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門限の9時

だんだん未来広がってく

もう一度、アイドルと対等に

争いごとは嫌いだ。
人と比べて優越感を感じたり、逆に羨ましく思ったり、そういうのも嫌いだ。
そういうのは全て人の価値観に過ぎない。
でも、アイドルに対しては違う。


大学2年になる春休み、私は自分自身の全てに絶望した。
それまで抱いていた自信が全て他者評価から得た物だと気づいた。自分自身が何かを成し遂げたわけでもなく、乗り越えたわけでもなく、ただ、人が○と言ってくれるから、満足していなくても○でいいやと思っていた。

「人より出来ない」という経験をあまりしたことがなかった。いつも「器用だね」と言われていた。
でもそれは、テストの順位とか、クラスとか部活とか、そういう狭い世界の話で、大学に進学し、一人暮らしを始めて、自分自身で自分を測る術を知らないことに気づいた。「人より出来ないことがなかった」わけではなく「人より出来ないことを避けてなんとかなってきた」ことに気づいた。

人と比較しなくては、自分を否定することも肯定することも出来ない。
自分で自分のことを理解するのに、一旦他人に跳ね返すというワンクッションを挟まなくては気づけなかった。

そもそも人は、自分の顔を自分で見れないように、「人のふり見て」からでないと「我がふり直せ」ないものなのかもしれないが、大学という野放しにされた状況で、ふりを見る人がおらず、自分が本当に見えなくなった。

人と関われば、自分の嫌なところや足りないところばかりが目に付くし、授業をサボって数日家にこもれば、社会との接点を完全に失ったような感覚になり、このまま死んでも誰にも気づかれないんだろうなぁなんて思い詰めたこともあった。


自分で自分に気づける人になりたかった。
どこからか照らされた光を跳ね返して輝くのではなく、恒星のようになりたかった。

私なんかより頑張ってるアイドルが無駄にキラキラして見えて、「私の分まで頑張れ」と思うようになった。
自分に対しても「頑張れ」なんて言う価値がないと思ったその反動で、アイドルに「頑張れ」と言いたくなった。
私はそんなふうに頑張れないから、きちんと彼らの世界と繋がっているのかもわからない自宅の狭いワンルームから「頑張れ」と一人声を上げていた。

本当は出来ないことを出来る顔してすり抜けてきたので、「頑張る」ということが出来ない自分に気づいた。
昔から人に「頑張れ」と言うのにすごく抵抗を感じていた。それは、自分が頑張れている人の言う言葉だと思っていたから。自分自身を頑張れていないくせに、アイドルに対して「頑張れ」なんて言うのは心底悔しかった。

そもそも、Hey!Say!JUMPに興味を持ったのは、それまで年上で大人な遠い存在だったジャニーズから同い年の子がデビューすると知って、「負けたくない」と思ったからだった。

中3のとき、アイドル雑誌で山田くんが、「テストが近いから英語の勉強を頑張っている」という近況報告をしていて、「雑誌を読んでる場合じゃない、勉強しよう」と机に向かっていた。
私にとってアイドルは、「ライバル」のような存在である。好きなアイドルが楽しそうなプライベートを報告していたら、私も負けじと、友人とわいわい遊びたくなるし、友達自慢をしたくなる。
アイドルに「一緒に頑張ろう」と言いたいのに、「私の分まで頑張って」なんて思っている現実は、読んだばかりの『ピンクとグレー』の表現を借りるなら、「ジャニヲタではない自分」の存在が「ジャニヲタの自分」に食われてしまって蔑ろになっている感じがするからだ。そこからどうしても抜け出したかった。


これから、そんな大学2年の時に治療を決意し、約2年の術前治療を受けてきた病気の手術を受ける。
命に関わる病気ではなく、ざっくりいえば、普通でないものを普通にするといったような治療なので、「こんなことやらずにそのまま生活していたほうが楽でよかったのでは」とか「普通とか普通じゃないとか人と比較して深刻に捉えすぎただけなのでは」なんて思ったことなんて何度もある。
でも、あの時、私はもっと失敗と苦労をして、傷ついたり恥をかいたりしなくてはならないと思ったのだ。
これから先、楽な方を選んだり、まあいっかで済ませたりするのではなく、前向きでも後ろ向きでもいいから、立ち止まることをしたくなかった。ジタバタして沢山悩まなくてはいけないと思った。

大学入学を目前に、父親と2人で引っ越し作業をしていた途中、息抜きをした父に「大学で勉強なんかしなくていい。もちろん、最低限の勉強はしてほしいけど、サークルもバイトも遊びもして、自分の中に沢山問題を解決する方法を蓄積しろ」と言われた。「授業をサボってテストがやばいと思ったら友達にノートを借りるとか、ノートを借りれる友達を作るとかそういのも一つの方法だよ」と付け加えられて、真に受けるのをやめたが、今なら父の言うことがすっと腑に落ちる。

成功体験だけじゃなくて、失敗も沢山経験しておかないといけないと思った。華やかで毎日楽しい大学生活なんて本当にいらないと思った。悩んで考えて失敗して恥かいて、それまでの自分が選ばないような道をあえて選ぶ大学生活にしようと決めた。

バイト代は治療費に消え、遠方への卒業旅行なんて出来るわけもないし、成人して就職先が決まったって親を安心させてあげられない。可哀想な学生かもしれないが、私が今日までに感じた様々な感情は、全部誰かに促されたものではなく、完全に自分から生まれたもので、自分自身に吸収されたものだと言える。


手術を終えた同室の入院患者さんに、術後が死ぬほどつらいと教えてもらった。


争いが嫌いだと言ったが、多分それは、勝ち負けと結果が出るのが嫌いだからだ。
でも、そう思うのは自分が「何をやっても負ける」ような気しかしないからで、「何をやっても勝てる」と思えたら、「かかってこいよ」と思えるんだろうと思う。


そんな人にいつかはなりたいと思う。
なれるだろうか、なれないかもしれないけど。
でも、もうアイドルに「私の分まで頑張って」なんて言わない。
もう一度、対等に「一緒に頑張っている」と思えるようになるまで、私は自分を生きることを頑張ろうと思う。
マイナスをゼロにすることを、頑張るとは言いたくない。それは私の歪んだプライドだ。「頑張る」という言葉の前向きさは、ゼロをプラスに、1を2に、5を10に…していくためにある言葉のような気がする。


術後、しばらくここに来ることは出来ませんが、私の無事を祈って下さると嬉しいです。辛くても苦しくても無事ならいいのです。
ジャニヲタの自分に1日でも早く戻れるように。