門限の9時

だんだん未来広がってく

「殺風景」感想

何から話したらいいのかわからない。

自分が何を感じていたのかわからない。
 
 
ただ、舞台の世界観にあっという間に引き込まれていた。殺人事件の目撃者になってしまっているという心の痛さと、殺人を犯すシリアスなシーンの中にふいに飛び出すコミカルなお芝居に思わず笑ってしまう違和感と、とにかく気持ち悪いけど心地いい、凄い舞台でした。
 
 
 
どうして人を殺すとか、どうして愛するとか、その行為を正当化させる理由なんて必要ない、すごく本能的な舞台だと思った。
 
殺風景[名・形動]《「殺」は、けずる、そぐ意》
 眺めに情趣が欠けていたり単調だったりして、見る者を楽しませないこと。また、そのさま。「―な冬の浜辺」「―な高速道路」
 おもしろみも飾りけもなく、興ざめがすること。また、そのさま。無風流。「―な話題」「―な人」
 
 
 
私自身、とても殺風景な気持ちで見ていました。すごく傍観者な気持ちで。この人たちが何を考えてどういう思いで行動してるとか少しも興味を持てなかった。
と同時に、「殺人なんて絶対ダメだ!」と正義になる気にもならず…でも、無関心なわけじゃないんです。観劇するという行為を放棄したわけじゃない。
 
 
 

演劇のための演劇を作りたいわけではない。エキセントリックな演劇をアカデミックな演劇をひけらかして満足したいわけではない。生身の人間が生身の人間とコミュニケートしたいだけの話だ。舞台上に生きる人間の、穴という穴から漏れ出る生臭い汁を、観客と共にまみれたい。そんな苦虫を潰したような顔をしないで欲しい。慣れてしまえば大丈夫。シアターコクーンだろうが関係ない。泣ける作品でも笑える作品でもない。何だかよくわからない生臭い汁が、観客の穴という穴から漏れ出たなら幸いだ。宣伝文句としては最低だが、それが僕の理想だから仕方ない。

赤堀雅秋

 
 
 
 
 
 
私は八乙女光というアイドルを観に行ったのだが、八乙女光は現れなかった。
コンリハ中だったのだろうか。
ただ、舞台の上に彼とよく似た男がいただけだった。
 
 
初めて見た舞台に芝居の奥深さを感じたように思う。
役者は何度も死んで何度も生き返る。
芝居は生ものだと思った。
 
 
 
あまり深く考えても答えはでない。
明日から頑張ろうと思うわけでも、何かを得るわけでもない。
でも、見なきゃ良かったとか、時間の無駄だったとは全く思わないのだ。
殺風景な部屋や景色を観ても嫌な気分にならないのと同じだと思った。
 
 
 
ドロドロしていてそれこそ生臭く、どちらかといえば汚ない部分を散々観せられる舞台だったが、スーッと受け入れらてむしろ面白いと思うのは、殺風景な舞台だったからだと思うのだ。
 
 
 
うまく書けないが、八乙女光主演「殺風景」見応えのある舞台だった。