門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

JUMP担が1番切なくなる瞬間

JUMP担をやっていて1番切なくなる瞬間は中山優馬を見ている時だと、ミュージックステーションを見ていて思った。

 
 
どうしてこんなに切ないのだろう。
Hey!Say!JUMPを見てる時とは明らかに違う。優馬を見てるとNYCの面影が、虚像が見える。どうしようもなく切なくなって後悔の念に苛まれ、優馬への申し訳なさみたいなものが募る。
 
 
 
優馬は一人になりたくて一人でやっているわけではないというのが大きいと思う。
 
 
それは確かに、彼の宿命かもしれない。
でも、それならそれでちゃんと終止符を打ってほしい。
 
 
 
行くの?行かないの?どっち?
 
 
優馬の周りの大人たちから見たらNYCは乗り間違えたバスかもしれない。そのまま乗り続けるわけにはいかなかったのか……NYCじゃダメなのか。
 
 
 
 
Twitterで「優馬 NYC」と検索したら、NYCを懐かしんだり惜しんだりしているツイートを多く見かけた。ただ、全て明らかにJUMP担なアイコン画像だった。私をはじめ、もともとJUMP担の中にはNYCの存在を受け入れられなかった人も多かったかもしれない。優馬の大抜擢に巻き込まれたかもしれない。でも、私たちJUMP担もいつしか、優馬の人柄やNYCの奇跡に魅力されてしまっていたことに改めて気づかされた。
 
 
 
 
 
同じMステ内の「CD SINGLE RANKING」での、9/10発売の優馬の新曲が5位、9/3発売のHey!Say!JUMPの新曲が4位になってしまったという結果に呆然とした。
 
 
 
一人でやるというのはそういうことなんだと現実を突きつけられたと同時に優馬よりJUMPの方が上に立ってしまう、グループで人数も多い…なんだかHey!Say!JUMPが悪者に見えてしまった。
 
 
優馬はどう思ってる?
一人でどう立ち向かえと?
 
 
NYCがなくなってしまったらライバルになるしかない両者なのだが、やっぱりNYCがぼんやりある限りライバルになんてなれなくて、でも「味方だよ」「仲間だよ」とJUMP側の人間が叫んでも、優馬側みたら同情にしかならないのかもしれないなんて思うとどうしたらいいのかわからない。
 
 
でも味方なんだよ、仲間なんだよ、JUMPに入れてあげたいくらいなんだよ。優馬は本当に良い子だから、一人でも寂しくないって全部受け入れてしまうでしょ?
 
 
それを受け入れる必要ないよって教えてあげるのが、やまちねでありNYCであり、JUMPじゃないのかなと今でも思っている。
 
 
そんな宿命、誰が決めたか分からない誰のためになるのかもわからない宿命、受け入れなくていいんだよ。
 
 
優馬が頑張れば頑張るほど切なくなるんだよ。強く凛々しくならないでよ。そんなに逞しくならないでよ。
 
 
JUMPはJUMPできっと満足だろうし、やまちねも本職はJUMPで、JUMPが今こういう調子なときにNYCどころじゃないかもしれないけど、だから優馬が求めない限り多分ずっとこのままなんだろうなと思う。多分、優馬はこの現実を受け入れて全うすると思う。中山優馬の名にかけて、NYCやりたいですなんて言わないと思う。
 
 
優馬はNYCが嫌いなわけでも、優馬にはNYCが不必要なわけでも全くないと思いたい。優馬なりの心遣いで、自分の置かれてる状況を受け入れて、受け入れるしかなくて、"中山優馬という虚像を追いかける"んだね。
 
 
優馬の本当の気持ちはどこにあって、どこにいくんだろうと考えると、画面の中でキラキラ輝く強い眼差しの彼の美しさすら切なくて儚い。
 
 
 
もし、その美しさのほんの一欠片にNYCがなれているなら、たとえNYCが有耶無耶なままでも、きっと優馬の中でNYCが生き続けるし、生き続ける限り優馬にNYCの虚像を見出して、切なく寂しく悔しくなったりするだろうけど、優馬はずっと仲間で、それがJUMPをより奮い立たせてくれればいいと願っている。
 
 
優馬は助けてなんて言ってないし寂しいなんて言ってない。言わないよね、言えなかったよね。
優馬が言わないなら私もこの未練に蹴りをつける気はない。
 
 
だから、このままでいいから、優馬を傷つけないで、優馬を格好悪くしないで。
優馬を守れるくらい、やまちねには大きくなれよと言いたい。救えるくらい。気軽に「NYCまたやろうぜ」って言って会社の人間を動かせるくらい大きくなってほしいお願いします。