門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

ジャニヲタ生前葬

ジャニヲタ生前葬とは、存命しているジャニヲタが自分自身の葬儀を行うこと
(参考:生前葬 - Wikipedia
 
ジャニヲタというと大袈裟だから、「JUMP担」としての自分の生前葬をやろうではないかと思い立った。
 
そもそも、私は常にJUMP担としてのゴールを思い浮かべながら、JUMPを応援しているというおかしなところがある。
Hey!Say!JUMPからいつか降りたいと思っている。いつか降りる時が来ると思っている。必ず来る。「十分楽しませてもらった、応援してきてよかった。もう私1人くらい居なくなっても大丈夫だろう」と思って一歩遠退きたい。そういう日が来てほしいと思っている。ずっとこのままではいられない時が絶対来る。はずだ。
 
 
よくブログの中で、「ずっと着いて行く」「離れられるわけない」みたいなフレーズを連発している自覚はあるが、もともと自分が「まだまだ」「何くそ!」と思ってやっているのが好きな性分が故、正直アイドルも発展途上な時期が一番楽しいと思ってしまうところがある。実際、死ぬまでJUMP担、死ぬまで山田担はやってないだろうと自分で分かっている。
 
 
しかし、私にとって、デビューからずっと応援してきたHey!Say!JUMPというグループの担当ではなくなるということは、多分、自分でも想像できないくらい特別なことで、本当に本当に大きなエネルギーを要することなんだと思う。
残念ながら、「生まれ変わる」「アイデンティティの消滅」という言葉がしっくり来てしまう、そんな分岐点だろうとも思う。
 
そして、その瞬間が来るのはとても悲しいことだろうと思う。でも多分、一番悲しいことは、いつか来たるその瞬間というのは、今まで100、200もあったHey!Say!JUMPへの思いが50、0になっているかもしれないということだ。その時は多分、一刻一刻と迫って来ている。だから今、生前葬を行い、いつかの自分にはスッキリと担降りなり、ヲタ卒なりをしてもらうため。生前葬を行う。別れではない、悔いなく生まれ変わる準備だ。
 
 
 
 
 
「JUMP担」ではなくなる自分の身辺整理
 
どのタイミングで、何をきっかけに心を決めたのかは、今の私にはわからない。
今の私が想像する「担降り適齢期」は、多分15周年の頃だろう。
少し前までは、10周年を迎えた時と決めていた。でも、今は10周年ではまだ早いような気がする。だから5年伸ばしてみた。
それと、10周年まであと2年くらいしかない。あと2年で「JUMP担」終わるなんて悲しすぎる。まだ「JUMP担」でいたい。今はまだそう思える。
もし、10周年だったらおめでとうだし、15周年だったらお疲れ様、もしそれ以上だったら…(白目)。
 
 
「JUMP担」を終えようと決めたら、
まず、今周りにいるJUMP担の方でその時も交流のある方がいたら、その人たちに挨拶を必ずしてほしい。
 
私が今、楽しくJUMP担が出来てるのは、紛れもなくその人たちが居るからだからだ。
一緒にコンサートに入ってくれる人、ツイッターでお喋りしてくれる人、楽しいツイートをしてくれる人、読み応えのあるブログを書いてくれる人…そういう「JUMP担」の私と出会って接してくれている人たちあっての私なので。
正直言うと、その人たちがまだJUMP担やってるなら降りないでほしいけれど(笑)。
 
 
それと、今まで買い集めたグッズを処分するなら、値段ではなく本当にJUMPが好きな人に譲って下さい。
高値で売らない。定価遵守。捨てるなんて論外。私が終わるときに始まるJUMP担の方に譲ってあげてください。
 
ぶっちゃけ、今の私は、JUMPのグッズやCDが高値で売れるようになるまでは降りたくないし、手放したくないくらいには思っているけど(笑)、やっぱりそんなことは出来ないと思い留まる自分であってほしい。
 
 
あと、その時が来たら、まず山田担になろうと決めた、デビュー曲のメイキングをもう一回観よう。次にファーストコンの「パフューム」と「麗しのBad Girl」観よう。「JUMP担」だと自覚した山田涼介ソロデビューのことを思い出そう。で、泣けたらどうぞお行きなさい。
 
 
「全国へJUMPツアー」のDVDも観てほしい。この映像から客席の雰囲気は変わった?「smart」と比べてアルバム引っさげたツアーしてる?
 
 
ananが「好きな男」企画を3次元(厳密にいうと2.5次元)に復活させて、中島裕翔が1位に君臨する時代になった?*1
 
ミリオン達成した?
 
ドームツアー出来た?
 
チケット取れない?
 
あ、「チケット取れないからJUMPもういいや」
それは絶対やめてね。今でのJUMPをパァにするから。JUMP担だったならそれはやめて。そういう自分勝手なことしないで。してもいいけど、私はしないで。なら今すぐ降りるから。しかも、2014年smartでも全く取れてなかったから。そんなんでやめないで。
 
 
世間の女子が、「JUMPだったら誰がタイプ?」トークしてる?ダントツ裕翔くんが1位の世界になってる?(さっきから何その指標w)
 
 
理想が想いを下回らないでいて欲しいけど、下回ってるなら仕方ない。想わなくても理想の叶うグループになってくれてたらもう何も言わない。
 
 
 
 
 
「JUMP担」からその後
 
 
これまで
JUMPのファンをやめようと思ったこと
 
 
 
 
 
 
・実はない
 
 
 
 
 
 
 
・多分今後もない
 
 
 
正確に言うと、やめたくてもやめられなかった。けどJUMPのために多分やめなきゃいけない時が来るんだと思う。
もちろん、私には義務や使命があるわけではないのだけど、10年、15年、それだけの長さを応援してこれたことが誇りに思える日が絶対来ると思っていて(今誇りに思えないとかそういうことではない)、それだけの長さを応援してしたからこそ十分だと思える日が絶対くると思っている。そんな瞬間に、JUMPのファンだったことを誇りに思えるHey!Say!JUMPになれと思っている。
 
もちろん今でも、JUMPに出会えて良かったと思っているよ。
でも、まだ8年じゃん。まだまだこれからじゃん。
確かに15年で終わるわけないよ?Hey!Say!JUMPというグループは20周年も25周年も続くし、見ていることができたらいいけど、さすがにずっと同じ見方はしていたくないじゃん。さすがにずっと同じ熱量でファンをやっていたくないじゃん。
上手く言えないけど、10周年、15周年が満足出来たらその先ずっと満足出来るよ。10年、15年も好きなものはずっと好きだよ。
 
でも、「担当」という第一線みたいな場所にいるのではなくて、バラエティも新曲もどんなコンテンツも、頑張ってるな、JUMPやっぱりいいなって思えるくらいで良いの。今はリアルな波に乗って一喜一憂してるけど、もっと大きい周期でJUMPの変化を感じれる所に居れたらいい。「担当」という名前がしっくり来ないと感じるくらい熱量が落ち着く時がきっと来るしきっとそうならなきゃおかしい。
 
それは、JUMP自体が変わることだけじゃなくて自分自身の変化もそう。多分、今のように時間も金も費やしていられないと思うし、費やしていられない自分にいつかはなっていたい。熱量=愛ではないと、今でも思っているけど、ちゃんと実感としてそういう変化を受け入れながらJUMPを見ていたい。
 
 
ファンの流動がないグループは結局マンネリするだけで、成長しないと思う。そんな中で、多分大事な節目を迎えて、ある程度の形を持ったグループになった時に必要なのが流行で着いたり離れたりしない「固定」という層だと思う。
私は何となくそういう人たちを「担当」とは言わないような気がする。担当ではなくなってさらにネクステにいる人種のような気がしている。
 
もしかしたらそれは、単純に年齢と共に無意識に変化していくものなのかもしれないけど、無意識に変化してしまって、気づいたら「担当」では無くなっているのがすごく怖い。
だから、そのために生前葬をしてみた。
 
 
10周年、15周年までは「みんなで歩いて来た」「乗り越えてきた」という楽しさ。多分その先は、「みんなで作って行こうよ」という楽しさが待っていると思う。
 
線や面じゃなくて、点と点でJUMPと関わって行くことが許されるというか、そういう出会い方や関わり方をする人たちが増えてHey!Say!JUMPを作っていくんだと思う。
 
 
結局のところ、私の「JUMP担を降りたい」の真意は、「今この瞬間からJUMPの新規ファンになれたらいいのにな」という憧れのようなものであって、私のような後々古株などと言われるようなファンにはどんなに願っても叶えられないことだからこそ、そういう瞬間に憧れるんじゃなくて、そういう瞬間にいる人たちを俯瞰で見たいと最近強く思う。
 
 
これまでの10年、15年で模索し続けたHey!Say!JUMPで、次はたくさんの人を楽しませる。
私は、幸せにされるのに向いているファンではない。受け取るだけのファンには慣れない。「まだまだ」「何くそ!」、もっと人気者になれ、もっと売れて、そう思うのが得意なファンだ。だからこの先は、受け取るのが好きな新たなファン層の方にお任せしたい。そういったところで「JUMP担」を葬り去りたい。
 
 
 
ジャニヲタ生前葬なんて、やっぱり深刻な響きがするかもしれないが、そもそも私の中で「JUMP担」という名称に対する認識はそういうものであって、多分降り先はないと思うし、JUMPが好きなことに変わりはない。
 
ただ、お仕事一つ一つに、リリース一つ一つに、セトリ一つ一つに一喜一憂するのは「JUMP担」の仕事で、それは自分にはやってられないと思う時が来ると思うのだ。
 
今でも、「JUMP担」と言えるのかは甚だ疑問だし、それが自分を縛り付けているだけかもしれないけれど、いつかそこから解き放たれて、もっと離れたところでグループを見る余裕が自分に出来たら良いのにな、そういう楽しみ方が出来たら良いのにな、と今の私は思ったりするのでした。
 
 
いつか降りる前提でファンをやるのもなかなか楽しいですよ。都合良く期待して理想を押し付けて、勝手にガッカリしたり、喜んだり。でも、いつかそれがしたくても出来なくなる。グループの平均年齢が上がればファンの平均年齢も上がる。それと共に一緒に大人になって行く。
 
中学生、高校生、大学生、社会人、あらゆる過渡期をHey!Say!JUMPのファンとして過ごして、来たるその時を、待ちわびていたい。

*1: 私の夢です