

でも、八乙女さんの愛情表現なかなかに面倒くさい(笑)

 

コンサート中、光くん好きだと思った瞬間とか気づいたこととか。

光くんの魅力ってなんだろうなって考えた。たくさんありすぎるんだけど、全部まとめたら、「ファンはこんなに見てんのに、光くんは気づいてなさそう」なところなんだと思った。猫みたいに気まぐれで、自由で。かっこいい光くんが見たいって言うのにふざけたり、変な髪の毛の色にしたり…全然思い通りにいかないところ。急にアクセサリーつけたり、ファンサするようになったり、なんなの?って思いながら、そのなんでを必死に考えさせられちゃう。答えを持たない人だなって思った。

そういう人だから、私は担当になったんだと思うし。

 

席が席だったので、メインステ側からアリーナ席を一望できたんですね。ああ、Hey!Say!JUMPはこういう景色を見ていて、ファンはHey!Say!JUMPを前にこういう表情をするんだってジーンときちゃって。

歌ってるときとか、メンバーみんな真っ直ぐ前を見ていて、すごく「今」と対峙してる感じがした。アイドルは偶像だとか、夢とか空想とか非現実的なイメージで語られがちだけど、本当は誰より「今」が全てな生き物だなって思った。私たちファンは、そこに夢を見たり恋をしたりするんだろうけど、アリーナ席のファンたちのキラキラした顔見たら、あの笑顔を君たちは全部背負って守っていかなきゃいけないのよ!って思った。

あまりに知名度が上がって、自分名義が全滅して、やりきれない思いもあったけど、そうやってHey!Say!JUMPを見つめて、Hey!Say!JUMPに期待する人たちがたくさんいるってことが、Hey!Say!JUMPを輝かせるんだなって心の底から思った。

 

良い調子で遠征記書いていたはずなのに、お得意の語りモード入っちゃいましたね(^_^;)

これ以上、面倒臭いテンションが続くと私自身もいろいろ見失うので、ここまでを①ということで。続きは改めて書きますね。いつもこんなんでごめんなさいね。笑

 

今月上旬の金曜日に、私がジャニヲタだと知らない会社の同期の男の子に、何気なく「明日なにするの?」って聞かれたので「横浜アリーナにHey!Say!JUMPのコンサート観に行く」って言ったら、「自分見失ってるやん(笑)」と笑われたけど、むしろジャニーズ事放置してリア充しようとしていたこれまでの方が自分見失ってたと思います(笑)

飲んで遊んで現実は充実するけど、心はしっくり来てなかった気がするよ。"自分らしさ"って難しいなと思う。光くんに"らしくない"と思ったことは今のところない気がするのですが、きっと光くんにもしっくり来たり来なかったりすることがあるんだろうなと思います。

でも、Hey!Say!JUMPとして過ごす時間や、Hey!Say!JUMPの八乙女光は、しっくり来ていてほしいなと思う。そうならば、外見をどうしたって、髪が明太子色してたって、テールスープ色してたっていい。私もしっくり来る自分見つけます。(あれ、これが自分見失ってるってこと??笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

君のその一言が

 

伊野尾くん、いくらなんでも遅くなりすぎですが、6/22、26歳のお誕生日おめでとうございました。

そして最近の活躍おめでとうございます。

遅くなって本当にごめんなさいね!!忙しかった!!社会人って大変ですね!!裕翔くんにも書きたいことがあるので、そちらもなる早で書きたい!まずは伊野尾さんから。

 

最近の伊野尾さんは働きまくってて、正直、体調崩さないかだけが心配と思いながら見ています。寝てる時間あるのかな。疲れてないかな。ジャニワやりながら研究室通って卒論書き切ったあなただから大丈夫だろうとは思うけど、その経験がなかったらすごく気が気でなかったと思う。

 

とは言っても、私は、木曜朝だろうと、テレビから聞こえる高い声にボソッと「伊野尾さんおはよう」って言って、その声に背中を向けて朝ごはん食べて、5分もせずにテレビの前から去るような慌ただしい朝を過ごしている。

母親は昔から伊野尾くんかわいいと言っていたけど、最近は祖母までこのマッシュの子かわいいと言い始めたから怖い。

会社の食堂のテレビでヒルナンデスを見ていたパートのおばさんたちが、ありとめ見ながら、めざましに出てる伊野尾ちゃんもHey!Say!JUMPよね!あの子かわいい!なんて言ってる。

 

率直に怖い。

世間が適応出来てるのに、JUMP担の私が適応出来てない。ついこないだまでは、JUMP担がこの世間の誰よりも伊野尾くんの良さを知っていたのに、今じゃ、世間が伊野尾くんのこと何でも知ってるみたいな顔して伊野尾くんのこと見てる。怖い。

ちらっとテレビ画面を見て、彼が目を細め笑っていれば、お前そんなんじゃないじゃん!なんて、伊野尾くんのこと分かりきったようなことを思いついたままに言ってる。

は、その顔知らない!!聞いてない!!そんなの私の知ってる伊野尾くんじゃない!!ってジタバタする。

伊野尾くんを見る人みんなして「かわいい」って言う。なにその形容。なんでみんなして伊野尾くんに対して「かわいい」としか言えないわけ。

そんなふうに思ったりしてて情けないなと思う。

 

これまでずっと、伊野尾担の数だけ伊野尾くんが存在していたイメージだったのに、今じゃみんなして、誰かに言えって言われてるみたいに「かわいい」って言ってて怖い。なんだか、伊野尾くんを語る権利がなくなった気がする。誰かが語れば語るだけ、その形容詞ひとつひとつが伊野尾くんそのものだったのに、今じゃ「かわいい」以外の伊野尾くんが削ぎ落とされてる気がする。「かわいい」の数が増えれば増えるほど、私の中の伊野尾くんが薄っぺらくなっていく。めざましのスタジオで、伊野尾くんの代わりに等身大パネルが立っててもみんな「かわいい」って言うんだろうな、いつもと変わらない朝を過ごすんだろうなって思ってしまう。

 

これまでの8年間は、まさか伊野尾くんがこんなコンテンツ化するなんて思わなかったから、人気が出て売れたのは嬉しくもあるけど、よく分からない戸惑いも続いてるのが本音かもしれない。

伊野尾くんの中身じゃなくて、存在が求められてる。倫理の教科書で「実存は本質に先立つ」って言葉を習ったのを思い出す。

伊野尾くんが何を考えているとか、どんなことを思っているのか、知る機会がどんどんなくなる。伊野尾くんも言わなくなる。もともと言う人じゃないし。そんなふうに考えて勝手に少し寂しくなっていた。

 

でも、撮り溜めたリトラを見てたら、そんな気持ち全部どこかに飛んで行った。

薮くんがタイル貼りに挑戦する回。タイルとタイルの間を埋める「目地埋め」という作業に薮くんが挑戦してる画で、ナレーションで「目地埋め」についての説明が話されていた。

普段そんな作業をしっかり見ることってないので、私も「へえー」なんて思っていたところに、スタジオのJUMPに画が切り替わった。

後列左端に伊野尾くんがいて、妙に安心感を覚えたのも束の間、「目地埋め」の話を真剣に聞いた伊野尾くんがボソッと、「おもしろいなあ」とこぼした。その瞬間、「私の知ってる伊野尾さんが2016年6月にもちゃんといる!!」ってグッときてしまった。本質より目に見える実存にとらわれてしまっていたのは私だったんだなメンバーと戯れる姿とか、JUMPへの思いとか気持ちとか感性とか、伊野尾くんを伊野尾くんたらしめるものはきっと少しも変わってないんだなって思った。

 

「おもしろいなあ」

たったそれだけ。たった一言。

でも、伊野尾くんが素直におもしろいと思ったり、良いと思ったりするっていう、理論じゃ語れない機微が私の元にもまだちゃんと届くんだなって嬉しかったし、伊野尾くんは元からちょっと遠いところにいただけで、遠くに行ってはないんだなって感じた。

 

めざましのいのおピクチャーで、JUMPのメンバーが写った写真を紹介してくれるのが本当に嬉しい。伊野尾くんが「Hey!Say!JUMP」ってワードを出してくれるたびにJUMPに興味を持ってくれる人が増えるような気がして嬉しい。

そしてなにより、伊野尾くんがHey!Say!JUMPの顔になり、きっかけになり、入り口になってくれているのが本当に嬉しい。

 

素直にありがとう!と思っています。

こちらが頑張らなくても、自然とHey!Say!JUMPが目に入る毎日をありがとう!

 

君のその一言が適当だなって思う人もいるかもしれないし、面白いと思う人がいるかもしれないけど、安心する人もいるから。

そうやって伊野尾くんの一言の力がどんどん大きくなっても、一言を出す抵抗はずっと変えないでほしい。その言葉選びや感覚はあなたの個性だから、あなたしか持ってないものだから、これからも変わらないでほしいと思っています。

 

26歳のお誕生日おめでとうございました。

 

「DEAR.」 の感想の前に

花火を見た。彩られた夜空を見上げながら、聴いたばかりの曲を思い出し、今の私の胸の真ん中って何なんだろうなんて考えた。


残念ながら、今、私の胸の真ん中にあるのはHey!Say!JUMPではない。もちろん、今までのように、変わらずHey!Say!JUMPが真ん中にいてほしいなって思っている。でも、社会に出たらそうはいかなくなった。当たり前だけど、仕事、プライベート、人付き合い、友達、同期、家族…胸の真ん中にいてほしいもの、真ん中に置くべきもの、つまり、頑張りたいことややりたいことが沢山ありすぎて、同じくらい全部が自分にとって大事で、優先順位をどう付けていったらいいのか、ふと我に返って悩んでしまう。
少なくとも分かっているのは、Hey!Say!JUMP中心の生活は出来ないということなんだけど、スパッと捨てられるくらい無関心にもなれない。

今の私には軸とか方位磁針みたいなものがなくてグラグラしている。
なにかを選べば、なにかを諦めることになる気がして、今の選択が5年後、10年後まで決めてしまうような気がして、結局なにも選べないし、決められない。
自分の選択に自分が責任を持てなくて、全部中途半端に並べるだけの作業になってしまってる。
そして、それはただの時間稼ぎでしかないというのも分かっているのに選べない。優先順位を決めるのすら怖い。 

 

花火を見ながら、打ち上がる前には戻れないんだと悟った。打ち上がってしまったら、綺麗に咲いて散りゆくしかないんだなと思った。選択肢はないけど、その分見惚れるほどに美しい。

花火ほど美しくは咲けないけど、何かを選べたらきっとより良い1秒後が待ってるような、そんな気がした。

 

隣で見ていた友人の口から「きれい」という言葉が零れ落ちた。私の気持ちが間違って友達の口から零れてしまったかと思うほど、私の言葉は声にならなかった。

花火は、同じレジャーシートに座る仲間の見惚れ顔すら、明るく照らしていた。

私は、この人たちを選ばないと決めた。

直接的に選ぶのではなく、この人たちに誇れる選択をしたいと思った。

 

「君に見せたいと思える明日を選ぼう」

今の私の真ん中って多分こんな感じだ。

頑張り方を間違えそうになっていた。

Hey!Say!JUMPだって、私にとって君だ。

大好きな人たちに愛されるような選択をすることも時に大事かもしれないけれど、愛されるより信じてほしい気持ちのほうが俄然強い。

 

最近のHey!Say!JUMPは、自分たちの足で立って歩いて行けそうな頼もしさがある。私も周りの人から、大好きな人たちからそう思ってもらえる人になりたい。そのために、自分を良い方向に変えられる選択をしたい。

 

花火の帰り道、みんなで並んで駅まで向かった。何年経ってもこうして並んで他愛もない話をして笑っていられたら最高だと思った。私もHey!Say!JUMPも。

 

恋と言うな、愛と言え

 

久しぶりに人を愛しいと思った

 

 

ちょっとぶっきらぼうなとことか

私服が良い感じの日とダサい日の差が激しいとことか

調子乗りで単純なとことか

そのくせ根は引くほど真面目なとことか

味覚が子どもっぽいとことか

レモンサワーが好きなとことか

写真撮ると必ず変顔するとことか

妙に気が利くとことか

周りから「実はすっごい優しいよね」とか言われるとことか

なのに肝心な時に優しくないとことか

 

 

 

私なんかを食事に誘ったり映画に誘ったりするとことか

 

 

なに考えてんのかよく分かんないとことか

 

 

 

なんか、迂闊にも愛しいとか思ってる気がする私

 

 

 

 

まだ22だと思ってたら、いつの間にかもう22になってた。「恋」なんて単語を出したら、すれ違うだけの道行く人にさえ笑われてしまいそうだから、そんなこと思わないし言わない。でも、久しぶりに生身の人間を愛しいと思ってるんだ。

付き合いたいとかそんなことこれっぽっちも思っちゃない。恋がしたいわけじゃない。強がりでもなんでもない。

だって、これからの人生でするのはきっと、男とか女とか、好きとか嫌いとか、かわいいとかカッコいいとかじゃなくて、人間同士の付き合いっていうかもっと内面的で深い人との付き合いなんだろうなって思うから。

 

 

有村架純ちゃんと高良健吾くんが出てた月9の中で「恋愛は衣食住の順番でくる」ってセリフがあった。私も、これからは、見てくれじゃなくて、雨風凌げる関係を築ける人と出会って関係を築けたら最高だなって思う。

だから、愛しいと言っても、私の使うその愛しいって言葉の意味合いは私自身もいまいちよく分かっていない。ただ、私にもまだ生身の人間を愛しいと思える気持ちがあったことが嬉しかったしそれでわりと十分な気がしている。


もし、衣食住の順に恋愛が進んでいくなら、多分、私はしばらくの間、着る恋愛から止まってる。もしかしたら、これまで、ひとつもまともに着こなせたことはなかったかもしれないけど、これからは住む恋愛一択にしたいと思う乙女心があったりする。でも、もしかしたら、22歳、食べる恋愛ができる最後のチャンスかもしれない気もしている。また着てしまうかもしれない気もしている。でも、時間全てが自分の支配下に置けない社会という海に飛び込んだ22の夏に思うのは、これからしたいのは住む恋愛だなってことだ。だからこそ、今目の前に落ちてる愛しいって思う気持ちを食べるか住むか迷ってしまう。「恋」なんて言葉は青臭くはないかと様子を伺ってしまう。

 

さっきから、ジャニヲタブログのくせに恋愛なんて単語が並んで気味悪いだろうけど、愛しいという感情を目の前に、これを恋と言ってくれるな。愛と言ってくれと思う。よく分かんないけど、大事にしたい気がする。この気持ちを。

 

 

20代の着地点なんていろいろある
落ち着かなくたって、答えを出さなくたっていいんじゃないかと思っている

でも、私は内心こんな風に考えているから
周りの普通と違うかもしれない
義理と感謝で人を愛そうと思ってしまってるから、多分もう恋なんて出来ない
それは後ろ向きなんかじゃなくて前向きなことだって、誰か頷いてくれる人がいたらいいと思って書いてみた

 

今日は好きだけど、明日は嫌いかもしれない

素敵な人と思った途端になんだこいつと思うかもしれない

でも全部ひっくるめて今は愛しいんだ、伝わってくれ

でも応えてくれなんて思ってない

恋じゃないから、愛だから

ってそんな高尚な物じゃないかもしれないけど

目の前の気持ちで一喜一憂したりジタバタしたりしない

恋と言うな、愛と言え

恋をするな、愛せよ私

 

 

寂しいけど、全然寂しくなんかない

会社の同期と飲んでたら、隣に座ってた男子が急に、真面目な顔して、「なんで彼氏いないの?」と聞いてきた。
知るか。こっちが聞きたいよ。私に聞かないでくれ。理由は私にあるんだろうけど、それが分からないから今、彼氏がいないんだ。


大学4年間を東京という土地で過ごしたけれど、結局、地元で働いている。東京の何倍も広い所なはずなのに、なんでこんなにも筒抜けなんだろうか。職場には、高校の同級生のお母さんがいるし、毎朝乗る電車は、友達の妹と一緒だ。勤務中、電話を取れば、親の勤め先からの電話で、名前を名乗っただけで、親に「娘さん○○会社に入られたんですね」と伝わる。母校の制服を着た子たちが他人に見えない。

地元は好きだ。東京に比べたら何もないけど。
良い所だけど、何もないから、東京で働きたかった。一人で東京で暮らしたかった。東京は、人の喜怒哀楽がいつでもそこらじゅうに落ちているからだ。
今、私が暮らすこの街は、東京に比べたらなんにもない。私が今どこの会社で働いているかが、光より速く知り合いに伝わるように、私の喜怒哀楽が全部筒抜けになっているような感じがする。人との繋がりの中で生きている実感も同時にするけれど、なぜか寂しい。
逆に、東京は人が多い。うんざりするほど多い。まったく、賑やかなところだ。そのおかげで、一人でも全然寂しくない。東京のど真ん中のスクランブル交差点を歩く人だって、みんなみんな点と点だ。万有引力によって引き寄せられた一人ぼっちの集合体だ。その中にいれば、寂しいとか悲しいとかいう気持ちが、街中に溢れた嬉しい楽しいで薄まるのを感じるのだ。


某日金曜の夜、東京・新宿。
私は、飲みの席で、同期の男子に、なぜ彼氏がいないのかと聞かれていた。
なぜだろう。点と点の方が寂しくないなんて思ってるからなんじゃないだろうか。寂しさに対して鈍感でいたいからなんじゃないだろうか。そんなことばっかり浮かんでいた。
すると、向かいの席の男子がタバコの煙を吐きながら言った。
「ななんちゃんは、一人で生きていけそうだからね。」

私は、少し間を置いてからメニューを手に取った。パラパラとめくりながら、店員を呼んで「この店、かわいげってありますか?」と尋ねる自分を想像した。ネタかよ。いや、疲れか。今日は終電で帰ろう。絶対帰ろう。というか、研修という名の出張も終わったわけだし、さっさと地元に帰ろう。


確かに、そうなんだ。なぜか分からないけど、私は昔から、大抵のことは一人で解決してしまえる。
大抵のことは一人で乗り越えられるし、大抵の場所も一人で行ける。
大抵のことは。

一人で生きていけそうと言われたら、生きていけるよと答えるだけだ。
例えば素敵な映画を見て、「よかった」と言える人が隣にいなければ、帰りの電車は各駅停車に乗って感傷に耽るだけだし、光くんがカッコいいと思えばツイッターで騒いで気が済む。


でも、つくづく思うのは、どんなことだって、一人より誰かと一緒の方が絶対もっと楽しいってこと。一人で充分だと思うことだってあるけど、それはどう足掻いても大抵のことだけだ。
行ってみたいご飯屋さん、一人だって行けるけど、せっかく行くなら誰かと一緒に行って、「美味しいね」って話しながら食べたい。その方が絶対美味しい。光くんがカッコいいというツイートに反応があればより嬉しいし、TLに同じようなツイートが溢れれば贅沢だと思う。

って分かっているんだけど、グズグズしてる時間は、残念ながらない。私は、社会人というスタートラインに立たされて、訳も分からぬまま、「よーいどん」と言われて走り出してしまった。私が待ってと言っても、私の毎日は待ってくれない。自分の手と足を動かして呼吸をして走り続けるしかない。そして、気がつけば25になって、気がつけば30になって…って、歳を取っていくんだろう。


オギャーと生まれて、生き始めてしまったからには、生きていかなくてはいけない。
人は一人で生まれてきたじゃないか。一人で生きていくしかないじゃないか。
私を生きるのは私しかいないじゃないか。


一人で生きていけなさそうな人の方が幸せになれるの。
一人で生きていけそうだからって、私はまた、一人で、大丈夫じゃないことにも大丈夫と言い続けなければいけないの。
助けてって言われてないから助けてくれないの。
幸せにしてなんて難しいこと求めてないの。些細なことで幸せになれるの。


なのに、一人で生きていけそうだからってだけで、我慢したって、強がったって、しっかりしたって、報われない。
それでも、トイレの鏡に映る、強がりを目一杯貼り付けた自分を見つめて、「寂しくなんかないよね?」「大丈夫だよね?」と問いかけて、前髪を直すフリして目を逸らして、瞬きをして、何事もなかったように出て行く。
「大丈夫」って言葉はもう、人を心配させないための言葉なんかじゃない。自分が安心する、「あ、私、まだ大丈夫」って思える、お守りみたいなもの。



寂しくない。辛くもない。でも寂しい。
でも、少なくとも私は自分を生きる意思はある。
一人じゃ生きられないから私を生かせてなんて、他力本願じゃなくて、自分の言葉で幸せを定義したい。
だから、薄めたい。寂しいとか悲しいとか、そういう気持ちを。誰かと一緒なら薄まる気がするんだ。凌げる気がするんだ。紛れる気がするんだ。
言葉はいらないんだ。そういう気持ちも必要なんだ。


テーブルの奥の方に座っていたはずなのに、気がつけば、一番入り口の近くにいた。注文するものを取りまとめ、空いたグラスを下げてもらう。結局、そういう役回りだ。

あ、一人で生きていけそう。
でも、やっぱり、一人より誰かと一緒の方がずっといい。
面倒臭いかもしれないし、煩わしいかもしれないけど、誰かと一緒ならきっと薄まる。
空いたグラスを見て、「何飲む?」とメニューを渡す。そう、その氷が溶けて薄まったお酒みたいに。