門限の9時

だんだん未来広がってく

SEVENTEENのコンサートに行ってよかった

この幸せな思い出ひとつあれば、軽く100年は幸せに生きていけそう。そう思える出来事だった。

カラオケで何を入れたらいいかわからないなと思ったとき、いつも入れてしまう曲が、プリンセスプリンセスの「Diamonds」だ。その曲の「プレゼントの山 埋もれもがいても まだ死ぬわけにいかない」という歌詞がとても好きだ。
「死ぬわけにはいかない」という言葉に「生きる」という言葉を超える生命力を感じる。
同じ理由で、AKB48の「ハイテンション」という曲の「ミサイルが飛んで 世界が終わっても 最後の一瞬もハッピーエンド」という歌詞も大好きだ。「死ぬ」とか「世界が終わる」という言葉自体は、積極的に使うのが躊躇われる言葉だが、使い方によってこんなにも力強く前向きなイメージに聞こえるから不思議だ。


私生活で、昨年度末あたりから死にたいと思う瞬間が増えた。今思えば、当時なにがそんなに辛かったのか、嫌だったのか、悩みの種があまりに小さ過ぎて恥ずかしいくらいなのだが、その時はとにかく憂鬱な今日から逃れたい一心で、今日会社に行かなくて済む方法はないか毎朝毎朝考えていたら、「家の階段から落ちて骨折したら…」「この(交通量のあまり多くない)道で赤信号を無視してみれば…」「駅のホームから飛び込んでみれば…」と、どんどんエスカレートしてしまった。
それまで、自殺のニュースを見るたびに、「なにも死ななくてもいいじゃん!」と思っていたが、死という道を選んでしまう人の気持ちがすごくよくわかった。怪我や病気程度じゃ治ったらまた会社に行かなきゃいけない。しかも、迷惑かけてすみませんでしたと謝って、休んでた分取り返すように働かなきゃいけない、働けなくてもそう思っている気持ちだけは見せなければいけない。なら、死んだ方がマシかも、死んだ方が楽かも、って。そうしたら、あ、それいいな!名案だな!死のう死のう!今辛いこととか悩んでいることから全部解放されるとか最高じゃん!って、本気で同調するんですよ自分の頭が。そういう時ばかり、考えてる通りに身体が動こうとするみたいで、本当に線路の淵に一歩近づいてこのまま踏み出すのが怖くもなんともないと思えたのだ。

何が言いたいかと言うと、死というのは、いい意味でも悪い意味でも物凄いエネルギーを持っているということだ。自分が心から死にたいと思って、死に最接近したとき、物凄い力で吸い込まれそうになるのだ。駅のホームから電車に飛び込もうかなと思った時も、すごく前向きな気持ちが勝って、恐怖心が全くなかった。
しかし、なぜ私が電車に飛び込まずに生きているかというと、せっかく命を犠牲にして死ぬのなら、惜しい人材をなくした、仕事が回らないと、会社の人たちに思いっきり迷惑をかけまくるくらい仕事ができるようになってからじゃないとな、と思ったのと(一体なんの恨みが笑)、死に最接近して、一番に思い浮かんだのが嫌で嫌で仕方ないはずの会社の人たちの顔だったのがすごく悔しかったからだ。
死ぬときは、大好きな人たちや愛しい人たちの顔を思い出しながら、最高に楽しかったと思いながら死にたいじゃんか。嫌なところから逃げられる代わりに大好きな人たちのことを思うことができなくなるのは悲しい。
生きていれば、この先幸せに思えることが起こるかもしれない可能性を、死ぬことで捨てるのなら、これまで生きてきた人生くらいは、自分で全肯定したい、幸せだったと思えるものにしたい。そういう気持ちになった。
埋もれもがいていたのはプレゼントの山じゃないけれど、プレゼントの山じゃないからこそ、私はまだ死ぬわけにはいかない。そう思った。


埋もれもがいてもまだ死ねないと思う「プレゼントの山」は、よっぽど魅力的なもの、もっと欲しいもののメタファーだと思う。私にとっては、そのひとつがアイドルだと思う。
コンサートは何度行ってもまた行きたくなるし、テレビや雑誌で笑顔が見れれば、ドラマや映画や舞台で活躍していれば、とにかく元気がもらえるし、うん、元気になれる。そして楽しい。毎日頑張っている分、壁にぶつかるし嫌なことだってあるけれど、そんなものを簡単に吹き飛ばしてくれる。だから頑張れるし、だからもっともっとと欲しくなる。

年が明けてから、私はSEVENTEENという韓国のアイドルグループに大ハマりしたのだが、実際に、深刻な死にたい期に、毎朝、「目を開けて起きたら会社に行かなければいけない」と布団と中で葛藤していたのに、いつのまにか、「でも通勤時間にSEVENTEENの曲を聴ける」と思えて、そう思ったら、とりあえず、身仕度をして家を出ることができた。そうして駅に着く頃には飛び込みたいな☆と思うのだが、好きなグループの曲を聴く、そんな簡単なことが私の生きる目的になっていたし、彼らの曲や存在のお陰で、どれだけ救われたか分からない。
現実逃避かもしれないけれど、アイドルを摂取することが私が私を死に近づけない唯一の方法だった。まさにプレゼントをたくさん欲しがる子どものように、YouTubeの動画を漁り切ったらAbema TV、無料動画を観切ったら、DVD、CD、WOWOW、スカパーと有料コンテンツにも手を出して、そうしていくうちに「いつかSEVENTEENのコンサートに行ってみたいな」とか「彼らのホームである韓国に一度行ってみたいな」なんていう小さな夢ができ、それを叶えたいからまだ死ぬわけにはいかないと、死なない理由みたいなものができた。

そして、念願のSEVENTEENのコンサートに行った。
SEVENTEENのコンサートは、過去のコンサートすべて映像で観たけれど、どうしてもカメラに収められた部分しか観ることができない。SEVENTEENはHey!Say!JUMPよりもさらに大所帯なので、カメラに収まらない魅力がきっといっぱいあるはずだと、行く前から楽しみだった。実際に行ってみたら、本当に楽しくて幸せな気持ちになれた。帰り道、この幸せな思い出があれば、この先幸せだと思えることがひとつもなくたって、この思い出を思い出せば、死ぬまで幸せに生きられそうだと思った。
今ここで死んでしまったとしても、幸せな人生だったと、人生に何の悔いも残さず死ねる、そう思えるくらい幸せだった。

今ここで死ねると思えるくらい幸せなことは、また明日から頑張れるという気持ちを超越した生命力だと思う。今ここで死ねたら本望だと心から思えるということの幸福度。あれだけ憂鬱だった日曜日夕方に心に重いものがひとつもないということ。少し前の私と今の私、死にたいという言葉を真逆の意味で使っている。とにかく私はまだ死にたくないし、でも今死んでもいいと思えるくらい幸せであることは間違いない。それがどれだけ恵まれていることか、凄いことなのか、私は思い知った。


人生は意味において不可解だとしても
味わいにおいては泣きたくなるような美味しさ
                                  畑にて/谷川俊太郎


ダイヤモンドほど価値のある人生なんかじゃない。騙し騙しでおんなじようなことを何度も何度も繰り返すかもしれない。でも、泣きたくなるくらい胸がいっぱいになったり、出会えてよかったとか生きててよかったなんて、人生でそう簡単に口にしないような感情にさせてくれるからアイドルはすごい。
SEVENTEENのコンサートに行ってよかった、SEVENTEENに出会えてよかった!


詳しいコンサートはまた!
そしてこれからJUMPコンじゃああああああ!!!!