門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

2019年1月27日

過ぎた日には戻れない。たとえ、その1日がどんな1日であっても。あの日、誰と会って何をしたか。どんなことを思ったか。良いことも悪いことも、決して忘れたいとは思っていないし、わざと忘れているわけではないのだけど、時が経ってしまうと思い出せなくなる日の方が圧倒的に多い。その日自分が1日何をしていたか鮮明に覚えている日なんてたかが知れている。でも、だからこそ、そんな日は私にとってきっと大事な日だし、特別な日だ。
Wanna Oneが解散した2019年1月27日という日を、私は忘れたくない。2019年1月27日までの、Wanna Oneというグループがいた私の毎日を忘れたくない。記憶を司るのは、きっと脳だけではないはずだ。心も体も、そして五感もある。明日の私よ、忘れないでくれ。1年後、10年後の私も忘れないでくれ。一生忘れたくないと思う1日があったことを。戻れるものなら戻って何度でも繰り返したいと切に願うくらい恋しい日々があったことを。


Wanna Oneが解散してすでに1週間が経った。想像していた通り、何事もなかったかのように私の毎日は過ぎて行ったし、きっとこれからもこんなふうに時間が自然と過ぎてしまうのだろうと思った。日曜日に解散して、月曜、火曜の2日間は、集中力が途切れると、その隙間にWanna Oneはもういないんだ…と寂しい気持ちが流れ込んできたりもしたが、水曜日にはもう、1日を終えた帰り道に「今日は1度もWanna Oneのことを考えなかったな」と思った。木曜日に日付が変わればNU'ESTの公式ツイッターにミニョンさんが現れたことで完全体NU'ESTに期待が募り、それぞれ動き出したWanna Oneメンバーのその後の活動もしっかりチェックしている。たった1週間でWanna Oneがいなくなった現実を受け入れ、そして慣れてしまった。
でも、2019年1月27日にダイヤルを合わせると、込み上げてくる思いがあって、切なくなるし恋しくなる。あの日に戻れたら違う未来を、とは思わないけど、あの日に戻ってせめて時間を止めたい。そこで世界を一時停止したい。

 

〜2019年1月27日

短い間だったけれど、私はWanna Oneが好きだった。
Wanna Oneは銀河みたいだった。
当然だが、銀河なんてこの目で一度も見たことがない。夜空を見上げて瞬いてる星なら見たことがあるが、銀河どころか、青い空をなんの疑いもなく見上げる毎日の中で宇宙が本当に暗闇なのかということすらこの目で見ようとしたことがなく、教科書や資料集に描かれた太陽系のイラストや、プラネタリウムで見た星空が私にとっての宇宙のイメージで、それは限りなく空想に近い。
そんな果てない宇宙の暗闇で、なにかしらの引力なのか重力なのかに引き寄せられて集まった星たちがひとつの天体になるという銀河の成り立ち方は、アイドルを夢見た少年たちがオーディション番組を勝ち抜いてひとつのグループになったというWanna Oneの成り立ちととても似ている。
果てのない宇宙を漂っていたら、小さな隕石に当たってWanna Oneという銀河に迷い込んだ。私がWanna Oneと出会ったときのことを思うとそんな例えがしっくりくる。目を開けたらそこは、数えきれないどころじゃない数の星たちが集まっていて、その中で、一等星と言えるくらいの11個の星たちが暗闇の中で光を放って輝いて見えた。遠くから見ると密集しているように見える11個とその他無数の星たちは、時に近づけないほど遠く離れているようにも感じて、私の周りを、周りと言ってもうんと遠くを、凄まじいスピードで通り過ぎていくようにも見えるし、ゆっくり目の前を横切っているようにも見えた。近づいているのか遠ざかっているのかすらもはや分からないほどだった。ただ、微妙な誤差で一度軌道を逸してしまったら、もう二度と巡り会えないと感じるくらい儚い気がして、居られる限りそこに居たいと思った。地球から見たらどんなふうに見えるのだろう。地球にまで届いていない光かもしれない。こんなに広い宇宙の中で、どうしてここに辿り着けたんだろう。天文学の書物に天体のひとつとして名前が付けられ載るのはどれくらい先のことなんだろう。誰が見つけるのだろう。そんな、とにかく今まで感じたことのない気持ちばかり感じて、それがとても儚くて、出会ったばかりなのに切なくて、なのにとっても美しく見えた。
Wanna Oneがいた時間は本当にあっという間だった。数ヶ月の出来事が、何光年、何億光年とかいうスピードで駆け抜けて行ったような感覚がある。夜空に見つける星の光が光年という長い時間の単位をかけて地球に届いた光だというように、私の生きる時間軸と、Wanna Oneの生きた時間軸が運良くちょうど重なっていただけの話で、宇宙規模で見たら、皆既月食皆既日食が日本で見られることより、本当に本当に小さく些細な重なりかもしれないが、私の毎日から見てみれば本当に大きな出来事だった。

Wanna Oneに終わりがあるというのは、誰もが知っていたことだ。グループが活動を始めた時から決まっていたことで、急に決まったことじゃない。不思議と、そこが覆ればいいという考えはしたことがない。きっと、期間限定という要素もWanna OneWanna Oneたらしめる要素のひとつだという認識が無意識にあったのだと思う。
ただ、Wanna Oneが終わる日その日が来ないでほしいとは強く願っていて、願ったところで1分1秒が長くなるわけないのだが、同じ曲を何度も何度も繰り返し聴いてみたり、過去の映像を見て過去に戻るような擬似体験をしてみたり、過ぎたことを過ぎたことと思わないように努めることで、少しでも最後の日が遠のいて感じるようにしていた気がする。
普通、好きなアイドルが、ツアーやリリースなど大きな活動を終えた後は、この活動を終えた後はどんな仕事が来るのか、どんな活動が待ってるのか、次への期待が尽きないものなのに、Wanna Oneは違っていて、新しい活動を待ち遠しく思えば、最後に近づいてしまうような怖さを感じることが多かった。だから、Wanna Oneに未来や明日に対する希望を抱いたことはなく、断然Wanna Oneが作ってきた作品や足跡を噛みしめる時間が私は多かったように思う。
この夢はいつか覚めてしまう、この幸せはずっとは続かない。Wanna Oneの笑顔やパフォーマンスへの満足感や幸福感を感じると付随して、こんな気持ちにもなって、想像もできない最後の日を想像してしまい、その日が過ぎれば全部手放さないといけないのなら、今ここで手放した方がいいかなと思うことなんて毎日だった。
ずっとは続かないと思って過ごす今も悲しければ、いつか来る最後の日も必ず悲しい。そんなの容易に想像がつく。想像しただけでも悲しいのに、本当にその日が来たらどうなってしまうんだろう、自分が想像すらできない感情に耐えられる自信がなかった。
でも、Wanna Oneが見せてくれる世界が、一瞬一瞬が本当にキラキラしていて夢みたいで、逃すことなくガラスの箱に入れて鍵をかけておきたいくらいで、いずれ手放すのなら今手放すのは勿体ない気もしてきて、結局手放すことなんてできなかった。
だから、Wanna Oneのことは本当に大好きだったけれど、好きだっただけで本当になにもできなかった。なにもできなかったどころか悲しくなるからと未来を願えなかったし、最後の日に悲しむ顔が見たくなくて、その日に繋がる明日も来なければいいと思ったくらい、自分勝手で、ファンなんて言えたもんじゃなかったと思う。結局最後まで好きだったのなら、私も覚悟を決めてWanna Oneに関与するべきだったと思う。怖いとか辛いとか、今思えば全然大したことなかったのに。
そうやって、いちファンが勝手に申し訳なさを感じるくらい、Wanna Oneが見せてくれた景色は本当に美しくて尊かった。控えめに言って永遠を願うほどに。
ずっと続いたら、どんなにいいか。唯一それがWanna Oneに対して望んだ未来だったかなと思う。

 

2019年1月27日
何年経っても、何十年経っても何度もこの日にダイヤルを合わせて、Wanna Oneがいた日々を思い出したい。
リメンバー・ミー」という映画を観た。その映画の中では、人が死ぬということには、肉体が死ぬという実存的な死だけでなく、生きている人間の記憶から消えてしまうという本質の死という2つが存在することが描かれていた。それは、記憶から消えない限り、誰かが覚えている限り、生き続けることができるということだ。
実存は本質に先立つと思う。でも、実存は本質に先立つからこそ、実存しなくなってしまうからと、本質まで後を追って消える必要はないはずなのだ。
だからこそ、忘れることは無責任なことだとも思った。過ぎた日には戻れないのと同じように、忘れてしまったものは思い出せない。出会ったからには、別れても忘れないように努めるのが生かされた人の使命だと思った。
Wanna Oneという実存がなくなってしまっても、Wanna Oneがどんなに素敵なグループだったかという本質、魅せられて好きだったという事実まで、消してしまう必要はない。

2019年1月27日は、忘れたくても忘れられない。そんな日になった。悲しいことは分かっていたけれど、解散コンサートは、想像を超える悲しみとそれ以上に残酷さと絶望感があった。
私はてっきり、Wanna Oneのメンバーは、解散を受け入れているものだと思っていた。最後のアルバムリリースもステージの演出が悲しみを誘うようにされていただけで、本人たちは淡々とスケジュールやステージをこなしているように見えたし、そもそもPRODUCE101(以下プデュ)に参加した時から、Wanna Oneが期間限定であるというのは周知の事実であったし、オーディション番組への参加、オーディションに合格してグループとして活動すること、Wanna Oneとして起きたすべての事象が自分自身のステップアップのための階段のひとつとして認識しているものだと思っていたし、そう思っていてほしいと思っていた。
ステージの上で輝く機会を求めていた少年たちがステージに立って注目を浴びてスターになって、そしてそれぞれが自分の夢を追うために、それぞれ次の扉を開けて進んでいく、そういう前向きな気持ちで明日を待ち遠しく感じるようなエンディング。それが良いWanna Oneの終わり方だと勝手に思っていた。ハッピーエンドしかないと思っていたのに、解散コンサートの終わり方は悲しみに焦点が合いすぎていて、途中耐えられないかもと思った。
最後のコンサートは、4日間に渡って開催され、初日から毎日メンバーが泣いたというレポが流れていた。最終日はどんな公演になるのか覚悟はしていた。
私は映画館でライブビューイングを観たが、ステージを見つめる全ての視線が、目の前の現実から逸れているような、ステージ越しに違う何かを見ているような、不思議な感じだった。Wanna Oneの最後の姿を目に焼き付けたいと思うと同時にまだ受け入れたくないような、出来ればこのまま時間が止まればいいようなそんなことを願う気待ちだったと思う。
それはWanna Oneが未来を語って次を向くステージを見せてくれることで、払拭できる感情だったと思うけれど、Wanna Oneがステージで見せたのは必死の抵抗感だった。
最後のステージで良い姿を見せようとダンスのひとつひとつの動きに力を込めるのだけれど、そのたびに自らが傷ついていくような、音楽が進めば進むほど弱っていくように見えた。期間限定と分かって始まったグループだからと、終わりが来ることを受け入れて最後の日を迎えたけれど、最後と実感するとやっぱり嫌だという思い、それが本心だとステージを通して訴えられているようで、でも私にもそれはどうすることもできなくて、ステージの上で人目をはばからず号泣し、Wanna Oneの解散を惜しむような発言を受けて、一体なにが最善でなにがWanna Oneにとっての幸せなのか全然分からなくなってしまった。
好きなアイドルの幸せをいつだって願いたいと思っていた。それがアイドルにとって、ステージの上に立ち続け、ファンの前から消えないことであってほしいと思っている。Wanna Oneのメンバーは、Wanna Oneが解散してもそれぞれの道を歩いてステージに立ち続けたいと願っているのは間違いないと思うし、歩く道がある限り、私たちの前から簡単に消えたりしないとも思う。ただ、今日まであって明日からなくなるものがWanna Oneというグループだ。それが彼らにとってどれだけ大事なものだったのか、最後の最後に私は思い知らされた。
思えば、ステージに立ってスポットライトを浴びることを夢見た少年たちだ。期間限定の活動も承知で手を伸ばすほど、切にデビューを夢見た少年たちだった。同じ夢を持っているという共通点だけで結成され、最初はメンバーそれぞれについていたファンが、Wanna Oneに魅せられグループのファンになり、韓国内に留まらず世界中にファンを作って熱狂を生んだ。グループとして多くのことを成し遂げ、苦楽を共にし、思い出を作ってきたわけだ。この先、こうして集まって何かするということもなくなる喪失感は計り知れないし、それほどまで密に過ごしてきたというのを今更理解した。たかが1年半の活動期間だったけれど、彼らにとっては人生を変えた1年半だし、今後何十年、時が経っても、その時間を突き抜けて光が届いて見えるくらい輝いた思い出になるのだと思うと、誰も望まない終止符の必要性を考えてしまった。

私の中で、それを唯一正当化する理由が「ファンミニョンが戻ったNU'ESTを早く見たい」という気持ちだ。Wanna Oneを知って、ファンミニョンというアイドルを好きになればなるほど、彼が戻ったNU'EST、NU'ESTに戻ったファンミニョンへの期待も高まっていた。Wanna Oneが期間限定ならば、遅かれ早かれNU'ESTとして再びステージに立つミニョンさんには会えるわけで、その日を待ち遠しく思う気持ちが、Wanna Oneの解散を正当化できる唯一の感情だと思っていた。
けれど、当の本人は、ステージの上で涙を流し狼狽えていた。時間の経過についていくことを放棄して、立ち止まりたいという抵抗感を彼なりに表していたように見えた。
それに最後の挨拶で彼の口からでたのは、謝罪の言葉だった。
好きなアイドルグループの解散コンサートで、推しの口から謝罪の言葉を聞いたときのファンの気持ちの模範解答を誰でもいいから教えて欲しかった。謝らないでという気持ちもあったし、その気持ちの真意も憶測だけど分かるような気もした。でも1番はそんな言葉聞きたくなかったという気持ちだった。
男の子は、いつもそうやって最後に謝るよね。その時その時で謝ってくれてたら許せて、こんなことにはならなかったのに、その時は強がって聞こえのいい言葉を放っておいて、手放すことになってから謝るよねって思うことある(誰)。ミニョンさんだけじゃない。他のメンバーも最後の最後に謝ってた。それってすごく未練が残る。ずるい。最後こそ、いい言葉を聞きたいのに、この別れが良い決断だと思わせてほしいのに、Wanna Oneはファン以上に、Wanna Oneを手放したくなかったみたいだ。ファンの未練を残さないように、ファンに希望を与えるためにいい言葉を言う余裕がないほど、必死に抵抗して全力で悲しむ姿が余計に痛々しく思えた。

最後は、1人ずつ挨拶をしてステージから姿を消すという演出だった。まじさー、こんな残酷な演出考えたの誰よ!神経疑うわ!!センスなさすぎる!!って正直に口語で言うとこんな感じの演出で。今は笑い飛ばせるけれど、1人ずつ背中向けてステージから去っていくなんて本当に残酷すぎて、途中から見ていられなくなったし、ただでさえ号泣していたのに、嗚咽まで出て私も映画館も相当カオスだった。
1人ステージから姿を消すたびに残されたメンバーが泣き崩れ、会場から悲鳴が起き、自分の番が来るとステージから離れる一歩を踏み出すのを躊躇ったり、狼狽えて言葉もまともに言えなくなったりする姿もただただ辛かった。好きなアイドルのこんな姿が見たくて解散コンサートを観たわけではないし、最後に見たWanna Oneの姿が悲しみで絶望している姿なんて信じたくなかった。
やりきれない、行き場のない、そんな後味で、無駄にWanna Oneが解散したという現実を突きつけられて帰路についた。こんな最後は予想していなかったけれど、映画館を出てツイッターを開いたら、まず嵐の活動休止のニュースで荒れるTLが飛び込んできて、さらに落ち込んだ。永遠はないって、これ以上ないほど思い知らされたばかりなのに、嵐まで…と、現実の残酷さを恨んだ。自担は体調不良でレギュラーのラジオ番組の生放送を欠席したらしいし。笑い事じゃないが、なんて日だ。
かたや体調不良でラジオに出れない自担、かたや活動休止発表について会見を受ける日本の国民的アイドル、かたや1年半の活動に終止符を打つのを受け入れられず抵抗する推し、かたや愛するWanna Oneを失って悲しみに暮れるファン、どうすることもできない絶望感でいっぱいの私…全て同じ地球の上で同じ時間に起きていることだなんて思えなかった。人の数だけ流れる時間があるのだから当然なのだが、世界中では本当にいろんなことが起きているんだと思う。同じ時に、地球のどこかでは人生で一番嬉しい瞬間を過ごしている人だっているかもしれないし、幸せで眠れない人もいるかもしれない。そんなふうに反する感情で上手く押し合ったり引き合ったりしてるから地球は自転するのかもしれない。
悲しい出来事は出来る限り早急に忘れたいと思って生きてきたけれど、この日の悲しさや絶望感の代わりに嬉しさや幸せがきっと世界のどこかに転がっていると思いたかった。希望もクソもない終わり方だったけれど、そんな終わり方だったからこそ、Wanna Oneはきっと必ずこの悲しみを乗り越えて一層の輝きに変えてくれると信じたいと思った。アイドルを夢見る練習生ではなく、私が出会ったときにはもう、誰がどう見ても立派なアイドルとしてステージに立っていたから。きっとまだ夢の途中なはず。Wanna Oneを思い出して恋しくなって切なくなるのは、私が引き受けるから、Wanna OneにとってWanna Oneはいつまでも眩しくて暖かい春風のような思い出になってくれたらいい。映画館から家に帰る電車に乗ったばかりなのに、もうWanna Oneが恋しかった。

 

きっと最後の日は悲しくて辛いだろうからと、好きにならなきゃよかったと思ったこともたくさんあった。手を引こうと何度も思った。最後の瞬間もこんなに辛いと思わなかった。でも、今となれば、いや、辛いと思いながらも、Wanna Oneを知らずに生きるよりずっとよかったと思う。映画のセリフじゃないけれど。
Wanna Oneというグループはもうなくなってしまったけれど、もし誰かの記憶の中で生き続けているなら伝えたいことがある。
まずは、1年半の活動本当にお疲れ様でしたという労い。最後、あんなふうに別れることになるとは予想もしてなかったけれど、その日を迎えるまでは本当に楽しくて幸せで美しい毎日だった。ただでさえ短い期間の活動だった上に、私がWanna Oneを知ってからの時間は少なかったけど、何年分、何十年分も好きになったような気がするし、一生に一度見れるか見れないかと言えるくらいの素敵な景色を、Wanna Oneはたくさんみせてくれた。
Wanna Oneというグループが世に放った曲、パフォーマンス…閃光のように一瞬だったけど、目が眩むほど眩しかった。時に目を瞑りたくなったこともあるけれど、今目を瞑ったらWanna Oneがいなくなったときに後悔すると思いながら見ていた。もう何を言っているかわからない。とりあえずWanna Oneが大好きだ。絶対に忘れるもんか。
Wanna Oneに出会えたくらい幸運な私だ。Wanna Oneがいなくたってそこそこ幸せには生きていける。Wanna Oneは、ファンの幸せを願ってくれたけど、自分が幸せにするとは一言も言わなかった。だから私も願うことにします。Wanna Oneがそれぞれ幸せでいられるように。
2019年1月27日。Wanna Oneが解散した。
これからWanna Oneというグループが次のページを開くことはないと思うと悲しく切ない。きっとずっと尽きない。いつか、それぞれの道で輝くメンバーを見たとき、あの頃すごかったなあ、大好きだったなと、Wanna Oneのことを笑って話せる日が来るのを願っている。

 

必死の「ごめんね」を 必死の「ありがとう」を
時が経っても決して忘れないように この涙を瞬間冷凍したい
世の中はどうやったって 過去を省みたって
やったことは取り消せないのさ
だから未来に向かって やれることを頑張って
あんなこともあったと笑い合おう
明日が待ってるぜ あなたのことを
(「押忍!こぶし魂」/こぶしファクトリー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

続きを読むの設定にしたんですけど、スマホだと表示されない?ようなので、以下追記です。

 

 


ジソンさん
顔やスタイル、歌唱力やダンススキルがアイドルのパーソナリティーの一番上澄み、表面に出てくるものだとしたら、ジソンさんは、人柄やキャラクター、センスと言った表に簡単に出てこない部分で愛されて信頼された人だと思っています。そういう存在になりたくても簡単になれるものではないし、そういう存在だと周知されるのは難しいことだと思います。1991年生まれで韓国のアイドルとしては全然若くない。Wanna Oneとしてデビューするまできっと苦しいこと辛いことたくさんあったと思います。それでも、Wanna Oneとしてデビューしてたくさんの人に好かれて信頼されたジソンさんを見て、チャンスの順番は必ず回ってくるのだなと、その人がより輝ける場所に導かれる縁というのがあるのだなと思いました。
優しく暖かく感情豊かな母のように、時には友達のように、大人っぽく男らしいお兄さんのように、変わる豊かな表情が印象的でした。
私はジソンさんの歌声が大好きです。ずっと聴いていられる声です。プデュで、歌えなくなった時期があったと言っていたので、歌っている姿がより強く逞しく見えました。


ハソ
幸せにしたいと思わされる人、目が離せない人。
と同時に、チャンスを掴める強い人という印象でした。
いつも明るくて顔色が良くて健康的なイメージで、ステージの上でもメンバーの中にいてもハツラツとしてそれが変わらなくて、太陽みたいな人でした。この笑顔を守りたいなあと、ずっと笑っていてほしいなあと思う笑顔を持っている人です。Wanna Oneでは年長組ですが、一番背が低くて、そのせいかマスコットのような愛らしさもあって目が離せませんでした。
どこにいても自分自身を主人公にして邁進していける才能。これをスター性と言うのだなと思わされました。
気持ち良いほどに真っ直ぐ伸びて心に届く歌声、抱きしめたくなるような無邪気な笑顔。全部嘘がなくて、だからこそ大風呂敷に聞こえる言葉やスタンスも信じられると思えました。
夢を追いかける少年のような純真さをずっと持ち続けて走り続けてほしいと思っています。


オンさん
ラスコンのオンさんは、今までの男友達のようなフレンドリーで明るいイメージとは全然違いました。儚かったです、とても。Wanna Oneを終えたらアイドルではなくなってしまうからこその儚さだと思うし、眼差し、表情、仕草、全部から今にしがみつきたい気持ちが痛いくらい伝わってきて辛かったです。
誰よりも1人になることを不安がって寂しがっていました。それは、オンさんがプデュの時から誰よりも熱く一生懸命に取り組んで、しっかり笑ってしっかり泣いて、しっかり喜びしっかり悔しがってきたからこそだと思います。ふざけるときも遊ぶときも全力だったし、かわいいもかっこいいも出し惜しみせず全部出してくれたオンさんでした。どんな場所でも全てをさらけ出せるのって簡単なことじゃない。大抵の人は怖いし、躊躇うと思うけど、オンさんはそんな素振りを少しも見せずに自分の個性を表現していました。それも今思えば、Wanna Oneのオンソンウになりきっていたのかなあ、明るい振る舞いに隠した本当のオンさんがいたんじゃないかなあと思ったりもします。考えすぎかな。
オンさんとはどんな形で再会できるのか、イメージが湧かないけど、オンさんの笑い声はどこにいても聞こえてきそうだなあと思います。


ジェファンくん
Wanna Oneの中で誰よりもアーティックな歌唱力を持っているのに、マインドは誰よりもアイドルでした。いろんな選択肢があった中で、プデュに挑戦してアイドルという道を選んでくれてありがとう。
Wanna Oneになるまでも、きっと平坦な道ではなかったはず。事務所に属さず個人練習生という立ち位置で、夢を叶えるのは、苦労もたくさんあったと思います。だからこそ、ステージから捌ける直前の最後の表情が誰よりも逞しかったし、笑顔で姿を消す誠意がプロだと思ったし、彼のWanna Oneにかけた思いの強さが表れていたと思いました。
とんでもなく歌が上手いのに、見た目やキャラクターはとても素朴だというギャップもアイドルらしくて好きだでした。人当たりがいいからか、他のメンバーとの親和性も高くて見所の多い人でもあったように思います。
誰にも負けない武器を持って1人で扉を叩いて、最初は野心もあったと思います。それがプデュやWanna Oneを通して仲間ができて1人で背負っていたものが少し軽くなって、いつのまにかグループに欠かせない存在になっていったという物語も素敵でした。
プデュの参加者の中に歌が上手い人は何人もいました。でも、あなたがWanna Oneにいなかったら、あなたがWanna OneのメインボーカルじゃなかったらWanna Oneじゃなかったと思います。歌声ひとつで人に強烈な印象を与えられる人だから、ソロになってどんな言葉をメロディに乗せるのか、どんな歌を歌うのか、とても楽しみです。


カンダ
最強のセンターでした。お疲れ様でした。
カンダが最後、1人ステージに残って、立てないほど力尽きて弱っているというシチュエーションから沸き立つドラマ性は21世紀のアイドル史に記しておきたいと思いました。
メンバーが消えていった方向を見ながら、客席に背を向けてどうみても立てそうにないけれど、カンダニエルはここでくたばったりしない。必ず自分の力で立ち上がると信じたいと思わせてくれるのがカンダニエルの魅力だと思います。だから、さあ、カンダニエル立ち上がるんだ、君が次の扉を開くんだ!と絶望の中に見える一筋の光にすがりたい気持ちで背中に念を送ったし、同時にカンダニエルがステージから去らなければWanna Oneは終わらないんだという現実の重みも感じました。本人もより強く感じていたはずです。でも、カンダニエルは立ち上がってステージを去ると心を決めました。
カンダニエルの手によって物語が締めくくられるなんてWanna Oneらしさの極みでした。最後に精一杯笑顔をファンに見せようとするも涙が溢れて全然笑えない。自分自身に笑え笑えと言い聞かせているようにも見えたけど、全然笑えない。その顔がWanna Oneの最前線を走ってきた人だからこそ感じる責任感や使命感、そして笑うことすらできない1人の人間としての無力さがひしめき合っているようで苦しかったです。
誰もが認めるWanna Oneのセンターですが、プデュを見てもわかるように、センターの似合う人になっていった人だと思います。強そうに見えるけど決して強くないし、実年齢も精神年齢も全然大人じゃない。地方からアイドルを夢見て上京してきた普通の男の子が、いろんなものを背負って輝きを放っていたことに夢がありました。だからこそ、カンダニエルが韓国を動かす3人に大統領と共に選ばれるほど注目されたんだと思うし。そんな夢見た現実を生きながらも、時に想像を超える周囲の反応や急激な変化に辛く苦しい思いをしたこともWanna Oneの中で誰よりもあったと思います。人懐っこく協調性のある人だけど、もともと一人っ子ということもあり、全部1人で抱えて背負って迷惑や心配をかけないように振る舞っているように見える瞬間もありました。強く見えて強くない背中にいろんなものを背負い走り続けてくれてありがとう。
カンダニエルのそういうストーリーも魅力的だけれど、私は、カンダの歌もダンスもラップも全部大好き!!という思いが溢れ出して仕方ないというようなステージ上での姿が何より魅力的に感じています。


ジフンちゃん
可愛い見た目と裏腹に、しっかりしてて強くて男らしくてきちんとした人でした。
ビジュアルとキャラが先行してミーハーと誤解されやすかったと思うけど、年齢の割に冷静に人や物事を見て冷静に考えて自分の言葉でちゃんと話す姿や自分だけがスポット浴びるのではなくちゃんとチームで動く意識が1番にあると分かる言動、振る舞いから人間がしっかりしていて信頼できる人。ジフンちゃんを好きな人なら分かっていると思います。そんなところが魅力ですし、プデュでずっと上位をキープして好かれていたのが納得できます。
ジフンちゃんほどビジュアルが良いと、性格が素晴らしく良くなくても、なんなら黙っていても人気が出ていたと思いますが、ジフンちゃんはそこに甘んじておらず、国民的アイドルになる器や人格、メンタルをきちんと備えていた人だったと思います。
カンダニエル同様、歌もダンスもラップも卒なくこなしてくれちゃって、本当に器用な子でした。
最後の挨拶で、ジフンちゃんは唯一「なぜ終わらなくてはいけないのか?」と怒りを露わにしました。
もう5年経とうとしているようですが、昔「笑っていいとも」という番組が終わる時に、香取慎吾くんが「答えはいらないけど、そもそも何で終わるんですか?」と言ったのが忘れられませんでした。香取くんにとって10代の頃から20年出演していたレギュラー番組ということで、どれだけ思い入れの強い番組だったか私には想像もできませんでしたが、その気持ちと似ていると思いました。最後の最後で、彼のWanna Oneに対する思い入れの強さを知った気がしました。ジフンちゃんに「なんで終わるのか」と言わせてしまって悔しかったです。今まで大人の言うことを聞き分けよく聞いて来た子だと思うんです。だからこそ、最後に聞き分けがない姿を見せるくらい追い詰めてしまって申し訳なく思いました。そのあと、ステージを去る直前、「終わりじゃなく始まり」と言いましたね。その後言葉を詰まらせ、泣き崩れてしまいましたが、きっと自分に言い聞かせていたんだろうと思います。本当に強い人でした。


ウジンくん
献身的なパフォーマンスでグループを支える姿が魅力的でした。あとは、メンバーの中ではかなりシャイな方だよね。無表情で無愛想に見えるけど、懐に入ると可愛らしい人で、純粋な人で、無邪気な人で。メンバーに対しても優しくて本当に良い子。特にジフンちゃんと仲が良いイメージで、ジフンちゃんといる時の顔をファンにももっと見せてよといつも思っていました。
多くは語らず、少し不器用なところもあるけど、人には優しく、自分のことは個性や性格をきちんと理解して、自分に合うやり方でひとつひとつ積み重ねて勝ち取ってきた人だと思います。その熱意や真心は、推しじゃなくても伝わってきたし、そこに才能も掛け合わさってとにかく凄いと思う瞬間ばかりで見ていて楽しくさせてもらいました。
グループではダンスとラップ担当でしたが、歌も本当に上手なところも高ポイントで、ステージ映えもピカイチで存在感があって、いないと物足りないスパイスのようなイメージでした。
きっとWanna Oneという枠に収まりきらなくて、表現し尽くせなかったウジンくんの魅力がまだまだたくさんあるんだと思います。ウジンくんがより輝くスタイルの音楽、場所で更に輝いてエンターテイナーとして着実に成功していくのだろうと考えるとこれからも一層楽しみです。
最後の挨拶、ライブビューイングでは韓国語が分からなくて理解できなかったけど、あとで日本語訳を見て泣きました。
「終わりがあると分かっていたのに、なぜこんなに喜んだり幸せを感じたりしてきたのか」。本当なんでだろうね。分かってたのに。でも、きっとこの先、Wanna Oneで感じた喜びや幸せを上書きしてしまうような喜びや幸せを感じる瞬間が待っているはずだよ。


ペジ
大人になっていく姿を見せてくれました。強くなっていく姿を見せてくれました。まだ脆いけど、まだ頼りないところもあるけど、魅せ方と色気はWanna Oneで1番でした。Wanna Oneで1番ってことは、韓国で1番ということです。
顔が小さくて、スラッと背が高く、キリッとした顔立ちでアイドルとして人が羨む要素全て持っているのに、ペジ自身はその魅力に全く気づいていないようで、若いのに一歩下がって立っていて遠慮がちで、アイドルを夢見ているはずなのに、注目を向けられないように下を向いていて。応援されるより心配させる子でした。
なんでプデュに出たんだと思う気持ちと、アイドルになるべくして生まれてきたと納得する以外ないビジュアル、声質はじめとした潜在能力の高さ。こんな矛盾を抱えたらもうペジ沼です。この子をどうにかアイドルに導きたい。本人が自信をなくしても意欲をなくしかけても、どうにかアイドルとして輝かせたい。そんな気持ちでWanna Oneのメンバーとして選ばれたんだと思います。
Wanna Oneのペジニョンは、10代にはとても見えない色っぽさと儚さを全身から放っていて、美しかったです。完成度が高かったです。でもやっぱりステージから降りて口を開くと10代の少年で、虜でした。
もうちょっと年をとったらすごく味が出そう。良い年の取り方をしそうなビジュアルなので、外見も中身も磨いてステキな大人になってください。そして世界を魅了する人になってください!ペジならなれるよ!


デフィたん
かわいかったです。ずっとかわいかったし、愛おしかったです。
不思議な人で、歌うとムーディーで艶があって、カメラが向くと愛嬌振りまくぶりっ子で、キャラの濃さと表情の豊かさも魅力だし、年少組なのに、アイドルとして求められていることや取るべき言動を弁えていて大人だったし、自らがアイドルが好きというのもあってか、アイドル像が明確になっていると感じることが多く、自身のもつアイドル像を終始貫いているのが若いのに偉いし、凄い人だなと思っていました。
年上のメンバーにも臆することなく、自分の思ったことを伝えられる意思の強さと、甘え上手なキャラクター、甘辛のバランスがとても良い塩梅で、天才でした。
日本語と英語の嗜みがあって、歌も上手ければ、韓国のラッパーが立ち上げた事務所に所属していてヒップホップも齧っているし、もちろんダンスもきちんと練習してきているし、作詞作曲もできれば、バラエティもできて可愛いカメラアピールも朝飯前。人生2回目なのでは?と思うほどの要領の良さ。そして可愛らしい見た目なのに歌では高音が苦手。動きが若干オネエっぽくて、リアクションがおばさんっぽくて、ある意味ジェンダーレス。
細々した設定が少し多いけれど、いるだけで笑顔になれる存在なので間違いなく彼はアイドルです。
まだ18歳!人生またまだこれからですね!


リンリン
身体と態度の大きなマンネだったけど、野心家でずっと先を見つめてる感じでした。目を離したら興味のままにどこかに行ってしまいそうな浮遊感と、最年少なのにもう落ち着いていて達観して全てを客観視しているような哀愁の両方を感じる不思議な17歳でした。
1人台湾出身メンバーということで、言葉の壁、文化の壁もあっただろうし、短い練習生期間でデビューをしたので、最初は他のメンバーにまず追いつくというところから始まったんだと思います。でも、出来ない素振りを全く見せず、やれると自分を奮い立たせ、あえて高いところに自分を置いて、そこまで自分を持っていき、他のメンバーと引けを取らない完成度まで仕上げてくる根性は、もっと評価されるべきだったと思うし、もっと評価してあげればよかったと思っています。
年の離れたメンバーと仲が良さそうだったので、やっぱり本人も大人で落ち着いているように感じました。最後のコンサートでも、1人泣かずにステージの上に立っていたし、プデュの頃から強心臓だなと思う場面がたくさんありました。年上のメンバーたちからたくさん学んで盗めましたか?ダンスや歌は、これからという感じの実力でしたが、ラップは外国人なのに上手ですごいと思いました。きちんと発音しないと、母国語でも空耳しますからね。
造形の美しさ、実力、韓国語力、良いところはもっと伸ばして、さらにいろんな経験をして台湾と韓国、いや世界で輝く大スターになってほしいです。期待しています。


最後に、推しの

 

ミニョンさん
Wanna Oneを知って「Energetic」のMVを観たら、ピチピチした少年たちの中に1人精悍な顔つきで佇む少年というか青年がいて、とても新人には見えない整った姿に惹かれました。それがミニョンさんでした。他のメンバーは、映像の中ではしゃいだり笑顔を見せたりしているのに、1人だけ笑顔が映らず、冷たい目をしているような気がしました。もともと一重でつり上がった目がさらに攻撃的で、人を寄せ付けないように見えて。多くの人に愛される存在になりたくてこの場所に辿り着いたはずなのに。きっとWanna Oneを見ている人の視線はミニョンさんにも等しく優しいはずなのに。それを全部跳ね返すような目をしていたのが気になって、そんな人を有しているグループって一体…とWanna Oneに興味を持ったんだと思います。
Wanna Oneは夢、希望、奇跡といった煌びやかな言葉が似合うのに、ミニョンさんは少し違って見えました。冒頭の銀河の例えを再び出すと、ミニョンさんは、恒星の中に紛れた月。夜には粛々と太陽の光を受けて輝いて見えて、昼間も顔を出すこともあれば満ち欠けもして見える、まさに月のようだと思いました。そんなふうにWanna Oneを知り、ミニョンさんを知っていくうちに、ミニョンさんの置かれた状況、背負ったものを知って、文句ひとつ言わず、愚痴ひとつこぼさず、黙々と淡々と向き合っていくミニョンさんの気持ちを勝手に想像し、勝手に複雑な気持ちになることが何度もありました。
Wanna Oneのミニョンさんから意思を感じたことがありません。黙々と淡々とWanna Oneとしてそこに立っていたように感じます。ミニョンさんの意思を、願いを、希望をWanna Oneのミニョンさんの中に見つけたかったけど、私は最後の最後まで見つけることができませんでした。ミニョンさんがそれを押し殺していたのかもしれません。意思を持たないようにして執着しないようにしていたのかもしれません。だからこそ、ミニョンさんは「誠実」という言葉で表現されたんだと思います。
プデュからずっとミニョンさんは、譲っていました。それが優しさやメンバーや仲間を尊重し思いやる気持ちの顕れだとも思っていました。でも、時々、解散するとき愛着が残らないように、別れる時辛くないように、最初からあまり深くWanna Oneに関わらないようにしてるように見えたこともあります。
ミニョンさんには、NU'ESTに戻りたいと思っていてほしいし、Wanna Oneが解散しないでと思っていてもほしい。ミニョンさんの意思が見えない分、いろんな希望を押し付けることもありました。でもミニョんさんが意思表示できない状況下にいるというのも分かっていました。
物事に執着心がなく、他人と自分を切り離して考えるように見えるミニョンさんの佇まいは、もともと自己肯定感と自尊心が比較的強いミニョンさんの性格だけでなく、NU'ESTとWanna Oneという存在で説明できると思っていました。でも、最後の挨拶で申し訳ないと涙を流したことで、ハッとしました。あの挨拶でミニョンさんが謝った全ての人のことを、ミニョンさんはもっと上手に愛したかった、愛していると伝えたかった。そんな風に思っているように見えました。誠実に見えていただけで、本当は誠実になりたかった人なんだと思いました。NU'ESTの活動で経験してきたことをもっと教えてあげたりアドバイスしてあげられる先輩として出来たであろうこと、年長組として出来たであろうこと、仲間として出来たであろうこと。し尽くせなかった悔いがあるように感じました。
でも、誰より複雑な立場に置かれていたこと、みんなわかっていたと思うので、ミニョンさんは少しも申し訳なく思う必要なんてない。それに、私は、ミニョンさんはきちんと誠実だったと思います。ずっと美しい存在だったこと、ガッと集中して全力でするパフォーマンス、心を込めた歌、これまでのキャリアに蓋をして、新人アイドルとして謙虚に居続けたこと、最後泣くのを必死で堪えて歌おうとするプロ意識、全部誠実だったと思います。
Wanna Oneで見た景色をNU'ESTとしても目指して超えてほしい。Wanna Oneで残した申し訳なさは、NU'ESTで晴らしていってほしい。自らを運命論者だと言っていましたが、運命という言葉は、過去の出来事に対する表現であって、未来の出来事に対する言葉ではない気がします。下書きのまま絵の具で色もつけられない人ですが、自由に自由な色で描いていってください。

 

 

さあ、Wannable(Wanna Oneファンの呼称)からL.O.ㅅ.E(NU'ESTファンの呼称)になりますよ〜〜