門限の9時

だんだん未来広がってく

JUMP担8年、山田担8年、

2007年、私は山田涼介くんのファンになりました。

「Ultra Music Power」のメイキングで、『山田涼介です。好きな食べ物は苺とナスです。よろしくお願いします。』と、少しはにかみながら自己紹介をした彼の声が、かわいらしいお顔と全く合っておらず、本人が喋っているなんてとても思えず、違和感をすごく感じたのがきっかけです。「この子はアテレコされているんではないか」と気になって仕方がなく、山田くんの自己紹介の部分を巻き戻しては観るということを延々繰り返していました。

なぜ、Hey!Say!JUMPのデビューシングルを買ったのかは全く記憶にないのですが、春に期間限定で結成されたHey!Say!7の「BONBON」という曲が友人との間で流行っていて、カラオケでよく歌っていた記憶だけは鮮明にあります。その頃は、メンバー1人ひとりになんて全く興味がないまま通り過ぎました。そして11月、「Ultra Music Power」のCDを手に入れ、メイキングを友人に見せて「この山田って子が良いんだよね」と友人に話すと、「それ、探Qで天草流やってた子だよ」と教えられ、ようやく山田くんが天草流だったと知り、声と見た目のギャップを受け入れることができ、山田くんのことをもっと知りたいなと思うようになりました。

山田くんを応援し始めたばかりの頃は、Jr.時代から応援していたファンの方の存在や、レギュラー出演するラジオ番組やバラエティ番組が放送されない地域格差に、コンプレックスのような気持ちを抱いていて、「知っている事こそ正義」と思いながら、「知りたいのに知れない」ことに悶々としながら、山田担を続け、Hey!say!JUMPを応援してきました。私の担当観は知的好奇心そのものでした。



2013年、前年11月から行われていた舞台『Johnnys' World』が続いていました。山田くんはソロデビューを果たしました。諸々すっ飛ばして当時の感情だけを書くと、2012年から2013年上半期のHey!Say!JUMPに対して、好きな気持ち以上に不満が募っていました。後輩グループの台頭、デビューを果たし勢いづくJr.時代の先輩グループ。黄金期の再来と言われるほど盛り上がる関東&関西、両ジャニーズJr.。そういった周囲の変化に比べ、思うように次の一歩を進み出せないHey!Say!JUMPに期待と不安が入り乱れ、楽しさを感じられなくなりました。私自身も、ちょうど、Jr.の岩橋くんが気になり始めていたこともあり、デビューするのかしないのか分からないその日まで、彼を応援してみようかと、本気でJUMPから離れることも考えました。


そんな中で敢行されたグループ史上最多地域、最長期間の全国ツアー。
私は、5年越しに叶った念願の地元公演に浮かれ、『SUMMARY』を除くとあの2009年天国コン以来となる、東京ドーム公演にまさかのジャンピングシート設置*1という事態に泣くこととなりました。

忘れもしない、『全国へJUMPツアー2013』の静岡公演、山田くんが最後に「他のグループに行かないで」と言いました。
正直、この時期はJUMP担のJUMP離れが顕著になっているのをJUMP担は誰もが感じ取っていた気がします。山田くんの言葉を聞いて、山田くんやJUMPの皆もそんな雰囲気を感じ、誰よりも不安に思っていたのかしれないということに気づきました。

山田くんのこの言葉のおかげで、どんな状況になってもJUMPをこれからも応援しようと思えたのですが、どんな状況でも応援しようと思えた、「担降り」を食い止めた一番の理由は、「月日」でした。私が山田担として過ごしてきた日々は、JUMP担として過ごしてきた日々でもあり、それはHey!Say!JUMPが歩いてきた日々と一緒だったからです。山田担としてだけじゃなく、Hey!Say!JUMPのファンとしても、Hey!Say!JUMPも、0から歩き始め、過ごしてきた日々を思うと、この日々をどうしても手放したくないと思い、それがJUMPから離れる気持ちを掻き消していました。

この時、私の担当観が「続けること」に意味を見出し、これまでの日々を手放さぬよう、「山田担を続けたい」「降りたくない」と思い、そして、最終的には「しがみついて」まで「続けたい」と思いながら「担当」を続けていることに気づきました。
誰がどう見ても、そんなのに何の意味があるんだろうと思う状況だと思います。私も、もちろん気づいていました。ここまでして続けなくてはいけないほどの、使命や義務など、いちファンの私にはないことに。でも、続けていれば続いていく。私がやめたらそこで終わり。それをわざわざやめたくない。続けたい。それが、「山田担を降りたくない」という気持ちに繋がり、私を山田担で居させ続けていました。

そんな異常な担当観が異常だと気づいたのは、八乙女光くんの存在でした。



「人には言えない大きな夢があります。」

『Johnnys' Worldの感謝祭』で光くんはこう言いました。
それから、光くんの夢に、興味を持つようになりました。


これまで、光くんが全てのことをJUMPのためにと思ってやってくれているのは、痛いくらいに感じていました。
時に嫌われ役になったり、時にムードメーカーとして率先して盛り上げ役になったり。グループの心臓で居続けてくれていました。

2014年、ドラマ『ダークシステム~恋の王座決定戦~』で、光くんが単独初主演を飾ることとなりました。
その時、「待ってたよ」という気持ちが一番に募りました。山田担とは、本当に特殊な生き物で、山田くんが主演じゃないことに喜び、メンバーが活躍していくことを嬉しいと思う習性がありますが、それとはまた少し違う気持ちで、光くんの活躍を待ち望んでいた自分の存在に気づきました。
さらに、舞台『殺風景』が決まりました。それに伴って『光る日常』という短期連載が始まりました。私は、この舞台を観劇し、連載を欠かさず読みました。これまで、Hey!Say!JUMPのメンバーとしての好意くらいしかなかった一人のメンバーのパーソナルな部分に惹かれていきました。

今までずっと、光くんは、生まれ持った才能とセンスで、器用に要領よく、何事もこなしてきたオールマイティな人だと思っていました。私は、そんな光くんが言う「努力」とか「夢」の意味が、正直よく分かりませんでした。自分が知ってる「努力」や「夢」とは全くの別物なんだろうくらいに思っていました。でも、この連載で、悩んだり、もがいたり、私たちと同じように、いや、それ以上にまっすぐ「努力」や「夢」に向き合っているんだなと、光くんの印象がガラリと変わりました。ただ「器用」なだけじゃなく、「器用」を使いこなせなず悶々としている等身大の光くんを知れた気がして、より光くんを好きになりました。

この連載をきっかけに、出来るものなら光くん担当になりたいと思うようになりました。この人をもっと知りたいと、応援したいと。光くん側に立ってJUMPを見てみたいと思いました。何より、光くんが好きだと思いました。「好き」なことは、アイドルを応援する一番根底にあるべきものだと気づきました。
でも、光くんを好きと思う以上に、どうしても、光くんを担当できるほど素晴らしい人間ではないと、もっとちゃんとした人間にならなくては、とてもじゃないけど彼のファンにはなれないとも思ってしまいました。
「八乙女担になりたい」という気持ちが自分の中に芽生えても、光くんを知れば知るほど、「こんなに素晴らしい人を担当できるほど素晴らしい人間じゃない」「八乙女担の器ではない」と光くんを自分が応援することに対して恐れ多く思う気持ちが生まれていました。
もちろん、山田担がちょうどいいとか、光くんより山田くんが劣ってるとか、そういう意味ではなくて、全ての物事に真正面から向き合って、時に誰かのために自分自身を犠牲に出来る真っ直ぐな光くんと、そんな光くんを応援するファンの皆さんは、ある種の信仰心、ある種の信頼関係のようなものでつながっているように感じて、なんとなく「かっこいいから」「好きだから」のような理由でファンをやるのは違うというか、そんな中途半端な好意では光くんを応援することはできないのではないかと感じていたのです。


それから、「山田担を降りたくない自分」と「八乙女担になりたい自分」が拮抗するというおかしな構図が生まれ、この間で揺れ続けていました。



山田担をやめたくない理由はただ1つ、「続けたい」という気持ちです。これから待ち受ける、Hey!Say!JUMPにとって大きな挑戦となる「24時間テレビ」のメインパーソナリティ、大事な節目の年、山田担になった頃から夢に見ていたようなことが1つずつ叶っていくかもしれないこれからを、これまでと変わらず山田担として迎えたい、その思いが、山田担としての自分を繋ぎ止めていました。

山田担になってもうすぐ8年になります。これまで、私なりに山田くんを応援してきたつもりですが、ここまでグループと共に成長してきた人はいないんじゃないかと思うほど、グループが山田くんを生かし、山田くんがグループを生かす、そんな8年だったように感じています。時に、納得できないことも、可哀想になることもたくさんありました。見ているこちら側が、息も出来ないくらい苦しくなってしまうような時期もありました。それでも、山田担が楽しいと思えたから続けてこれた部分も沢山あります。山田くんを通して見えるグループとか、グループに対する山田くんの想いとか、山田くん自身の変化や成長とか。その時々で出てくる言葉とか、感情とか。一朝一夕では知りえないものが、いつのまにかたくさん蓄積されていくのは嬉しいことだったし、何にも代えがたいものだと思いました。それがこの8年だったと思ったら、この先も山田担として応援し続けていきたいと、やっぱり思うのです。

しかし、「じゃあ、山田担を続ければ?」という問いかけに、「そうだね」と素直に収まれないくらい、光くんを応援したい気持ちも大きくなっていきました。



そんな拮抗状態の続くある日、一番仲の良い山田担の友達が、突如Jr.に降りました。
以前、「ジャニオタ生前葬*2をしたときに、JUMP担としての終わりを具体的に想像してみたことがありましたが、それを考えようと思ったきっかけが、今周りにいる大好きなJUMP担の方々がJUMPを降りる決断をしても自分は続けられるかと聞かれたら、「無理」だと思うのではないかなと、ずっと思っていたからでした。
山田担もそれと同じような気がしました。大好きな同担の友達が、山田くんをきっかけに出会えた人々が、たくさんいるからこそ、山田担の自分がいるのであって、その人たちの存在がなくなるのはとても寂しいと思いました。
彼女が、担降りをして、誰の担当でもないところからHey!Say!JUMPをただ「好き」という気持ちだけで見ているのがとても楽しそうに見えました。



純粋に「好き」という気持ちで応援できるのは、明らかに光くんでした。
でも、山田担をここまで続けてきたのだからという思いに縛られ続ける。

私は試験的に「山田担を続ける」というしがらみを取ってみることにしました。

あっという間に月が変わりました。

私が悩んでいたのは、「山田くんか光くんか」ではなかったことに気づきました。
「続ける」と「好き」、どちらが大事だと思うかの問題でした。
私は山田担を続ける代わりに、光くんについて、光くんから見えるJUMPについて、知る機会を自ら逃していたことに気づきました。
どのメンバーを担当しようと、JUMP担としての自分は消えないし、山田くんを応援したいという気持ちも消えないことが分かりました。
せっかく9人もいるグループなのに、山田くん目線に固執しているのは勿体ないことだと感じました。
山田担を意地になって続けることに何の意味もないと思いました。それより、いろんな人を知って、いろんな見え方や考え方を知る方が、よりHey!Say!JUMPのことを好きになれると思いました。

私が山田担ではなくなっても、友達やいつもTLにいる皆さんは変わらずに接してくれました。
中学、高校、大学と、アイデンティティと言えるレベルで自分自身に染みこんでいた山田担としての自分を、捨てるのが怖かっただけだったのかもしれないと気づきました。



この8年、担当として山田くんに足りないものなんて何もなかったし、むしろ満足すぎるくらいの波乱万丈に1つずつ一喜一憂できた8年だったと思っています。ここに綴った担当に対する思いも嘘はなかったし、きっとこれからも山田くんを応援していくことに変わりはないと思います。
こうして、Hey!Say!JUMPというグループが大好きになったのも、山田くんと出会えたからだし、私はこの8年でこれだけ山田くんのことを知れたように、他のメンバーのことも知りたいと思っているからこそ、今の状況があると思っています。

もちろん、まだ、私なんかが光くんを担当していいのか恐れ多く思いますし、何よりしっくりきません。
光くんは、知れば知るほど、どんな人なのか分からなくなるし、今はまだ、そういう光くん全部ひっくるめて、ただ「好き」という言葉を羅列することしかできません。
今までは、担当じゃないからそれでも良いと思っていましたが、光くんがどんな人で、どんな夢を持っていて、どんなことを考えているのか知りたくて、その結論として「好き」という言葉が出せるようになりたいと思うので、「担当」したいと思うのです。


都合の良い言い方かもしれませんが、「八乙女担になる」ことと、「山田担をやめる」ことは違うことだと思っています。
これからもきっと変わらずに山田くんが好きだし、応援していくと思います。でも、続ける為だけの「担当」はやめようと思ったのです。

読み続けてきた小説の続きを、ハードカバーで、発売日に買い揃え続けることが「担当」として最も価値のあることだと思っていました。
けれど、今は、読みたい小説を、読みたい時に読みたいだけ読むことが「担当」として一番したいことだと思います。


2015年7月、私は八乙女光くんの担当になろうと思います。

山田くん、キリが悪くてごめんね。
8年も担当させてもらってありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。



長いだけの文章を読ませてしまってすみませんでした。読んで下さりありがとうございました。
こんな私ですが、どうか、これからもよろしくお願い致します。


八乙女担の皆様、無知が過ぎるかもしれませんが、ずうずうしいにも程があるかもしれませんがお手柔らかに。)

*1:応急処置として用意されたアリーナ200席のこと。SexyZoneのFC発足式、A.B.C-Z新曲披露といったイベントを付けてもまだドームを埋められず、200席限定のアリーナ席を用意。ツアーの1つの会場としてではあったが、東京ドームを2日間埋めることが出来ないという現実を突きつけられる

*2:ジャニヲタ生前葬 - 門限の9時