門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

君の色

遅ればせながら、岡本圭人くん、23歳のお誕生日おめでとうございます。
23歳になった君へ、「今は将来を語るより、早く追いつきたい」*1と言う君へ…
私も、君について語るより先に、とある曲の歌詞を届けたい。
誰かと比べて、今の君に足りないものがあるなんて、私はちっとも思わないから、"追いつく"だなんて言わず、君らしくやってほしいと思う。



あか あお しろ きいろ 咲いた花のように
僕の色 君の色 みんなキレイだね
みずいろ みどりいろ 未来はどんな色?
前を見て 胸張って もっと夢色

元気出してこっち向いて うつむいてないで笑顔見せて
忘れないでどんな時も 僕がそばにいるよ

「自分には似合わない。」そう決めつけてた
あの服を もう一度着て カラフルな街へ出かけよう
今すぐ!

あか あお しろ きいろ 思いっきり描こう
それぞれの 画用紙を はみ出すくらいに
僕ら混ざり合えば 何色になるかな?
雨上がり 見上げてる 空は虹色

簡単には逢えないけど 「神様」ってちゃんといるんだよ
小さなズルも がんばりも すぐ近くで見てる

過ぎ去ったことを引きずってないで
目の前の幸せとか 楽しい時間を もっと大切にしようよ

あか あお しろ きいろ どんな種をまこう
僕の夢 君の夢 きっと叶えよう
みずいろ みどりいろ 未来はどんな色?
前を見て 胸張って もっと夢色

あか あお しろ きいろ 咲いた花のように
僕の色 君の色 みんなキレイだね
みずいろ みどりいろ 未来はどんな色?
前を見て 胸張って もっと夢色





Hey!Say!JUMPの「夢色」と言う曲の歌詞。かつて、忍たまのエンディング曲として歌われていた曲。
君に、この歌詞に並んだ言葉、一つ一つを届けたいと思った。私が今ここでこんなふうに思っているということが届いてほしいと思った。


君は、「なりたい自分の姿がたくさんある」と言った。それはとても素敵なことだと思う。
でも、その発言をした「9年目の自画像」を読んで、私が一番に感じたのは、"彼は、自分の色をまだ見つけられていないのだろう"ということだった。



君は、一体何色なの?何色を着たいの?



身体はひとつ。君はたったひとり。
一度に全部は着ることはできない。


選んだら選ばれないものが生まれるし、何かを好んだら好まれないものが生まれる。目に映るのは、反射された色。嫌われた色。好かれた色は目には見えない。
理不尽かもしれないけど、世界はそうやってできている。というか、そういう対立した概念でバランスを保っている。


君は、心の広い人だ。目に映るもの全てを愛そうとする。受け入れようとする。
誰のために?
もちろん、自分以外の誰かのために。


メンバーやファンは、孝行とか、恩返しなんて、そんな報いは最初から求めてなんかいない。
少なくとも、私は、君と一緒に、君に一番似合う色を探したいと思うし、君にぴったりな色を見つけてあげたいって思う。
何度だって塗り直していいんだよ、君は。
グループには、塗り直さないほうが良い子もいるし、塗り直せない子もいるかもしれない。
でも、君はきっと、何度だって塗り直してくれていい。塗り直してほしい。気に入らない、これじゃないって、収まらないやつでいてほしいんだ。そういう人になってほしいって、超個人的かもしれないけど思っている。
もっと、多くの色に染まって、そこからしっくりくるものを見つけて行けば良い。しっくりこなくたって良い。


チャンスの順番は、待ってたって回って来ない。
だから、たくさん着てみるんだ。
似合わないなら似合わないって、ちゃんと言ってくれる仲間が人が、君にはちゃんといるから。


君の色を、君らしい色を
見つけてほしい。

そして、夢を見て、夢に色を塗って、塗り直していけばいい。



君に届いてほしい。

「前向いて 胸張って もっと夢色」


23歳のお誕生日おめでとうございます。
いろんな色に染まった君が沢山見れる1年になりますように。

*1: ポポロ「9年目の自画像」

映画「暗殺教室〜卒業編〜」 感想

映画「暗殺教室〜卒業編〜」を観た。無事に観れた。

 
 
1年前、前作である「暗殺教室」が公開された時、私は就職活動を始めたばかりで、今日を明日に繋げることで精一杯だった。ただ、1年後の自分の無事だけを祈って。そのために朝起きてスーツを着てパンプスで歩き続けていた。
 
 
映画への出演が決まると、その映画が公開される1年後の自分を想像してしまう。
そして、1年後の自分が泣いていないか、辛く苦しい思いをしていないか、そんなことを考えてしまう。
続編が決まった時もそうだ。「2016年3月公開」の文字に楽しみは少しもなかった。就職先が決まってなかったら、卒業できなかったら、映画どころじゃない。考えたのは"最悪な事態"に直面している自分だ。
一寸先も闇だ。でも、目の前の就職活動が、ゼミが、授業が、きっと1年後の自分を笑顔にさせる。そう思って、そう言い聞かせて毎日過ごすことしかできなかった。
 
 
昨年の前作の公開から、続編である今作の公開までの1年間、私は、就職活動をして内定を貰い、この先を生きていける約束みたいなものを手に入れた。1年前は、テーマすら決まっていなかった卒業論文も書いた。提出して教授から「すごく良かった」と褒められた(笑)。1年前は、確定していなかった卒業も、出来た。
前作の時には、何一つ確実になっていなかったものたちを、この1年で何とか確実なものにすることが出来た。言い換えれば、変化の大きい1年だった。
 
あの時、なにも見えなかった、いや、片鱗すらなかった1年後を生きている。そして、「暗殺教室〜卒業編〜」を観た。
無事に、1年後を生きて、映画を観に行くことが出来て、本当によかったと思う。
 
 
 
 
 
確か雑誌「FLIX」のインタビュー。この言葉が山田くんらしくて私はすごく好きだ。
山田くんは昔から「目標は定めないタイプ」だとか、「ゴールは見えない方がいい」だとか、「目標より今が大事」というスタンスで生きていたのを私はずっと見てきた。
 
私は、好きなアイドルの映画出演が決まった時、真っ先に映画が公開される1年先の心配をしてしまうような人間だ。
何をするにも、じっくり考えてからでないと、先の見通しが立たないと、ゴールが見えないと動けない。
1年先だけじゃない。1ヶ月、いや、毎日、どんなにちっぽけでも毎日目標を必ず立てるし、目標を達成するために動くことで今を生きていると感じる。
 
でもこの1年、考えても考えても見通しなんて立たなかったし、それでも想像してしまう"最悪な事態"を回避するために、今何をしたらいいのか、何ができるのか手掛かりも何もなかった。そんな不確実だったもの、つまり0だったものを、私はこの1年で1に、少しだけ確実なものに出来た。まだ不透明感はあるけれど。
気がつけば、山田くんと同じ「ゴールの見えない」生き方をしていた。山田くんの場合は、「見えない」のではなく、「見ない」生き方かもしれないけれど、答えが分からないまま今を生きている点では同じだろう。
 
その生き方は、しっくり来ることはなかった。暗闇の中を明かりも持たずに進むような毎日に不安は尽きない。失敗したらと考えると足は竦む。目標に近づく手応えのようなものもない。
でも、考えても考えても答えが出せないこともあるし、答えが出てなくてもどうにかするしかないこともある。
なにより、スタート地点で答えなんか出てなくたって、歩くルートが決まってなくたってどうにかなる。
そういう毎日も悪くなかった。今、私は、こうして映画を観に行けたから。私が1年前に想像していた今より、随分心軽やかに過ごせている。心配症なので、相変わらず考え事や悩みは尽きないし、ちまちま目標を立てて、一個一個クリアして行くことで生き延びている。
でも、考えてから行動に移すまでの時間はかなり短くなった。あれこれ綿密に考えなくてもその場その場でどうにかすればいいかと思えるようになった。人並みにとまではいかないけれど(苦笑)。
なんとなく、「胸を張れる暗殺をしましょう」という殺せんせーの言葉が、私の超慎重な生き方と山田くんの生き方の中庸に居てくれているような気がしている。
 
 
「卒業」が今作のテーマだった。
前作では、殺せんせーを暗殺するという「目標」は、なんだか現実味のないものだった。
でも今回は、殺せんせーとの別れが目の前まで迫ってきていた。
 
3年E組のみんなは、みんなで、ひとつの「卒業」の形を選んだ。ぶつかり合ったけど、みんなで決めたからそれでいいと思えた。それがいいと思えた。
悲しいけど、寂しいけど、それがいい。それしかないって思えた。
 
 
原作の実写化は、どんな作品でも賛否両論がある。
見応えのあるアクション、やり過ぎなくらいの炎や爆発音を出す演出、生徒一人ひとりのキャラクター、長い原作を2時間で収める脚本。
全部、これしかないと思った。実写版の模範解答だと思った。
 
漫画を実写化するのってそもそも次元が違うから無理がある。
「渚はもっと華奢だ」という人がいるけど、原作者の松井先生も仰るように、あれだけのアクションを再現するには、山田くんの筋肉や体格は必要なのだ。
「渚だけ、髪の毛の色が違う」という人がいるけど、カルマの赤髪やビッチ先生の金髪と、水色は訳が違う。
もし原作通り山田くんが水色に髪を染めたとしたら、それはそれで見るに堪えないものになっていたように思う。
 
 
演出ひとつひとつ、セリフひとつひとつ、目線、仕草、全てにちゃんと意味があると感じた。
きっと原作の漫画もそうだ。
どんな作品も連載を読むと、「それページ稼ぎだろ」「そのエピいる?」みたいに感じる瞬間がよくある。でも、原作は原作でそういうページやエピソードも、原作のアイデンティティーとしてきっと必要なんだと思った。
 
原作潰しの実写化は、数多あるが、「暗殺教室」の実写化に関しては、これ以外の解があるなら挙げてみろよ、と思うくらい、納得の出来る実写版になったような気がする。
主演の山田くんや菅田くんはじめ、出演者やスタッフのみなさんが原作愛をきちんと持っているのが伝わってきた作品だったし、逆に、原作者の松井先生が実写化に伴ってあらゆることを寛容に理解してくださったんだなということも痛感した。
前作の時から、松井先生の気さくさや寛容さには驚かされっぱなしだった。
バクマン。」でジャンプで連載を持つ漫画家やスタッフの激務さを刷り込まれていたからか、連載中にも関わらず、メディアに出て、取材を受け、しかも公開される仕事場はいつもキレイにされていて、松井先生も漫画家とは思えぬ清潔な格好をされていて。
しかも今作では、連載を映画と連動させてくれ、しかも映画の脚本にまで関わってくださるという協力ぶり…
さらに、映画も絶賛してくださって。
 
原作者の松井先生が、本当に惜しみなく力を貸してくださって、実写版にも愛を持ってくださったからこそ、出演者、特に山田くんが矛先を向けられることなく、映画を観る人も原作ファンも気持ち良くこの作品を受け入れられるような気がする。
 
本当に松井先生のお力添えは大きい。
 
 
あと、お力添えといえば、もう一人。
殺せんせーの声と死神役をやってくれたニノ。
日本アカデミー賞最優秀主演男優賞二宮和也さんが主演じゃないんですよ?しかも、主演後輩なんですよ?
後輩の主演作にも関わらず、素敵に死神を演じてくれてて。しかも、その死神が儚くて本当に素敵で。
物語を作る1ピースになってくれててありがたかったし嬉しかった。
 
表情も言葉も自然で、本当にすごいと思った。あんなにずぶ濡れになって、アクションシーンもやらされて後輩より身体張らされて。それでも「ニノだ」って変に悪目立ちせずに、ニノ自身も「二宮ですけど」って偉ぶることなく本当に自然に演じて物語に溶け込んでくれてて…山田くんよかったねって。前作では「花を添えてくれて」なんてことしか言えなかったけど、今作では「出てくれてよかった。力を貸してくれてありがとう!」って思えた。
 
あと、何より茅野役の山本舞香ちゃん。
私は彼女のことずっと好きなんで、過大評価しかしませんけど、茅野が暴走するところとか、本当に引き込まれた。
なにより容姿が良いから絵になるし、あのかわいい茅野ちゃんが…っていう落差に釘付けになった。
茅野ちゃん今作キーパーソンだったのは知ってたけど、完全に主演食ってるなって思いました。渚霞む霞む(笑)
舞香ちゃんの役の幅が広がる役になるんじゃないかなって思うので、他の生徒役のみんなにもこの作品がそういう作品になれば良いなって心から思えた。
あと、ジヨンちゃんも前作から比べて日本語のセリフ回しが上手くなっててすごいと思った。ビッチ先生かっこよかったな〜
 
 
最後の最後で、椎名桔平さんが、ほんの2、3秒で目に涙を浮かべる表情をするんだけど、それには全て持ってかれたな!
数秒間のシーンで気持ちが全部伝えられるあの演技は本当にすごい!!!
 
 
前作を観た時、自担(当時)を大きなスクリーンで観ることができたのがすごく嬉しかったのを覚えてる。私は、それまで、山田くんに与えられる俳優仕事に不満をいっぱい持っていた。全部山田くんは悪くなかった。余計不満だった。だから、山田くんの俳優仕事に期待してなかった。
それが、前作を観て、お芝居をする山田くんが好きだと思えた。これからもっと大きくなってほしいと思えた。
あれから、山田担ではなくなったこともあいまって(これが一番大きな変化かも)、不満は一つもなかったし、不安もなかった。
山田くんがこの作品を大切に思っているのもいろんな言葉から伝わって来てたし、自分のためじゃなくて、グループのためにとか、出演してる生徒役のキャストのためにとか、いろんな人のためにがんばっているのが伝わってきて。
今回、生徒みんなにスポットが当たっていて渚の出番はあんまりなかったけど、カルマとの対決シーンとか最後の殺せんせーとのシーンとか大事なところでちゃんと存在感を発揮していて、さすがだなと思った。
 
 
最後の泣きのお芝居は、山田くんの真骨頂だなと思った。真っ直ぐ頬から顎に伝う涙にこっちも泣かずにはいられなかった。
 
この作品は、山田くんの青春だと思う。前作同様、現場の雰囲気が良いんだなっていうのが伝わってきたし、そういう雰囲気を主演として作ってるんだろうなとか、これまではいろんなものを背負っていたけど、作品に全てを集中させて打ち込めたんじゃないのかなというのが伝わってきました。
 
 
動員数が今年?最速で100万人を突破したそうですね。
結果がちゃんとついてくることが多くなって本当によかった。
ニノも出てるし、二宮担が観ても損はないくらいだけど、山田くんはニノとも良い関係も築いていたし、主演として求められる以上のことを果たしてくれたんじゃないのかなと思います。
 
超個人的に思うのは、羽住監督のやり過ぎな演出は山田くんにすごく合うなって思ったので、また羽住組に呼ばれるといいなって思うし、監督にも「また仕事したい」って思ってもらえてたら嬉しい。そして、この作品を観て「山田くんと仕事してみたい」って映画関係者の方、ドラマ関係者の方が一人でも多くいたらいいなと思います。*1
 
 
山田くんには、ニノみたいに有無を言わせない俳優になってほしい!日本アカデミー賞授賞式で言っていたように、先輩の背中を追いかけてほしい!!
とっさに求められたコメントで、山田くんの謙虚すぎる部分が出ちゃったけど、本当は追い抜きたいと思ってるはずだからぜひ!普段は高飛車なんだから!(笑)
 
 
いやー、本当に映画観れてよかった。観に行けないと思ってた。笑
 
 
 
 
 
 

*1:「ピンクとグレー」の時、行定監督から菅田くんに対しては「また仕事をしたい俳優の一人ですね」って言葉が出たけど、裕翔くんに対しては言ってくれなかったのが本当に悔しかったので

「笑顔」の似合う人

高木くん、26歳のお誕生日おめでとうございます。



彼の笑顔を見るたび、彼が今ここにいるのは必然なのだと感じる。
彼は、本当に幸せそうに、楽しそうに笑う。
彼が笑うとこちらも幸せになる、嫌なこと全部吹っ飛ぶような、あの笑顔が見れるならなんだって出来てしまえるような、世界でたった一つの笑顔を持った人だ。
彼は、「笑顔」のよく似合う人だ。



そんな彼は、海が好きだと言う。

「海に行って、笑顔にならない人はいないから。」

海が好きな理由が彼らしくて、私はとても好きだ。
彼は、人が好きだのだろう。
メンバー、家族、友達、周りの人を大事にしているのがすごく伝わってくる。
精神年齢は最年少と言われるが、人を大事にできるというのは大人な証だと私は思う。
彼は、素敵な人々に囲まれて生きてきたんだろうと思う。それだけで、私は彼のことを愛しく思うことができるし、幸せを分けてくれる笑顔に納得することができる。
彼は、「海」が似合う人かもしれない。でも、やっぱり「笑顔」のよく似合う人だと思う。


楽しいことがすごく好きな人で、コンサートでは必ず「騒ごうぜ!」と観客を煽る。
自分だけじゃなくて、周りの人と一緒に楽しみたいっていう気持ちを感じる。
Hey!Say!JUMPが彼にとって「楽しい場所」であり、「思い切り騒げる場所」であってほしいと思うし、彼のグループに対する素直な一言一言から、そういう場所になっているんだということを感じる。

有岡くんとふたりでやっているラジオを聴いていても、有岡くんの話に素直に反応して、屈託なく笑っている彼の笑顔が容易に想像できるし、「いただきハイジャンプ」での飾らないリアクションも微笑ましく感じる。


彼の「好き」には、不思議な重みがある。
「海が好きだ」と笑う彼に、一寸の曇りもないし、「JUMPが好きだ」という彼に、少しの迷いもないように感じる。
理屈はいらない、好きなんだ。何が悪い。そう言われているような気さえする。
彼の「好き」には、時間がある。
毎年夏が来るたびに海への「好き」を叫び続けているし、Hey!Say!JMPへの「好き」だって誰よりも早くから口に出していたし、随所随所で「JUMP好きだ」と素直に言えるのは彼だけだったりする。
「好き」の似合う人は、「笑顔」の似合う人だと思う。



そんな彼のことを、個人的に一番好きだと思ったのは、昨年夏の「24時間テレビ」での働きぶりだ。
彼は、24時間テレビ内で、「錦江湾横断リレー」に挑戦する予定だった。
しかし、桜島の噴火の危険性が高まっていた影響で、やむなく挑戦を断念するという決断を強いられた。
彼は、それに従い、真摯に頭を下げた。一緒に挑戦する予定だった子供たちの頑張りを称え、本当は悔しいはずなのに、それをグッとこらえてカメラの前で話す姿はとても印象的だった。
さらに、企画が中止となった影響で、彼が武道館にいる時間は必然的に長くなった。その分、コメントを求められたり、パーソナリティーとしての動きが多く求められることとなったのではないかという印象を受けた。
彼は、不安の色を少しも見せることなく、武道館での役割を全うしていた。
その姿がとても頼もしくて、出来る男だなと思ったのだ。
深夜帯の出演もこなしていたし、他のメンバーの集中力が切れかけているのがテレビの前に居てもわかる時に、変わらずきちんとコメントをし、番組作りに参加していたのは彼である。

結局、彼の根本は「人が好き」ということだろうと思う。周りの人が楽しそうにしていると彼自身も楽しそうだし、楽しいものや良いものを作ろうとしているところに積極に参加していくのは彼の良さだ。
冠番組でも、彼自身のキャラが立っているのはもちろんだけど、そのおかげで、番組がすごく面白くなっているのも事実だし、一番チャラそうな彼が楽しそうにしているとグループに親しみを感じやすい。
彼は、ただ、楽しいからそうしているだけで、少しも狙ってはいないだろう。でも、「楽しいところ」へ恐れなく踏み入れていけるのは才能だと思うし、「楽しいところ」へ「騒ごうぜ!」の一言で誘ってくれるのも彼の良さだろうと思う。

だから、彼の「好き」には不思議な重みがあるし、信じれる「好き」だと思う。
だから、彼の「笑顔」は無敵だし、「笑顔」が似合う人なんだろうと思う。


きっと、この世界は楽しい。毎日は楽しい。
「好き」なら「笑顔」になれる?
「笑顔」でいれば「好き」になれる?
どっちもだ。順番なんてない。
好きなら笑えるし、笑えるなら好きになれるさ、きっと。

あなたが言った好きって言葉が
心に響くの
まるで、はじめて言われたみたいに
嬉しくて涙があふれる

「LOVE」/MACO


彼は、「笑顔」を見失ったりしないだろう。根拠もなくそう思う。
彼にはずっと笑っていてほしいと願う人は、きっと私だけではないはずだ。
目を閉じて浮かぶ彼は、いつも目を細めて、白い歯を出して笑っている。


髙木雄也くん、26歳のお誕生日おめでとうございます。

晴れ舞台を待つ君へ


日本アカデミー賞授賞式の放送がもうすぐ始まる。
君はどんな気持ちでいるのだろう。



「良い表情」をした君が見たい。


凛とあれ、私は君が誇らしい。


ずっと誰よりも前を走らされて来た。
こんなに一生懸命に走る必要ある?
って毎日思ってた。

でも、走り続けてくれてよかった。
君が走り続けて来てくれたから
すごい景色が見えようとしている。

君が走る必要はなかったかもしれない。
君じゃなくてもよかったかもしれない。


でも、君じゃなかったらきっと辿り着かなかった。
君だから走り続けてこれた。


ただただ誇らしい。
ただただ君の勇姿をずっと見ていたい。


だから、今なら言える。
これからも真っ直ぐ走り続けてほしい、と。

いつかまたね交点の先で

私は、何者でもない。




高校3年のクラスメイトが、小説家になった。
聞けば、あの国民的小説家がデビューを掴んだコンテストで大賞を受賞し、デビューという運びになったという。
その知らせは、本人から、高校3年のクラスLINEで聞いた。

このクラスLINEが最後に動いたのは、確か11月だ。その前は6月頃に動いていた。
どちらもふとした話題で動き出し、途中で担任が近況報告をしろというので、軽く近況報告会が始まる流れだった。
私は、6月も11月も、みんなの近況報告をただみているだけで、反応することもしなければ、自分の近況報告をすることもしなかった。


彼もそうだ。
高校時代、あまり目立つ方ではなかった彼は、小説家デビューの知らせをしてきた時も、「高校時代、〇〇と呼ばれていた・・・です。」とまず自分の紹介を最初にしていたし、同じく目立たたずに教室に生息していた私も、それを見て初めて、このLINEにちゃんと入っていたんだと思ったくらいだった。近況報告の流れに乗ってきたことなどない。

そんな彼の知らせをクラスメイトは祝福し、本人のいないSNSで誇りだと言っていた。担任も、「教え子から有名人が出来て嬉しい」と言っていた。私も、もちろんすごいなと思った。高校時代ひと言だって話したこともないくせに、「おめでとう。絶対買います。」なんてメッセージも送っていた。


「良い報告」や「面白い報告」をすると人は喜ぶ。
私は、いつだって「良い報告」ができない。

「良いこと」をしていないから。
「面白いこと」をしていないから。


彼は、小説家になっていた。
近況報告をしていたクラスメイトたちは、留学生になっていたり、教員採用試験や諸国家試験の合格者になっていたりした。

でも私は、何者にもなれていない。



私は、彼から聞いた彼のペンネームを検索した。
なんだか、彼に合っていない名前のように感じる。本名が一番しっくりくるような気がする。
彼のこと、なんにも知らないくせに。

彼のインタビューページに辿り着いた。
プロフィールで、現在どこに住んでいるのかを知り、どこの大学に通っているのかを察した。
へえー、めちゃくちゃ頭良かったんだ。

彼のインタビューを読んだ。
「小説を書き始めたのはいつ?」という質問に、「小学6年生くらいから書くことが趣味になって、高校生からは習慣になっていた。」と答えていた。
知らなかった。
私が友人と「昨日の謎ディ(翔さん主演のドラマ「謎解きはディナーのあとで」)見た!?」と騒いでいた教室で、気になる男子が自販機で買ってくるものを毎回密かにチェックしていた昼休みに、彼はずっと書くことに夢中になっていたのだ。


私は何者なのかという問いに、唯一答えられるものがあるとしたら、Hey!Say!JUMPのファンであるこということだろう。
高校時代の彼が既に小説を習慣的に書いていたように、私もHey!Say!JUMPのファンをずっと続けてきた。


だが、形になったものはなにかと聞かれたら、Hey!Say!JUMPが売れ始めているということと、Hey!Say!JUMPについて書き始めたこのブログの読者が日々増えていることくらいだろうか。


どちらも嬉しいことだが、私自身が成し得たことは、そこにはない。
ファンは、肩書きとも認められないし、どれだけ一生懸命にやったって自分に返ってくるものはない。


結局、高校時代から私は変わらず何者でもないままなのだ。だから「良い報告」ができないのだ。


私は、内定をもらった会社の最終面接で、
「私は今、何者でもない」という話をした。
なぜなら、私は学生だから。
社会人と学生で大きく変わることはなんだ。
社会人になって初めて、「人」という肩書きを背負うのだ。
社会に出て初めて「人」になるのだ。
だから、私は今、何者でもない。
何者でもない自分をダメだなんて思わなくていいと思っている。
何者でもないからこそ、何者にでもなれる。
何者かになったとき、「人」という肩書きを背負っても恥ずかしくない生き方がしたい。
そんなような話をした。


当時は、良い事を言った気になっていたが、今になって、それは逃げだったと思う。甘えだったと思う。
私は、私の人生を生きねばならない。
私の人生を生きるのは、私しかいない。


アイドルは夢を叶えてくれるけど、それは私の夢じゃない。アイドル自身の夢だ。そこには夢があって、私はそれを見ているだけなのだ。

ずっとアイドルの夢は私の夢だと思い続けて生きてきたがそんなはずないのだ。

私が私の人生を生き、何者かにならなければ、ずっとただのジャニオタのままだ。
何も成さず、何も叶えず、何も掴まず。
今まで、成し遂げたいものも、叶えたいものも、掴みたいものもなかったからそれで良いと思っていた。


でも、今は違う。
自分の中に、成し遂げたいことや叶えたいこと、掴みたいものが、大小様々あることに気づいた。
そしてそれは、アイドルが夢を叶えてくれることで、アイドルの努力する姿で、埋め合わせのできるものではないということにも気づいた。


自分の夢を叶えるのは、自分しかいない。
今は強くそう思う。


私の大好きな曲の中に「いつかまたね交点の先で」という歌詞があるが、まさにそれだ。
私とHey!Say!JUMPの歩く道が、同じはずがない。交点だっただけだ。
ふと見つけたとあるJUMP担の方のブログにあった「運良くデビュー前のJUMPを好きになった」という表現が刺さった。
そうだ、私は運が良かったんだ。
運良くHey!Say!JUMPと交わっていたんだ。しかも、こんなに長く。強運すぎる。
間違っても運命なんかじゃないんだ。


この先、ずっと交わり続けるには、なにかを意図的に捻じ曲げないと無理そうだ。
私はずっと捻じ曲げてきた。捻じ曲げてでも交わっていたかった。でも今は捻じ曲げたくないと思うものがある。私は私を生きてみたい。Hey!Say!JUMPにも誇れる何者かになりたい。今、そう思うのだ。





私は無類のココア好きだ。最寄りの駅前にドトールがある。ドトールのココアはとても美味しい。

ある日、その日の用事が午前中で全て終わった。寒い日だった。電車の中でふと、ドトールのココアが飲みたくなった。店だと落ち着かないので、家まで持って帰りたかった。じゃあ、お昼の時間だし、近くのパン屋さんでココアと一緒に食べるパンを買って帰ろうと考えていた。

ドトールは駅の南側にある。私の家は駅の北側にある。駅から家までの道中にパン屋さんがある。
普通、駅からドトールに行って、パン屋に行って家に帰るのというのが効率が良いと考える。

でも、一番最初にココアを買ってしまうとココアが冷めてしまう。
ココアを出来るだけ冷まさずに帰りたかったので、私は、遠回りとは分かりつつ、まずパン屋に行ってからドトールまで戻り、足早に家に帰ることに決めた。

普段、遠回りなんて面倒でしないが、この日はなぜか、遠回りしてでもココアを出来るだけ温かいまま持って帰りたかった。


冷ましたくなくて遠回り。
「好き」も同じでしょう。


ずっと好きでいたいから、少し遠回りしようと思う。


私は今そんなふうにHey!Say!JUMPを思っている。
さみしいかな。

でも、そっちだって何年か前に言ったみたいに「行かないで」なんて呼び止めてくれないでしょ。
「行かないで」って言われたら考えるかもしれないよ。少し躊躇うかもしれないよ。
でも、私だって「待って」なんて言えないし、言いたくない。
「待って」って言ったって「振り落とされないように」って返されるだけだもん。待つ気はないことくらい分かってる。

君たちも私も今、前を向いている。少しでも前に進みたい。その方向は少し違うかもしれないし、歩幅も違うかもしれないけど、一歩踏み出したいと思っているのは同じなんだから、今は迷わず、互いに「行く」時だと思うんだ。



だから、「行かないで」とか「待って」はなしで。
「いつかまたね交点の先で」「良い報告」をしよう。




「輝いて もう泣かないで
この素晴らしい世界でほら 君のことを見つけた
いつだって そばにいるよ」


「消えないよ 目を閉じたって
たとえば君が笑うだけで 僕は僕でいられた
いつだって ここにいるよ」


最近、ずっと聴いている曲。
歌詞全部がそのまま私の気持ちと重なる。
何かが変わるわけではないし、何かが終わるわけでもないし。


Hey!Say!JUMPの夢を見ることを過去形に
Hey!Say!JUMPの夢ももう夢じゃないから

自分の夢を見る
自分の夢を自分で叶える
そういう生き方をしたい

気がする



私は、何者でもない。
何者かになったとしても、ただのHey!Say!JUMPファンをやめる気はない。
でも、ただのHey!Say!JUMPファン以外の何者かになりたい。

今頃?いや、まだ22だ。
Hey!Say!JUMPとの時間だってたったの8、9年だ。
ずっと続いていく、ずっと生きていく。
私は私を。Hey!Say!JUMPはHey!Say!JUMPを。


だから
ここから そっと想い続けているよ


だから
いつかまたね交点の先で