門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

「DEAR.」 の感想の前に

花火を見た。彩られた夜空を見上げながら、聴いたばかりの曲を思い出し、今の私の胸の真ん中って何なんだろうなんて考えた。


残念ながら、今、私の胸の真ん中にあるのはHey!Say!JUMPではない。もちろん、今までのように、変わらずHey!Say!JUMPが真ん中にいてほしいなって思っている。でも、社会に出たらそうはいかなくなった。当たり前だけど、仕事、プライベート、人付き合い、友達、同期、家族…胸の真ん中にいてほしいもの、真ん中に置くべきもの、つまり、頑張りたいことややりたいことが沢山ありすぎて、同じくらい全部が自分にとって大事で、優先順位をどう付けていったらいいのか、ふと我に返って悩んでしまう。
少なくとも分かっているのは、Hey!Say!JUMP中心の生活は出来ないということなんだけど、スパッと捨てられるくらい無関心にもなれない。

今の私には軸とか方位磁針みたいなものがなくてグラグラしている。
なにかを選べば、なにかを諦めることになる気がして、今の選択が5年後、10年後まで決めてしまうような気がして、結局なにも選べないし、決められない。
自分の選択に自分が責任を持てなくて、全部中途半端に並べるだけの作業になってしまってる。
そして、それはただの時間稼ぎでしかないというのも分かっているのに選べない。優先順位を決めるのすら怖い。 

 

花火を見ながら、打ち上がる前には戻れないんだと悟った。打ち上がってしまったら、綺麗に咲いて散りゆくしかないんだなと思った。選択肢はないけど、その分見惚れるほどに美しい。

花火ほど美しくは咲けないけど、何かを選べたらきっとより良い1秒後が待ってるような、そんな気がした。

 

隣で見ていた友人の口から「きれい」という言葉が零れ落ちた。私の気持ちが間違って友達の口から零れてしまったかと思うほど、私の言葉は声にならなかった。

花火は、同じレジャーシートに座る仲間の見惚れ顔すら、明るく照らしていた。

私は、この人たちを選ばないと決めた。

直接的に選ぶのではなく、この人たちに誇れる選択をしたいと思った。

 

「君に見せたいと思える明日を選ぼう」

今の私の真ん中って多分こんな感じだ。

頑張り方を間違えそうになっていた。

Hey!Say!JUMPだって、私にとって君だ。

大好きな人たちに愛されるような選択をすることも時に大事かもしれないけれど、愛されるより信じてほしい気持ちのほうが俄然強い。

 

最近のHey!Say!JUMPは、自分たちの足で立って歩いて行けそうな頼もしさがある。私も周りの人から、大好きな人たちからそう思ってもらえる人になりたい。そのために、自分を良い方向に変えられる選択をしたい。

 

花火の帰り道、みんなで並んで駅まで向かった。何年経ってもこうして並んで他愛もない話をして笑っていられたら最高だと思った。私もHey!Say!JUMPも。