門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

ジャニオタ、街コンに行ってみたけど

本音なのか、強がりなのか自分でもわかりませんが、ジャニオタということを抜きにして、25歳のしがないいちOLが今考えていることを思いのままに書こうと思います。タイトルは詐欺で、街コンレポではないです。ジャニオタ関係ないです。先に言っておきます。

 


私は、結婚も恋愛もしたいと思っていません。今は。
でも数年後の私は、もしかしたら明日の私はしたいと思うかもしれません。
その時行動するとなっても手遅れな気がします。
なので、動いてみました。


結婚や恋愛ができないと証明することができたら悩んだりしないと思います。悩むということは、僅かにしたいと思う気持ちの表れなのかもしれませんが、しなくていいならしたくないという気持ちもあります。

矛盾にもほどがありますが、結婚も恋愛もしなくていいと言ってくれる人と結婚したいし付き合いたいです。そんなの人生で重要じゃないよって言って、私の言い分、生き方を認めてくれるような人と結婚したいし付き合いたいです。

 

あれ、結婚したいと思ってるじゃん、付き合いたいって思ってるじゃん。

いいえ。結婚や恋愛という事象、行為、感情、状況に欲求があるのではなく、そう思える相手としたいと思うのです。


そう思える相手ってどうやったら出会えるの?


出会えないんですよ。
社会人になって「出会いがない」と簡単に口にするけれど、出会いはあります。出会いはいくらでも作れると思います。でもそこから親しくなって、お互いにとって必要だとか支えだとかそう思えるような、そういうことを語りあえるような深い関係になれる気がしないんです。時間も接点も足りない。もちろん理解したり歩み寄ったりする努力だって必要ですし。
それに1番は相手も同じように考えているということが必要だという最難関の壁はどうすることもできないですから。
打ちのめされてしまいます。


普通の大人は、人と出来るだけ円滑な人間関係を築きたいと思っているし、よっぽど嫌いな相手じゃなければ、興味関心がない程度の人くらいだったら、ある程度その場の会話を弾ませるよう努めます。けれど、特別深入りしようとは思わないし、まあとりあえず「また会いましょう」とか「楽しかったですね」くらいは思ってなくても言えたりします。
みんな良い人に思えるし、みんな良い人に思えないし、好きだし嫌いです。


街コンに行ってみて気づきました。
結婚しない、恋愛しないことを肯定できる理由を探していることに。
「全然良い人いなかったわあ」「あの人のこういうところがなあ、妥協するしかないのかな」
なんてそれっぽい言い訳を並べて、結婚できない、恋愛できないことを正当化できないかなあと思っている自分がいるんです。
街コンに行ってみたけど、良い人がいませんでした。そういうモチベーションが上がりませんでした。だから、結婚はいいです。恋愛はいいんです、私。
って言えば誰にも責められないような、惨めじゃない気がして。そういう理由探しに必死でした。


そもそもなぜこんなに結婚や恋愛というワードに抵抗感を覚えるのか。
結婚はしたことがないので、得体の知れないものへの抵抗感だと思います。身近な夫婦をみて、結婚っていいなと思うことももちろんありますが、面倒なところや厄介そうなところも見てきました。親しい人の結婚式に出て、幸せそうなその人の顔を見て素直によかったねとも思いましたが、自分がその場に立って同じように幸せに思える気がしませんでした。意外と形式的で、思い出作りには大掛かりすぎて多くの人を巻き込みすぎて、やらなくてよくない?とすら思ってしまいました。
結婚にたいしてはそんな感じだけれど、子どもがいたら大変だろうけど楽しいだろうなあとは思います。私自身、3人きょうだいがいて、両親、祖父母と大人数で暮らしていたので、わいわい賑やかな家族で楽しかったし幸せだったし、心強いと思うことのほうが多かったです。
でも、今の私が子どもがいたらいいなあと思うのも、自己満足にすぎません。子どもが親を選べないことをいいように、自分の味方がほしいというか、自分を必要としてくれる人がほしい、みたいな気持ちです。
私の母は、とにかく仕事を一生懸命やる人で、祖母に育てられたと言っても過言ではないくらい、母親との幼少期の思い出って、覚えてないだけで多少はあるんだろうけど、あまり強く記憶に残っていません。それでも、他の人に言えないことも母には言えるし、何をするどこに行くにしても、母とは楽に物事が進みます。
大人になって母も私のことをそう思ってくれていると感じることが多くなりました。頼りにしてくれているというか。母娘という関係は大前提に、1番の親友のような、姉妹のような、そんな気安さもあります。女同士だからかもしれませんが、自分にも子どもがいたらそういう存在になってくれるような気がして。だから、子どもはほしいと思ったりします。
でもその想定にどうしてか父親を組み込むことができません。もちろん父親と母親がいるからこそ、娘にとっての女親は唯一無二の存在だと言えるのでしょうけど、父親がどんな人でも自分が産んだ子にかわりはないので、愛し方が変わるとかないと思ったりします。子どものことを考えずに言うと、最悪父親はいなくてもいいです。シングルマザー大変かもしれないけど、自分の子だから。きっと一生で一度、私が幸せにしてあげたいと思う存在だろうから。


恋愛はというと、過去の経験上、面倒なイメージしかないです。いつもそうです。些細な連絡、記念日とか大事な日とか。予定を合わせること、それを続けること、全部面倒に思えてきてしまって。それだけで好きじゃないとか、愛されてないとか判断されて。そうだよ、面倒だよ。面倒なことに向き合うほど根気のある人間じゃないよ私。
自分1人で思い立って、ここに行くならこの人、これを食べに行くならこの人って、自分の都合に人を合わせてその場が楽しければそれでいいのに、その方が相手に無理させる率も下がるのに、その人と楽しく心地よく過ごすために伴う面倒が多すぎます。

 

他にも結婚や恋愛をしなくていいならしたくないと思ってしまうことはあります。でも共通して言えることは、誰かに今の自分の考えとか選択とか諦めとか怠惰が入ってるかもしれないけれど、認めてくれないかなと期待してしまっているということです。無意識に傷つかないように自分を守っているということです。

だから、結局、クズだなあと思うわけです。つくづく。だから、結婚しない、恋愛しない人は冷たい目で見られるんだろうなあと思うんです。
やっぱり1人で生きること、1人でなんでもできることは、少しも高尚じゃないし少しも立派じゃないんだなと思うんです。誰かと折り合いつけながら面倒なことにもしっかり向き合って乗り越えていける人の方がよっぽど素晴らしいんです。
結婚したり恋愛したりできる人は、他人と面倒なことにもちゃんと関わって取り組める人なんですね。逃げない人ってことなんですよね。
でも、家族とそういうふつに努力して関係を築いた記憶がないです。それが他人と血縁者の違いか(解決)。

 

じゃあ、最初の方に戻るけど、今25歳。
毎日誰かのことをじっくり理解するほどじっくり接する時間も機会もない。それを作れたとしても、その人との関係が必ずとか絶対なんてあり得ない。相手もそう思う確率なんて奇跡に近い。
奇跡起こせる気がしないなあ。難しい。

 

本音なのか強がりなのかわかりませんが、やっぱり結婚したいし、恋愛したいと思ってるのかなあ。まだ諦めたくないとは思ってそうですよね。
年齢制限とかあればいいのにね。自分で設けたり見切りつけるのもなんだか寂しいじゃん。
それか一昔前みたいに「結婚して子供を作って暮らすことが幸せです!!それこそが幸せです!」って信じて疑わない時代、世間だったら、ちゃんと焦ってちゃんと結婚しなきゃって義務感に駆られてたよ。就活みたいに。
幸せが多様化して自由な時代になって、私はわかりません。自分がどんな生き方したら幸せなのか。明日の私が未来の私がどんな毎日だったら幸せと思うか。それが分からないんだったら、一般的な幸せの型に収まっていた方が楽なんだろうなあとか思ったりもします。幸福追求権を放棄している気もしなくないですけどね。そこがおかしいのかな。一般的な幸せを望むことだって立派に幸せを追求してることだと言えるのに。
街コンだってたった1回だし、もう25歳かもしれないけど、まだ25歳とも捉えられるしね。私の選んだ幸せを認めてくれる人もきっといるし、軽蔑したり非難したりする人ももちろんいるでしょう。
それでもこんな私でも大切に思ってくれる家族や友達はちゃんといるし、結局今までどうにかなってきたからどうにかなるでしょう。私のことだから、いつかちゃんと考えて誰かと一緒に居ること、生きることを選ぶでしょう。何のために結婚するんだろうねとかいいながら、このドレスが似合うんじゃないとかあーだこうだ言う人を選ぶでしょう。そんな日常を幸せだと思える自分になってほしい。そして、いつか親になったとき、結婚なんてしなくてもいいと子どもに言いたい。我が子が選んだ幸せを認めて背中を押してあげられるくらい想像力のある人になりたい。

そのために、今それらしい理由をつけて逃げようとしていることに向き合うことが必要なんだなきっと。どんな些細なことも覚悟は必要なんですよね。その覚悟がないからきっと結婚も恋愛もしたくないんだろうなあ。早く大人になれ、私。

 

 

 


「しっくりくるくらい誰かと仲良くなって、一緒に何かができるようになれば、もっとずっといいってわかってるのに、それをやる根気がないんだ。しっくりさせるのに心を費やすくらいなら、一人で動いてしまう。面倒くさがりだから。」

 

「会いたい人とか一緒にいて楽しい人って何人かはいるけど、でも、いろんなことを平気にしてくれるのはイエスだけだって。イエスがいたから点滴なんて朝飯前になったし、あんなに恐ろしいと思っていた手術も余裕だった。なんでも大丈夫にしてくれるのはイエスだけだよ。そう思ったら十分一緒にいる意味がある。」

 

瀬尾まいこ僕らのごはんは明日で待ってる」)

 

 

この記事に落ち込んだり励まされたりします。