門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

今はまだ見えなくても必ず辿り着く

結成7周年おめでとうございます。


去年の結成日頃からの私は、彼らを見るたび、意識的に期待をするようにしていました。
Johnnys' Worldが終わって、「Come On A My House」が発売され、グループ史上最長の全国ツアー、ジャニーズフィルムフェスタ2013。これでもかというくらいの上昇気流を発した彼らのこれからにもちろん期待しないわけがありませんでした。
でも、今思えば心から期待していたわけではなく、期待させてくれてるから期待してみるかという感じだったように思います。
これだけの物を揃えられたらそりゃ嬉しいし、期待するし…ザ・順風満帆っぽい感じが無理矢理に見えてしまって、どこかで信用しきれない気もしていました。


なんだか、JUMPに与えられるものとJUMPの力とファンという三者が、自分の中でうまく合致していないような感じ。
派閥が確定して、個人仕事が増えて、大きいグループになる準備は整えられたかもしれないけど、実際知名度もグループの力も、到底及んでないというか…とにかく、順風満帆の軌道に"乗せられて"、"期待を求められてる"ような気持ちがどこかにありました。



私は「全国へJUMPツアー2013」のDVDがどうしても好きになれなません。「Come On A My House」と「Ride With Me」の間に行われた、結成7年目のHey!Say!JUMPの集大成、いや、それまでの6年間の集大成でもあるはずのツアー。個人的に、このツアーには良い思い出しかなくて、大好きなツアーでもあります。
でも、どうしてもあのDVDの客席が好きになれないのです。会場がアリーナクラスになればなるほど、JUMPとファンの物理的な距離が縮まっていく、と同時にド派手な団扇が増殖する光景。自分も時々団扇を持つこともありますが、だからこそ、団扇を胸元に掲げて微動だにせずJUMPを見つめるファンの姿に呆れるような気持ちになった覚えがあります。JUMPが盛り上がるのを促すように客席を煽っても、これがJUMPが見せたいJUMPだと、工夫を凝らしたコンサートを作り上げても(ファンの評価・感想は別問題として)、少しも変わらない客席に苛立ちを覚えました。正直、団扇を持っての静止ほどコンサートをつまらなくさせるものはないと心から思いました。


JUMPのコンサートを台無しにしているのはファンかもしれない


団扇なんてほんの一例かもしれませんが、私はその印象が周り回って、JUMPの成長を妨げているのは一番近くでみているファンなのかもしれない。そう思うようになってしまいました。
JUMPがいつもファンのことを思ってくれているのは痛いくらいに伝わってきます。夢や理想を追いかけようとする姿も心から応援したいと思いました。でも、JUMPがファンのためにファンが喜ぶようにやっていることと、ファンの反応って果たして釣り合ってるのかな、見合っているのかな・・・JUMPがファンになにかをくれる分、それ以上のものをファンは返せているのかな・・・上手く言えませんが、そもそも根本的に何かが違うような、そんな違和感を感じていました。


JUMPは今目の前にいるファンと、今一緒に歩いているファンと、これから先どう付き合っていくつもりなんだろう。
メンバーそれぞれ、Hey!Say!JUMPのこれからのことはすごく考えてると思います。だからこそ、個人が活躍できる環境を選んだのだろうし、正直、こちら側としても新仕事盛りだくさんで楽しいから、それでいいとも思う。でもHey!Say!JUMPとファンとのこれからはどう思ってるのよ、それが見えないのです。心から期待して良いのか迷ってしまうのです。


これじゃ、まるでJUMPを責めてるみたいですけど、上手く言えないだけでそれは違う。
なんていうか・・・JUMPの活躍を見ているのは嬉しいし楽しい。Hey!Say!JUMPってグループはもちろん大好き。でも、JUMPにあれこれ望まないと期待しないと応援している資格がないような、一般と変わらないような、そんな気持ちに気持ちになってしまう自分が好きじゃない。すっと、テレビや雑誌でJUMPが見れればそれで十分と言えるファンになりたい。っていうか、そういうファンをJUMPが望んでいるような気がしてしまう。



先日縁があって、嵐さんのライブビューイングに行かせて頂いたんですよ。それはそれは恐れ多い気もしつつだったんですけど。
あの時、あのハワイの会場にも、私がいた映画館にも、それぞれ違うきっかけで今日までに嵐と出会った人が集まっていたわけですよ。その中には15年ずっと応援してきた人もいるかもしれないし、嵐のコンサートだったら見てみたいって思ってきた人もいるのかもしれない。でも、みんな"嵐のファン"だったんですよ。15年間ファンの人はきっと、「15年、嵐を応援してきてよかった」って思っただろうし、最近嵐と出会った人は「嵐って良いグループなんだな」とか「嵐に出会えてよかった」とか、それぞれがそれぞれの立場でいろんなこと思ったと思うんです。でも、長さとか想いとか関係なくて、嵐のコンサートを作る人は一瞬で「ファン」になれるんですよ。


正直、コンサートの内容的には、残念に思った演出もあったし(なんなんだあの「Endless Game」の使い方は・・・!!!!!)、JUMPをずっと見てきたせいか、嵐のダンスですら「揃ってないな」「30代だな」とか思ってしまった部分もあったんですけど、客席が全部チャラにするっていうか、それこそ“相乗効果”っていうヤツを肌で感じたような気がしたんです。JUMPコンってそれがないよなーって。嵐がファンに見せたい喜ばせたいと生み出したものを、見たかったよ嬉しいよとファンが声援で応える。それがさらに嵐に高みを目指させる。そしてまたファンが喜ぶ。


ファンを増やすこと、ファンを離さないこと。
今のJUMPが考えているのはこれなのかなって思いました。
嵐は、いつでも目の前にいるファンを一人残らず幸せにすることだけを考えてる。こういう嵐とファンの関係がすごく素敵に見えました。


団扇が悪いとか、ファンサ厨が悪いとか、JUMPが悪いとかそんなことを言うつもりはなくて、ただJUMPとファンの関係ってなんなのかな、もんぺもんぺ言われるけど(たしかにもんぺだけども)、モンペと揶揄されるほど甘いってことなのかなとか、JUMPが変われば全部変わるような気がしていたけど、どうやらそうではなかったように思います。



やっぱこれ、ただの愚痴だ(笑)愚痴りたかったわけじゃなくて!!!!!!!!!(必死)



Hey!Say!JUMPにとってファンってなんなのさ。
目の前で、目があっただけで泣いちゃう人?かっこいいって言ってくれる人?わけわかんない団扇を持ってる人?出待ちに並ぶ人?
Hey!Say!JUMPがもっと認められるように、認知されるようになるには、Hey!Say!JUMPだけが頑張ればいいわけじゃないと思うのです。
ファンだって、Hey!Say!JUMPを構成する要素の一つじゃないですか。


かっこいい、かわいい、好き
言ってるだけなら誰にだって出来ます。
でも、それだけならわざわざコンサートに行ったりしない。バカみたいな金出してチケットを手に入れるようなツアーにだって行かない。
JUMPもどんどんファンに多くを求めてくれていいんだよ。
CDの売り上げ伸ばしたいって言うならもっと買うし(そういうことじゃないw)。
でもそういうことなんですよ。期待するってそういうことだと思うんですよ。


もっとファンにいろんなことを求めてください。それに応えられない人が離れていくことになってしまったとしても、JUMPにあれこれ考えを巡らすこと以外に「ファン」としての役割をください。「ファン」としてJUMPのためにしてほしいことを要求してください。「ファン」を「ファン」と認めてください。このまま着いていけば素敵な景色が見れることを確信できなくてもいいから、そういう気持ちがあることをほのめかせてください。



だから今はまだ、この流れに思いっきり期待していいのか分からないです。こういう流れの先に、嵐や関ジャニみたいなグループになる将来があるのかもしれないけど、そういうグループになっていく意気込みみたいなものがあまり伝わってこない気がして心配になります。


ガツガツしろってことではなくて、なんで今自分たちが今こういう道を歩いているのか、どんな立場に置かれているのか、彼らなりに理解してるのかってところから分かってない気がします。


私は、JUMPがどんな形であれ、今よりもっと大きなグループになってくれることを願っています。でも、そうなったときのHey!Say!JUMPを支えられる力量が彼らにあるのか、甚だ疑問なのです。
彼らの夢が何か知らないけど、私の夢はHey!Say!JUMPが大きなグループになることです。それを叶えてほしいし、叶えてくれると思いたい。


そして、今すぐじゃなくても何年、何十年かかってもいいから、Hey!Say!JUMPでいることに自信と誇りをもってほしい。
Hey!Say!JUMPを応援していることを誇りに思わせてほしい。
それが、彼らの人生になればいいと思っています。今はまだ青春かもしれないけど、今は青春のまま終わってしまうような気がするけど、Hey!Say!JUMPとそのファンと共に生きていけるグループになってほしいです。



完成されたグループを、成長しきったグループを応援する気はありません。だから、いつまでも未完成のままでいいです。でも、良いことも悪いことも、好きも嫌いも、JUMPのことを必死で思い続けられるグループで居てほしいと思います。


だって、私のなってほしい理想的なグループになってくれるのか、なってくれないのか分からないところが好きなんですから。
好きすぎて、期待しすぎて、思い通りにならなくて、期待していいのか分からなくなって、でもやっぱりこのグループが好きだと思う。
そういうループから一生抜け出せる気がしないのです。
誰も離れることとか終わることを想定して応援してるわけではないんだから、いろいろ求めてしまうこともあるかもしれませんけど。



いろんな人がJUMPを応援してることを知っていてください。
グッズを買うためだけに何時間も並ぶ人たちがたくさんいるんだよ。
バカみたいな金額でチケット売買して涼しい顔してコンサートに行く人がいるんだよ。
そこまでしてJUMPに会いたい人がいるんだよ。
その数時間のために仕事や勉強を頑張ってる人がいるんだよ。
会いたくても会えない人が、会いに来た人よりもたくさんいるんだよ。


多分、JUMPはJUMPが思ってるよりたくさんの人を動かしてるんだよ。そこにはたくさんの気持ちがあるんだよ。
Hey!Say!JUMPの皆さん、知ってますか?



コンサートはあくまで一つの例だけど、
キャパが埋まるのも、ツアーが出来るのも確かに凄いことだと思うし、そこに居る人たちを幸せにするのももちろん大事だと思う。でも、そこに行くまでにみんな必死になってることとか、本当に楽しみにしてることとか、行けなくてガッカリしてる人が居ることとか、たくさんの想いがあることも分かっていてほしい。


数多くのツアーのたった1公演かもしれない、新曲をリリースするたびに当たり前に出てる歌番組のほんの数分の持ち時間かもしれない、週に1回のラジオやバラエティ、ドラマかもしれない。


でも、それを楽しみにしている人が本当にたくさんいるわけで、すっごく楽しみにしていたコンサートが、すっごく楽しいのって当たり前なんじゃないのかな。
それは、歌番組でも、バラエティでも、JUMPaperでも、ドラマでも、コンサートグッズでも…Hey!Say!JUMPの活動全部に言えることなんじゃないのかな。だから、もっと記録より記憶に残るような活動を出来る人たちになってほしいです。



話がすごくとっ散らかってしまったんですけど、いつか、いつか、まだまだ、と思わせてくれるHey!Say!JUMPでいてください。
結成7周年おめでとうございます。