門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

「数々の場面」

いつの間にか、あの時、取材陣の前で謝った薮くんの年齢を、私はもう追い越してしまっていた。時の流れとはなぜこうも残酷なのだろうか。

君のいない毎日に、自然と慣れてしまった。時間のせいなんだ。だって、忘れてしまったわけではないのだから。
あの晩、偶然見つけた写真を見ても、現実だなんて思えなかったこととか、翌朝、現実だと知った時のショックとか、「これからHey!Say!JUMPどうなるんだろう」と内心取り乱したまま学校に行ったら、なぜか小山担の友達が教室で号泣していてたこととか、事実だけはこびり付いて離れないのだ。


あれから、君の名前を耳にするたびに、「君がいたら」とか「君がいれば」なんて枕詞をつけて「どんな今があっただろう」って想像したりすることが何度あったか分からない。
でも「別れはまた会う約束さ」なんて、言える状況や立場にあった人は一人もいなかった。
10人で笑い合ってた日のことを話してはいけないと言われているような気が、ずっとしていた毎日だった。


君は必ず戻ってくると信じていたファンもいた。きっと君もその存在を知っていたはずだ。でも、Hey!Say!JUMPと「数々の場面」を共に過ごすことができなかった君への、ファンの願いが叶うことはなかった。


君がここにいたという過去を知らない人の方が多くなって行くのかもしれない。私たちも慣れて、いつしか忘れてしまうのかもしれない。

でも、こういう形ではあるけれど、君はまた私たちの前に現れることができたし、新たな道を歩き始めることができた。
私には、美談にする気も、なかったことにする気もないけれど、君は必ず戻ってくるという願いは無駄じゃなかったということだというのは感じている。
君がこうして新しいスタートを切ってくれたことで、話せなかったことが話せるようになるかもしれないし、傷口が塞がっていくかもしれない。それはすごく、すごく大きな一歩だ。君にとってもHey!Say!JUMPにとっても。


君と同じ場面を共有して笑い合うということは、この先ないだろう。でも、この世界のどこかに君が笑える場所があって、歩む道があるなら、私はここからだけど、見守っていようと思う。


君が大人になっていく過程を誰より見たかったのはHey!Say!JUMPのファンだ。


「別れはまた会う約束」にはできなかったけど、これから「別れは君想う時間」にできる気がする。きっとできるさ。たぶん、それでいいと思うし。それしかできない気がする。


ちゃんと進んでくれてよかった。
ありがとう。そして、がんばれ。





久しぶりにJUMPの出演番組をリアタイした

生きているということ
いま生きているということ
それは終業時刻が近づいてそわそわするということ
残業せずに帰り支度を始めるということ
同期からの「飲みに行こう」というお誘いを断るということ
いつもより大きな声で「お疲れ様」を言うということ


生きているということ
いま生きているということ
それは光くんがかっこいいということ
それはHey!Say!JUMPが仲良しすぎて気持ち悪いということ
それはHey!Say!JUMPが笑顔で歌って踊っているということ


生きているということ
いま生きているということ
頑張っているHey!Say!JUMPの姿を見れるということ
そんな彼らに「私も頑張っているよ」と言えるということ
私の毎日がそれなりに充実しているということ
大好きな人がいるということ
Hey!Say!JUMPが好きだということ






はい、パクリです。大好きな詩人さんなんです。
新生活が始まりました。
ちゃんと大学卒業できましたよ。
ちゃんと入社した会社で研修受けてますよ。

配属地と研修地が離れている関係で、寮生活です。
最初は嫌でしたが、結構楽しい。
寮のルームメイトが高木担だった。
JUMPが引き合わせてくれたのかなって思ってしまうくらい、彼女と出会えたのは奇跡的なこと。
新曲や早売りにあーだこーだいいながら、木曜朝は食堂のチャンネルを奪う…それなりに楽しい。
だがしかし、門限はあるわ、消灯時刻はあるわで、テレビはほぼ見れない。
木曜朝のご飯の時間と週末家に帰ったとき。週末は、あまり時間がなくて見切れずにまた月曜日になってしまう。

消灯時間内に観れるJUMPの冠番組はそもそもない。
少プレへの出演が決まったときから、絶対にリアタイしようと意気込んだ。
研修が終わって、晩ご飯を食べて、お風呂にも入る。
最近、研修内でのテストがあった関係で、定時で帰る人はほぼおらず、研修場所が閉まるまで残ることが暗黙の了解としてあったから、早く帰れるかが微妙だった。

当日なんとか、研修が終わって、誰もいない食堂で全力で晩ご飯を食べ、一番風呂に入り、テレビの前に。
私は洗濯機が作動しないというトラブルで番組の冒頭は見逃してしまったが、2人でテレビの前で、JUMPの姿を見守った。


単純に嬉しかった。
衣装がダサいとか観る前からいろいろ文句言っていたくせに、見終わってテレビの前で2人で泣いて、「生きててよかった〜」と叫んだ。


これ以上、幸せなことってないんじゃないかと心から思った。
Hey!Say!JUMPが好き!って実感が生きてるって実感と重なった。


誰もが知るあの詩をパロってしまったが、私にとって、今の私にとって生きるってそういうことだ。
と久しぶりにJUMPの出演番組をリアタイして思った、というお話でした。



絶対的存在


有岡くん、25歳のお誕生日おめでとうございます。


メンバーの誕生日が近づいてくると、どんなことを書こうか考えるのですが、今回はまず、今の私が思う有岡大貴をいくつかの言葉で表してみようと思います。



"有岡大貴"とは…

「『大ちゃん』世界制覇」

「欲しい言葉をくれる人」

「ファインプレーボーイ」





「大ちゃん」世界制覇


これは、私の個人的な夢です。
この国の人々が、いや、世界中の人々が、「大ちゃん」と呼ぶ世界が来たらいいなと、ずっと思っています。

老若男女問わず「大ちゃん」って呼ばれてほしい。「大ちゃん」っていろんな人から親しまれる存在に、国民的な人になってほしいって、私は密かに思っています。

「大ちゃん」という呼び名で日本を世界を制覇してほしい!世代も性別も国境を越えて、「大ちゃん」って呼ばれる平和で笑顔の絶えない世界を作ってほしいんです。




「欲しい言葉をくれる人」


大ちゃんの言葉には、不思議な力があります。
食レポやロケ先での、斬新な言葉選びや、男兄弟しかいないとは思えないくらいきれいな言葉遣いはもちろんですが、なにより、ファンがJUMPに言って欲しい言葉を、誰よりも先に、きちんと届くように、欲しい言葉をそのまましっかりくれるのは、いつも大ちゃんだったと思うんです。


JUMP結成5周年くらいのドル誌でのファンに向けたメッセージ、JUMPとファンが一番辛かった2013年の「全国へJUMPツアー」での挨拶…なんて挙げたらキリがないし、書き出したら泣いてしまいそうですが、大ちゃんの言葉はいつも私の心に真っ直ぐ刺さります。

「ファンのみんなが自分を作ってくれた」
なんて、言ってくれるアイドル、大ちゃんだけだと思うの本当に。



だから、きっと、大ちゃんのファンは特に、その気持ちに、言葉に、応えたいと思っているに違いないと思うのです。


それこそ、食レポやインタビューでの発言、どんな些細な言葉もしっかり伝えてくれていて、無駄な言葉なく、ストレートに自分の気持ちを伝えて、ファンや周りのことを思いやってくれているのは、大ちゃんのファンでなくても日々感じるし、だからこそ、大ちゃんの言葉には期待をしてしまいます。"大ちゃんなら、欲しい言葉をくれるだろう。"とか、"大ちゃんなら、分かってくれるだろう"とか。
それにちゃんと応えてくれる大ちゃんの存在は、私にとっても支えになっていたし、私でもそうなのだから、JUMPのみんなはもっとそれ以上に、大ちゃんの言葉や存在が支えに、力になっているんじゃないかなと思います。




「ファインプレーボーイ」


昨年の誕生日の記事で私は、大ちゃんのことを「ミラクル」と表現したけど、1年経て訂正させて頂きます。

この1年で気づいたことは、大ちゃんは「ミラクル」じゃなくて「ファインプレー」をしているんだと。

勝手に巻き起こった事象ではなく、大ちゃんがファンやメンバー、目の前のスタッフさんやお客さんを、「楽しませよう」「笑わせよう」「喜ばせよう」と思っているからこそ、起こることなんだと。「ミラクル」ではなく、「ファインプレー」という表現の方が相応しいと気づきました。


ヒルナンデスで「安定の八乙女、不安定の有岡」と言われたことがありましたが、むしろ大ちゃんこそが安定を具現化したような人で、多分、全部仕掛けや仕組みがあると、私は踏んでいます(憶測w)。


とにかく、求められることに応えるポテンシャルは高過ぎてむしろ未知数の域(笑)。
24時間テレビ」で見せてくれた、生放送において一人でコーナーを捌き切った姿が私はとても印象的です。
深夜の競技場で、スタジオに、視聴者に、言葉を届け続け、一人離れた場所で与えられた役割を果たしていて、頼もしいと思いました。


思えば、いつだって、大ちゃんの打順は、ツーアウトランナーなしの時に回って来て、ホームラン打って、ホームに帰ってくる。そんな風にピンチをチャンスに、後ろ向きの風を前向きに、上手く言えませんが、そんな風にいつもJUMPのために「良い」プレーをしてくれる人だなと思っています。


どれだけ大ちゃんに身を委ねても、なぜか絶対に潰れないし、笑ってあの柔らかい声で心に矢を刺す。
単純そうに見えるのに、「好き」って言ったって絶対届かなくて、気づいてくれなくて、気づいてるんだろうけどスルーされるからちょっと悔しくて。


そんな大ちゃんはグループに絶対必要な存在。大ちゃんが居てくれたから、JUMPはこんなに仲のいいグループになったんだと思います。
隣にいる人を輝かせてくれるような、その人らしさを引き出してくれるような。
有岡くんはそんな人なんじゃないかと思います。

ごめん、今だから言うけど、ロミジュリとかスクティとか、なんで大ちゃん?って思ったこともあった。なんで大ちゃんってそこまで露出多くないのにそんな人気あるの?って思ったこともあった。

でも、今は分かります。
だって、私の知っている有岡担はみんな幸せそうだから。辛い気持ちを共有するとか、惰性で担当を続けるとか、そんな気持ちで有岡くんを応援している人を見たことがない。
みんな有岡くんのことを好きになってよかった、幸せだと思っているような気がするし、相対的なものでなく、絶対的に人を幸せにできるのは、有岡くんの最大の武器だと思うんです。

これからも、周囲の人を明るくさせて、安心させて、持ってるものを最大限発揮させてあげられるような、人の色を殺さず、有岡くんらしさもちゃんと共存させられるような、今の有岡くんの良さを大事にして、変わらないでいてほしいと思っています。


上手くまとまらなかったし、感動的なことが書けなくて申し訳ないですが、有岡くんにはそう在り続けてほしい。そんな風に思います。
少し過ぎてしまいましたが、25歳のお誕生日、おめでとうございました。




君の色

遅ればせながら、岡本圭人くん、23歳のお誕生日おめでとうございます。
23歳になった君へ、「今は将来を語るより、早く追いつきたい」*1と言う君へ…
私も、君について語るより先に、とある曲の歌詞を届けたい。
誰かと比べて、今の君に足りないものがあるなんて、私はちっとも思わないから、"追いつく"だなんて言わず、君らしくやってほしいと思う。



あか あお しろ きいろ 咲いた花のように
僕の色 君の色 みんなキレイだね
みずいろ みどりいろ 未来はどんな色?
前を見て 胸張って もっと夢色

元気出してこっち向いて うつむいてないで笑顔見せて
忘れないでどんな時も 僕がそばにいるよ

「自分には似合わない。」そう決めつけてた
あの服を もう一度着て カラフルな街へ出かけよう
今すぐ!

あか あお しろ きいろ 思いっきり描こう
それぞれの 画用紙を はみ出すくらいに
僕ら混ざり合えば 何色になるかな?
雨上がり 見上げてる 空は虹色

簡単には逢えないけど 「神様」ってちゃんといるんだよ
小さなズルも がんばりも すぐ近くで見てる

過ぎ去ったことを引きずってないで
目の前の幸せとか 楽しい時間を もっと大切にしようよ

あか あお しろ きいろ どんな種をまこう
僕の夢 君の夢 きっと叶えよう
みずいろ みどりいろ 未来はどんな色?
前を見て 胸張って もっと夢色

あか あお しろ きいろ 咲いた花のように
僕の色 君の色 みんなキレイだね
みずいろ みどりいろ 未来はどんな色?
前を見て 胸張って もっと夢色





Hey!Say!JUMPの「夢色」と言う曲の歌詞。かつて、忍たまのエンディング曲として歌われていた曲。
君に、この歌詞に並んだ言葉、一つ一つを届けたいと思った。私が今ここでこんなふうに思っているということが届いてほしいと思った。


君は、「なりたい自分の姿がたくさんある」と言った。それはとても素敵なことだと思う。
でも、その発言をした「9年目の自画像」を読んで、私が一番に感じたのは、"彼は、自分の色をまだ見つけられていないのだろう"ということだった。



君は、一体何色なの?何色を着たいの?



身体はひとつ。君はたったひとり。
一度に全部は着ることはできない。


選んだら選ばれないものが生まれるし、何かを好んだら好まれないものが生まれる。目に映るのは、反射された色。嫌われた色。好かれた色は目には見えない。
理不尽かもしれないけど、世界はそうやってできている。というか、そういう対立した概念でバランスを保っている。


君は、心の広い人だ。目に映るもの全てを愛そうとする。受け入れようとする。
誰のために?
もちろん、自分以外の誰かのために。


メンバーやファンは、孝行とか、恩返しなんて、そんな報いは最初から求めてなんかいない。
少なくとも、私は、君と一緒に、君に一番似合う色を探したいと思うし、君にぴったりな色を見つけてあげたいって思う。
何度だって塗り直していいんだよ、君は。
グループには、塗り直さないほうが良い子もいるし、塗り直せない子もいるかもしれない。
でも、君はきっと、何度だって塗り直してくれていい。塗り直してほしい。気に入らない、これじゃないって、収まらないやつでいてほしいんだ。そういう人になってほしいって、超個人的かもしれないけど思っている。
もっと、多くの色に染まって、そこからしっくりくるものを見つけて行けば良い。しっくりこなくたって良い。


チャンスの順番は、待ってたって回って来ない。
だから、たくさん着てみるんだ。
似合わないなら似合わないって、ちゃんと言ってくれる仲間が人が、君にはちゃんといるから。


君の色を、君らしい色を
見つけてほしい。

そして、夢を見て、夢に色を塗って、塗り直していけばいい。



君に届いてほしい。

「前向いて 胸張って もっと夢色」


23歳のお誕生日おめでとうございます。
いろんな色に染まった君が沢山見れる1年になりますように。

*1: ポポロ「9年目の自画像」

映画「暗殺教室〜卒業編〜」 感想

映画「暗殺教室〜卒業編〜」を観た。無事に観れた。

 
 
1年前、前作である「暗殺教室」が公開された時、私は就職活動を始めたばかりで、今日を明日に繋げることで精一杯だった。ただ、1年後の自分の無事だけを祈って。そのために朝起きてスーツを着てパンプスで歩き続けていた。
 
 
映画への出演が決まると、その映画が公開される1年後の自分を想像してしまう。
そして、1年後の自分が泣いていないか、辛く苦しい思いをしていないか、そんなことを考えてしまう。
続編が決まった時もそうだ。「2016年3月公開」の文字に楽しみは少しもなかった。就職先が決まってなかったら、卒業できなかったら、映画どころじゃない。考えたのは"最悪な事態"に直面している自分だ。
一寸先も闇だ。でも、目の前の就職活動が、ゼミが、授業が、きっと1年後の自分を笑顔にさせる。そう思って、そう言い聞かせて毎日過ごすことしかできなかった。
 
 
昨年の前作の公開から、続編である今作の公開までの1年間、私は、就職活動をして内定を貰い、この先を生きていける約束みたいなものを手に入れた。1年前は、テーマすら決まっていなかった卒業論文も書いた。提出して教授から「すごく良かった」と褒められた(笑)。1年前は、確定していなかった卒業も、出来た。
前作の時には、何一つ確実になっていなかったものたちを、この1年で何とか確実なものにすることが出来た。言い換えれば、変化の大きい1年だった。
 
あの時、なにも見えなかった、いや、片鱗すらなかった1年後を生きている。そして、「暗殺教室〜卒業編〜」を観た。
無事に、1年後を生きて、映画を観に行くことが出来て、本当によかったと思う。
 
 
 
 
 
確か雑誌「FLIX」のインタビュー。この言葉が山田くんらしくて私はすごく好きだ。
山田くんは昔から「目標は定めないタイプ」だとか、「ゴールは見えない方がいい」だとか、「目標より今が大事」というスタンスで生きていたのを私はずっと見てきた。
 
私は、好きなアイドルの映画出演が決まった時、真っ先に映画が公開される1年先の心配をしてしまうような人間だ。
何をするにも、じっくり考えてからでないと、先の見通しが立たないと、ゴールが見えないと動けない。
1年先だけじゃない。1ヶ月、いや、毎日、どんなにちっぽけでも毎日目標を必ず立てるし、目標を達成するために動くことで今を生きていると感じる。
 
でもこの1年、考えても考えても見通しなんて立たなかったし、それでも想像してしまう"最悪な事態"を回避するために、今何をしたらいいのか、何ができるのか手掛かりも何もなかった。そんな不確実だったもの、つまり0だったものを、私はこの1年で1に、少しだけ確実なものに出来た。まだ不透明感はあるけれど。
気がつけば、山田くんと同じ「ゴールの見えない」生き方をしていた。山田くんの場合は、「見えない」のではなく、「見ない」生き方かもしれないけれど、答えが分からないまま今を生きている点では同じだろう。
 
その生き方は、しっくり来ることはなかった。暗闇の中を明かりも持たずに進むような毎日に不安は尽きない。失敗したらと考えると足は竦む。目標に近づく手応えのようなものもない。
でも、考えても考えても答えが出せないこともあるし、答えが出てなくてもどうにかするしかないこともある。
なにより、スタート地点で答えなんか出てなくたって、歩くルートが決まってなくたってどうにかなる。
そういう毎日も悪くなかった。今、私は、こうして映画を観に行けたから。私が1年前に想像していた今より、随分心軽やかに過ごせている。心配症なので、相変わらず考え事や悩みは尽きないし、ちまちま目標を立てて、一個一個クリアして行くことで生き延びている。
でも、考えてから行動に移すまでの時間はかなり短くなった。あれこれ綿密に考えなくてもその場その場でどうにかすればいいかと思えるようになった。人並みにとまではいかないけれど(苦笑)。
なんとなく、「胸を張れる暗殺をしましょう」という殺せんせーの言葉が、私の超慎重な生き方と山田くんの生き方の中庸に居てくれているような気がしている。
 
 
「卒業」が今作のテーマだった。
前作では、殺せんせーを暗殺するという「目標」は、なんだか現実味のないものだった。
でも今回は、殺せんせーとの別れが目の前まで迫ってきていた。
 
3年E組のみんなは、みんなで、ひとつの「卒業」の形を選んだ。ぶつかり合ったけど、みんなで決めたからそれでいいと思えた。それがいいと思えた。
悲しいけど、寂しいけど、それがいい。それしかないって思えた。
 
 
原作の実写化は、どんな作品でも賛否両論がある。
見応えのあるアクション、やり過ぎなくらいの炎や爆発音を出す演出、生徒一人ひとりのキャラクター、長い原作を2時間で収める脚本。
全部、これしかないと思った。実写版の模範解答だと思った。
 
漫画を実写化するのってそもそも次元が違うから無理がある。
「渚はもっと華奢だ」という人がいるけど、原作者の松井先生も仰るように、あれだけのアクションを再現するには、山田くんの筋肉や体格は必要なのだ。
「渚だけ、髪の毛の色が違う」という人がいるけど、カルマの赤髪やビッチ先生の金髪と、水色は訳が違う。
もし原作通り山田くんが水色に髪を染めたとしたら、それはそれで見るに堪えないものになっていたように思う。
 
 
演出ひとつひとつ、セリフひとつひとつ、目線、仕草、全てにちゃんと意味があると感じた。
きっと原作の漫画もそうだ。
どんな作品も連載を読むと、「それページ稼ぎだろ」「そのエピいる?」みたいに感じる瞬間がよくある。でも、原作は原作でそういうページやエピソードも、原作のアイデンティティーとしてきっと必要なんだと思った。
 
原作潰しの実写化は、数多あるが、「暗殺教室」の実写化に関しては、これ以外の解があるなら挙げてみろよ、と思うくらい、納得の出来る実写版になったような気がする。
主演の山田くんや菅田くんはじめ、出演者やスタッフのみなさんが原作愛をきちんと持っているのが伝わってきた作品だったし、逆に、原作者の松井先生が実写化に伴ってあらゆることを寛容に理解してくださったんだなということも痛感した。
前作の時から、松井先生の気さくさや寛容さには驚かされっぱなしだった。
バクマン。」でジャンプで連載を持つ漫画家やスタッフの激務さを刷り込まれていたからか、連載中にも関わらず、メディアに出て、取材を受け、しかも公開される仕事場はいつもキレイにされていて、松井先生も漫画家とは思えぬ清潔な格好をされていて。
しかも今作では、連載を映画と連動させてくれ、しかも映画の脚本にまで関わってくださるという協力ぶり…
さらに、映画も絶賛してくださって。
 
原作者の松井先生が、本当に惜しみなく力を貸してくださって、実写版にも愛を持ってくださったからこそ、出演者、特に山田くんが矛先を向けられることなく、映画を観る人も原作ファンも気持ち良くこの作品を受け入れられるような気がする。
 
本当に松井先生のお力添えは大きい。
 
 
あと、お力添えといえば、もう一人。
殺せんせーの声と死神役をやってくれたニノ。
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞二宮和也さんが主演じゃないんですよ?しかも、主演後輩なんですよ?
後輩の主演作にも関わらず、素敵に死神を演じてくれてて。しかも、その死神が儚くて本当に素敵で。
物語を作る1ピースになってくれててありがたかったし嬉しかった。
 
表情も言葉も自然で、本当にすごいと思った。あんなにずぶ濡れになって、アクションシーンもやらされて後輩より身体張らされて。それでも「ニノだ」って変に悪目立ちせずに、ニノ自身も「二宮ですけど」って偉ぶることなく本当に自然に演じて物語に溶け込んでくれてて…山田くんよかったねって。前作では「花を添えてくれて」なんてことしか言えなかったけど、今作では「出てくれてよかった。力を貸してくれてありがとう!」って思えた。
 
あと、何より茅野役の山本舞香ちゃん。
私は彼女のことずっと好きなんで、過大評価しかしませんけど、茅野が暴走するところとか、本当に引き込まれた。
なにより容姿が良いから絵になるし、あのかわいい茅野ちゃんが…っていう落差に釘付けになった。
茅野ちゃん今作キーパーソンだったのは知ってたけど、完全に主演食ってるなって思いました。渚霞む霞む(笑)
舞香ちゃんの役の幅が広がる役になるんじゃないかなって思うので、他の生徒役のみんなにもこの作品がそういう作品になれば良いなって心から思えた。
あと、ジヨンちゃんも前作から比べて日本語のセリフ回しが上手くなっててすごいと思った。ビッチ先生かっこよかったな〜
 
 
最後の最後で、椎名桔平さんが、ほんの2、3秒で目に涙を浮かべる表情をするんだけど、それには全て持ってかれたな!
数秒間のシーンで気持ちが全部伝えられるあの演技は本当にすごい!!!
 
 
前作を観た時、自担(当時)を大きなスクリーンで観ることができたのがすごく嬉しかったのを覚えてる。私は、それまで、山田くんに与えられる俳優仕事に不満をいっぱい持っていた。全部山田くんは悪くなかった。余計不満だった。だから、山田くんの俳優仕事に期待してなかった。
それが、前作を観て、お芝居をする山田くんが好きだと思えた。これからもっと大きくなってほしいと思えた。
あれから、山田担ではなくなったこともあいまって(これが一番大きな変化かも)、不満は一つもなかったし、不安もなかった。
山田くんがこの作品を大切に思っているのもいろんな言葉から伝わって来てたし、自分のためじゃなくて、グループのためにとか、出演してる生徒役のキャストのためにとか、いろんな人のためにがんばっているのが伝わってきて。
今回、生徒みんなにスポットが当たっていて渚の出番はあんまりなかったけど、カルマとの対決シーンとか最後の殺せんせーとのシーンとか大事なところでちゃんと存在感を発揮していて、さすがだなと思った。
 
 
最後の泣きのお芝居は、山田くんの真骨頂だなと思った。真っ直ぐ頬から顎に伝う涙にこっちも泣かずにはいられなかった。
 
この作品は、山田くんの青春だと思う。前作同様、現場の雰囲気が良いんだなっていうのが伝わってきたし、そういう雰囲気を主演として作ってるんだろうなとか、これまではいろんなものを背負っていたけど、作品に全てを集中させて打ち込めたんじゃないのかなというのが伝わってきました。
 
 
動員数が今年?最速で100万人を突破したそうですね。
結果がちゃんとついてくることが多くなって本当によかった。
ニノも出てるし、二宮担が観ても損はないくらいだけど、山田くんはニノとも良い関係も築いていたし、主演として求められる以上のことを果たしてくれたんじゃないのかなと思います。
 
超個人的に思うのは、羽住監督のやり過ぎな演出は山田くんにすごく合うなって思ったので、また羽住組に呼ばれるといいなって思うし、監督にも「また仕事したい」って思ってもらえてたら嬉しい。そして、この作品を観て「山田くんと仕事してみたい」って映画関係者の方、ドラマ関係者の方が一人でも多くいたらいいなと思います。*1
 
 
山田くんには、ニノみたいに有無を言わせない俳優になってほしい!日本アカデミー賞授賞式で言っていたように、先輩の背中を追いかけてほしい!!
とっさに求められたコメントで、山田くんの謙虚すぎる部分が出ちゃったけど、本当は追い抜きたいと思ってるはずだからぜひ!普段は高飛車なんだから!(笑)
 
 
いやー、本当に映画観れてよかった。観に行けないと思ってた。笑
 
 
 
 
 
 

*1:「ピンクとグレー」の時、行定監督から菅田くんに対しては「また仕事をしたい俳優の一人ですね」って言葉が出たけど、裕翔くんに対しては言ってくれなかったのが本当に悔しかったので