門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

ハタチからのやまゆと入門

裕翔くんが20歳になったから、私はやまゆととして裕翔くんを見ることから卒業しなくちゃいけないと思ったのです。

10代のやまゆととはやっぱり違ってくると思う。既に「半沢直樹」が始まってから、正直山田くんと裕翔くんをやまゆととして見れなくなって来てたもん(笑) 二人が良い感じにキャラも個性も成長したってことだと思うんだけど。でもやっぱり、山田くんと裕翔くんって二人は好きです!


いずれも、私の発言です。上はこのブログに、下はツイッターに、2013年8月10日に書いたものです。
当時、自分の気持ちを上手く言葉にできず、すごくもどかしさを感じていたんですが、この頃ちょうど裕翔くんが「半沢直樹」でがんばっていた時期だったこともあって、二人の「やまゆと離れ」*1が進んでいるように思えて。「あ、やばい。置いて行かれる。」「きっとこの子たちはすぐ大人になってしまう」みたいに感じたんですよね。やまゆとはやまゆとのままだと大人になれない気がして。


「裕翔くんには敵わない」「山ちゃんの置かれてる状況に誰よりも納得できる」。
堂々とお互いがライバルだと言い切れる、そういう二人の関係も素敵だけど、きっといつまでもそういうわけにはいかない。二人はもっといろんな期待をこれから感じて、もっともっと羽を伸ばしていかなきゃ行けないんだ。後付みたいに聞こえるかもしれませんが、当時私には裕翔くんが活躍の場を広げていくってことがこんなふうに見えていたんだと思います。今、当時と同じ内容を書くならこう書きます。



そこで、最近、やまゆと界隈がザワついている件について(笑)とても良いことです。私はもうとっくに“ハタチのやまゆと対応仕様”でいたから全然動じない!!!!私の予想通り!!!なんてことには全くならず、20歳のやまゆとの想像を超える急展開ぶりに驚かされっぱなしですが、やっぱり10代のやまゆととは違うなーと納得できた自分もいました。



二人は、ようやく共に生きて行くことを選べたような気がします。同い年で、同じグループに属し、同じ高校に通い、一時期は同じバラエティ番組に出演し、または同じドラマに出演し、Jr.時代も共に過ごして・・・と、二人が共に過ごした時間は多すぎるくらいあったと思います。お互い幼い頃から芸能界という特殊な世界に身を置いて、共有したり共感したりできる部分も多かったと思います。でも、二人はそもそも、ジャニーズじゃなかったら出会うこともなかったような、それくらい全く違う個性を持っている人間に私は見えます。だからこそ、そんな二人の関係がずっと好きだったし。だからこそ、10代のやまゆとはお互いを「やまゆと」としか見れなかったのかなと思うのです。一緒に仕事をしていく上で、お互い信頼もしているし、関わることも多いけど、「友達」っていうより「仕事仲間」って言った方がしっくり来る。でも、まだ10代で、子供で、同じ学校にも通ってて・・・全部、私の憶測ですけど、二人はずっと「友達」と「仕事仲間」の間で揺れていたのかと思うんですよね。はっきりさせたくなかったのかもしれない。だから「やまゆと」って言っていたのかも。「友達です」って言えるほどの興味はないけど、「仕事仲間」と割り切れるほど愛情がないわけでもない、みたいな。だからこそ、山田くんがずっと「裕翔くん」と呼び続けていたのを、20歳をきっかけに変えたのって、きっと二人のなかではっきりできたのかなと思うんですよ。裕翔くんは「真の友人」って言ったけど、山田くんはどうだろう。「信頼しあえる関係」・・・。山田くんにもそうあって欲しい気もするけど、「仕事仲間」ってなるのもやまゆとらしい気もする。


どちらにせよ、二人が「一生付き合っていく」と決めたわけですから、やっぱり二人は確実に「やまゆと離れ」は進んでいるような気がします。それを良いことだと心から思える自分もいます。きっとこれからも二人は交わるような、交わらないようなそんな関係で居続けるだろうとは思います。でも、その中にきっと二人にしかわからない強い信頼関係があって、共に励まし合いながら、理解し合いながら、二人は「やまゆと」から、それぞれ大人になっていくんだろうと思います。でも、「手助けはしない、お前が転んでも待ってやんねぇ、俺は先を行く!」みたいな、そういう二人でいてほしいかな。「俺は先を行く」を繰り返していたら、いつのまにか二人で一緒に歩いているのが、山田くんと裕翔くんだなって思います。

*1:「やまゆと」も「ゆとやま」もそもそもファンが生み出したふたりの愛称みたいなものだけど、個人的にはただのコンビ名ではなくて、もっと意味を持つ単語としての認識(わかりづらい←)