門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

「数々の場面」

いつの間にか、あの時、取材陣の前で謝った薮くんの年齢を、私はもう追い越してしまっていた。時の流れとはなぜこうも残酷なのだろうか。

君のいない毎日に、自然と慣れてしまった。時間のせいなんだ。だって、忘れてしまったわけではないのだから。
あの晩、偶然見つけた写真を見ても、現実だなんて思えなかったこととか、翌朝、現実だと知った時のショックとか、「これからHey!Say!JUMPどうなるんだろう」と内心取り乱したまま学校に行ったら、なぜか小山担の友達が教室で号泣していてたこととか、事実だけはこびり付いて離れないのだ。


あれから、君の名前を耳にするたびに、「君がいたら」とか「君がいれば」なんて枕詞をつけて「どんな今があっただろう」って想像したりすることが何度あったか分からない。
でも「別れはまた会う約束さ」なんて、言える状況や立場にあった人は一人もいなかった。
10人で笑い合ってた日のことを話してはいけないと言われているような気が、ずっとしていた毎日だった。


君は必ず戻ってくると信じていたファンもいた。きっと君もその存在を知っていたはずだ。でも、Hey!Say!JUMPと「数々の場面」を共に過ごすことができなかった君への、ファンの願いが叶うことはなかった。


君がここにいたという過去を知らない人の方が多くなって行くのかもしれない。私たちも慣れて、いつしか忘れてしまうのかもしれない。

でも、こういう形ではあるけれど、君はまた私たちの前に現れることができたし、新たな道を歩き始めることができた。
私には、美談にする気も、なかったことにする気もないけれど、君は必ず戻ってくるという願いは無駄じゃなかったということだというのは感じている。
君がこうして新しいスタートを切ってくれたことで、話せなかったことが話せるようになるかもしれないし、傷口が塞がっていくかもしれない。それはすごく、すごく大きな一歩だ。君にとってもHey!Say!JUMPにとっても。


君と同じ場面を共有して笑い合うということは、この先ないだろう。でも、この世界のどこかに君が笑える場所があって、歩む道があるなら、私はここからだけど、見守っていようと思う。


君が大人になっていく過程を誰より見たかったのはHey!Say!JUMPのファンだ。


「別れはまた会う約束」にはできなかったけど、これから「別れは君想う時間」にできる気がする。きっとできるさ。たぶん、それでいいと思うし。それしかできない気がする。


ちゃんと進んでくれてよかった。
ありがとう。そして、がんばれ。