門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

恋と言うな、愛と言え

 

久しぶりに人を愛しいと思った

 

 

ちょっとぶっきらぼうなとことか

私服が良い感じの日とダサい日の差が激しいとことか

調子乗りで単純なとことか

そのくせ根は引くほど真面目なとことか

味覚が子どもっぽいとことか

レモンサワーが好きなとことか

写真撮ると必ず変顔するとことか

妙に気が利くとことか

周りから「実はすっごい優しいよね」とか言われるとことか

なのに肝心な時に優しくないとことか

 

 

 

私なんかを食事に誘ったり映画に誘ったりするとことか

 

 

なに考えてんのかよく分かんないとことか

 

 

 

なんか、迂闊にも愛しいとか思ってる気がする私

 

 

 

 

まだ22だと思ってたら、いつの間にかもう22になってた。「恋」なんて単語を出したら、すれ違うだけの道行く人にさえ笑われてしまいそうだから、そんなこと思わないし言わない。でも、久しぶりに生身の人間を愛しいと思ってるんだ。

付き合いたいとかそんなことこれっぽっちも思っちゃない。恋がしたいわけじゃない。強がりでもなんでもない。

だって、これからの人生でするのはきっと、男とか女とか、好きとか嫌いとか、かわいいとかカッコいいとかじゃなくて、人間同士の付き合いっていうかもっと内面的で深い人との付き合いなんだろうなって思うから。

 

 

有村架純ちゃんと高良健吾くんが出てた月9の中で「恋愛は衣食住の順番でくる」ってセリフがあった。私も、これからは、見てくれじゃなくて、雨風凌げる関係を築ける人と出会って関係を築けたら最高だなって思う。

だから、愛しいと言っても、私の使うその愛しいって言葉の意味合いは私自身もいまいちよく分かっていない。ただ、私にもまだ生身の人間を愛しいと思える気持ちがあったことが嬉しかったしそれでわりと十分な気がしている。


もし、衣食住の順に恋愛が進んでいくなら、多分、私はしばらくの間、着る恋愛から止まってる。もしかしたら、これまで、ひとつもまともに着こなせたことはなかったかもしれないけど、これからは住む恋愛一択にしたいと思う乙女心があったりする。でも、もしかしたら、22歳、食べる恋愛ができる最後のチャンスかもしれない気もしている。また着てしまうかもしれない気もしている。でも、時間全てが自分の支配下に置けない社会という海に飛び込んだ22の夏に思うのは、これからしたいのは住む恋愛だなってことだ。だからこそ、今目の前に落ちてる愛しいって思う気持ちを食べるか住むか迷ってしまう。「恋」なんて言葉は青臭くはないかと様子を伺ってしまう。

 

さっきから、ジャニヲタブログのくせに恋愛なんて単語が並んで気味悪いだろうけど、愛しいという感情を目の前に、これを恋と言ってくれるな。愛と言ってくれと思う。よく分かんないけど、大事にしたい気がする。この気持ちを。

 

 

20代の着地点なんていろいろある
落ち着かなくたって、答えを出さなくたっていいんじゃないかと思っている

でも、私は内心こんな風に考えているから
周りの普通と違うかもしれない
義理と感謝で人を愛そうと思ってしまってるから、多分もう恋なんて出来ない
それは後ろ向きなんかじゃなくて前向きなことだって、誰か頷いてくれる人がいたらいいと思って書いてみた

 

今日は好きだけど、明日は嫌いかもしれない

素敵な人と思った途端になんだこいつと思うかもしれない

でも全部ひっくるめて今は愛しいんだ、伝わってくれ

でも応えてくれなんて思ってない

恋じゃないから、愛だから

ってそんな高尚な物じゃないかもしれないけど

目の前の気持ちで一喜一憂したりジタバタしたりしない

恋と言うな、愛と言え

恋をするな、愛せよ私