門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

私は明日もジャニヲタとして生きていく

今日もジャニヲタとして1日を過ごした。



4日前、私は2週間ちょっとの入院生活を無事に終え、その晩に待ち構える歌特番の放送をリアルタイムで視聴して、ジャニヲタとして復帰できるということに心躍らせていた。
ジャニヲタとして生活するとかしないとか考えるのは、自分の健康を侵された時くらいであり、健康に過ごすことは大事なことだと思いながら帰路に着いたものだった。




その晩だった。思いがけず、再びジャニヲタとしての自分のあり方を考えることとなったのは。




放送を観て、外野の元担*1という、なんとも都合の良い立場で、なんとも都合良く放心状態になり、寝付けない夜を過ごしたが、当たり前に朝が来て、普通に昨夜の映像を編集し、リピートし、単独カウコンの当落が出たと聞けば「神様、仏様、知念様、どうか当選の音声を聞かせてください」と強く願う自分がいた。




私はジャニヲタだけど、それ以前に普通の大学生でもある。むしろ、普通の大学生が本業で、大学生としての生活の方がメインである。
私がジャニヲタをやめたとしても、大学生の自分はなくならない。だから、当たり前に明日が来る。この世に生きるどの人とも同じように、私にも1日24時間という時間が与えられ、1日を有意義に使おうが、だらだらと使おうが、また次の24時間が供給される。


どんなに悲しくても、どんなに楽しくても、変わらず明日は来る。
どんなに悲しかった出来事も、どんなに楽しかった出来事も、次また日が昇る頃には、腑には落ちなくても胆のうのあたりにストンと落ちていたりする。


それは、すぐに忘れてしまうということで、すぐに癒えてしまうということで、それだけを受け取りながら、ただ受動的に明日を迎えていくのは、自分本位すぎやしないかとすごく思うのだ。すごく心が痛いのだ。明日なんて来なくていいと思うのだ。いっそ、やめてしまいたいと思うのだ。
こちらも足を突っ込むと決めた以上、おもてなしされるお客様ではないし、少しくらい荷物を背負わせてくれよと思うのだ。グループの看板の隅の方を触れる程度になってしまうかもしれないけれど持たせてほしいと思うのだ。



ヲタクの勝手すぎるエゴなのだが。



そもそも、こんなところでしか叫べないのが卑怯なのだ。好きなら好きと、もっと大きくなってほしいならもっと大きくなれと、自分から大きな声で叫べば良い話なのだ。コンサートで、テレビの前で、受け取るだけ受け取って、「ここまで一緒に歩んで来たじゃないか」と身内ぶるのもおかしな話なのだ。




「キラキラしたところだけ見せてくれればそれでいい」
なんて都合よく言ったりしてみるが、アイドルを輝かせるも輝かせないも、ファンの「好き」という気持ちをどれだけアイドルに伝えられるかなのかもしれない。
ステージに立つこと、アイドルでいること、それらがアイドル自身にとって迷いのない選択であれと心から願っていた。
でも違ったのだ。
アイドルを迷わせないこと。たくさんの選択肢がある中で、アイドルとしてステージに立つということが一番輝けると信じて疑わせないこと。こんなにたくさんの人を動かす存在になって後に引けないと思わせること。なんでもいい。どんなハチャメチャな根拠でもいい。アイドルと私をつなぐ太そうに見えて脆い1本の糸が切れたら、二度と紡ぐことなんてできないからだ。




私ひとりでなにかできるということではもちろんない。



そんなことわかっている。
でも、私は今日もここで君のファンとして生きている。たとえ明日が来たって君のファンだ。
今日も、心の中で君の団扇を掲げているし、もちろん明日だって君の団扇を掲げる。
ペンライトの海に溺れても、君に聞こえなくたって君の名前を呼ぶし、君の姿を探し続ける。



「世界中で君以外目に入らない」生き方は、大学生の私にはできないが、朝目覚めて、目に映る魅力的なアイドルの中から必ず君を見つけてみせる。
手がかりなんて何もないけれど、唯一腑に落ちている「好きだ」と心がときめく気持ちはきっと忘れたり、癒えたりしないはず。
だから傷ついたり、切なくなったりもするのだろう。
でも、それを「ジャニヲタではない自分」を逃げ道にして忘れたり癒したり・・・・そうではなくて、傷や切なさを塗り替えるのは、いつだって「好き」であってほしい。「好き」で上書きできるといい。



はたまたエゴと言われればあっけなくそれまでなのだが、どうかその脆く細い糸を伝って、君に届いてほしいと思うのだ。
ここに、君のことが大好きなファンがいるということを。どんな君でも、君のどんな気持ちも、受け取らせてもらえるなら受け止めたいと思っている怖いもの知らずな小娘がいるということを。君に直接届いていなくとも、君を必要としている人が、君を頼りに毎日を生きるジャニヲタがいるということを。





私は、明日もジャニヲタとして生きていく
その決意が、大好きな人を、大好きな人たちを輝かせる、ほんの一欠片になればいいと心から願って。









こちらは、2年前の気持ち。


そして、ジャニヲタとしての自分を葬り去るのは自分自身の手が良いと思って書いた気持ち。

*1:実はJUMPの前は亀梨くんを担当していた