門限の9時

ここに無い魔法 帰りの電車

2019年1月27日

過ぎた日には戻れない。たとえ、その1日がどんな1日であっても。あの日、誰と会って何をしたか。どんなことを思ったか。良いことも悪いことも、決して忘れたいとは思っていないし、わざと忘れているわけではないのだけど、時が経ってしまうと思い出せなくなる日の方が圧倒的に多い。その日自分が1日何をしていたか鮮明に覚えている日なんてたかが知れている。でも、だからこそ、そんな日は私にとってきっと大事な日だし、特別な日だ。
Wanna Oneが解散した2019年1月27日という日を、私は忘れたくない。2019年1月27日までの、Wanna Oneというグループがいた私の毎日を忘れたくない。記憶を司るのは、きっと脳だけではないはずだ。心も体も、そして五感もある。明日の私よ、忘れないでくれ。1年後、10年後の私も忘れないでくれ。一生忘れたくないと思う1日があったことを。戻れるものなら戻って何度でも繰り返したいと切に願うくらい恋しい日々があったことを。


Wanna Oneが解散してすでに1週間が経った。想像していた通り、何事もなかったかのように私の毎日は過ぎて行ったし、きっとこれからもこんなふうに時間が自然と過ぎてしまうのだろうと思った。日曜日に解散して、月曜、火曜の2日間は、集中力が途切れると、その隙間にWanna Oneはもういないんだ…と寂しい気持ちが流れ込んできたりもしたが、水曜日にはもう、1日を終えた帰り道に「今日は1度もWanna Oneのことを考えなかったな」と思った。木曜日に日付が変わればNU'ESTの公式ツイッターにミニョンさんが現れたことで完全体NU'ESTに期待が募り、それぞれ動き出したWanna Oneメンバーのその後の活動もしっかりチェックしている。たった1週間でWanna Oneがいなくなった現実を受け入れ、そして慣れてしまった。
でも、2019年1月27日にダイヤルを合わせると、込み上げてくる思いがあって、切なくなるし恋しくなる。あの日に戻れたら違う未来を、とは思わないけど、あの日に戻ってせめて時間を止めたい。そこで世界を一時停止したい。

 

〜2019年1月27日

短い間だったけれど、私はWanna Oneが好きだった。
Wanna Oneは銀河みたいだった。
当然だが、銀河なんてこの目で一度も見たことがない。夜空を見上げて瞬いてる星なら見たことがあるが、銀河どころか、青い空をなんの疑いもなく見上げる毎日の中で宇宙が本当に暗闇なのかということすらこの目で見ようとしたことがなく、教科書や資料集に描かれた太陽系のイラストや、プラネタリウムで見た星空が私にとっての宇宙のイメージで、それは限りなく空想に近い。
そんな果てない宇宙の暗闇で、なにかしらの引力なのか重力なのかに引き寄せられて集まった星たちがひとつの天体になるという銀河の成り立ち方は、アイドルを夢見た少年たちがオーディション番組を勝ち抜いてひとつのグループになったというWanna Oneの成り立ちととても似ている。
果てのない宇宙を漂っていたら、小さな隕石に当たってWanna Oneという銀河に迷い込んだ。私がWanna Oneと出会ったときのことを思うとそんな例えがしっくりくる。目を開けたらそこは、数えきれないどころじゃない数の星たちが集まっていて、その中で、一等星と言えるくらいの11個の星たちが暗闇の中で光を放って輝いて見えた。遠くから見ると密集しているように見える11個とその他無数の星たちは、時に近づけないほど遠く離れているようにも感じて、私の周りを、周りと言ってもうんと遠くを、凄まじいスピードで通り過ぎていくようにも見えるし、ゆっくり目の前を横切っているようにも見えた。近づいているのか遠ざかっているのかすらもはや分からないほどだった。ただ、微妙な誤差で一度軌道を逸してしまったら、もう二度と巡り会えないと感じるくらい儚い気がして、居られる限りそこに居たいと思った。地球から見たらどんなふうに見えるのだろう。地球にまで届いていない光かもしれない。こんなに広い宇宙の中で、どうしてここに辿り着けたんだろう。天文学の書物に天体のひとつとして名前が付けられ載るのはどれくらい先のことなんだろう。誰が見つけるのだろう。そんな、とにかく今まで感じたことのない気持ちばかり感じて、それがとても儚くて、出会ったばかりなのに切なくて、なのにとっても美しく見えた。
Wanna Oneがいた時間は本当にあっという間だった。数ヶ月の出来事が、何光年、何億光年とかいうスピードで駆け抜けて行ったような感覚がある。夜空に見つける星の光が光年という長い時間の単位をかけて地球に届いた光だというように、私の生きる時間軸と、Wanna Oneの生きた時間軸が運良くちょうど重なっていただけの話で、宇宙規模で見たら、皆既月食皆既日食が日本で見られることより、本当に本当に小さく些細な重なりかもしれないが、私の毎日から見てみれば本当に大きな出来事だった。

Wanna Oneに終わりがあるというのは、誰もが知っていたことだ。グループが活動を始めた時から決まっていたことで、急に決まったことじゃない。不思議と、そこが覆ればいいという考えはしたことがない。きっと、期間限定という要素もWanna OneWanna Oneたらしめる要素のひとつだという認識が無意識にあったのだと思う。
ただ、Wanna Oneが終わる日その日が来ないでほしいとは強く願っていて、願ったところで1分1秒が長くなるわけないのだが、同じ曲を何度も何度も繰り返し聴いてみたり、過去の映像を見て過去に戻るような擬似体験をしてみたり、過ぎたことを過ぎたことと思わないように努めることで、少しでも最後の日が遠のいて感じるようにしていた気がする。
普通、好きなアイドルが、ツアーやリリースなど大きな活動を終えた後は、この活動を終えた後はどんな仕事が来るのか、どんな活動が待ってるのか、次への期待が尽きないものなのに、Wanna Oneは違っていて、新しい活動を待ち遠しく思えば、最後に近づいてしまうような怖さを感じることが多かった。だから、Wanna Oneに未来や明日に対する希望を抱いたことはなく、断然Wanna Oneが作ってきた作品や足跡を噛みしめる時間が私は多かったように思う。
この夢はいつか覚めてしまう、この幸せはずっとは続かない。Wanna Oneの笑顔やパフォーマンスへの満足感や幸福感を感じると付随して、こんな気持ちにもなって、想像もできない最後の日を想像してしまい、その日が過ぎれば全部手放さないといけないのなら、今ここで手放した方がいいかなと思うことなんて毎日だった。
ずっとは続かないと思って過ごす今も悲しければ、いつか来る最後の日も必ず悲しい。そんなの容易に想像がつく。想像しただけでも悲しいのに、本当にその日が来たらどうなってしまうんだろう、自分が想像すらできない感情に耐えられる自信がなかった。
でも、Wanna Oneが見せてくれる世界が、一瞬一瞬が本当にキラキラしていて夢みたいで、逃すことなくガラスの箱に入れて鍵をかけておきたいくらいで、いずれ手放すのなら今手放すのは勿体ない気もしてきて、結局手放すことなんてできなかった。
だから、Wanna Oneのことは本当に大好きだったけれど、好きだっただけで本当になにもできなかった。なにもできなかったどころか悲しくなるからと未来を願えなかったし、最後の日に悲しむ顔が見たくなくて、その日に繋がる明日も来なければいいと思ったくらい、自分勝手で、ファンなんて言えたもんじゃなかったと思う。結局最後まで好きだったのなら、私も覚悟を決めてWanna Oneに関与するべきだったと思う。怖いとか辛いとか、今思えば全然大したことなかったのに。
そうやって、いちファンが勝手に申し訳なさを感じるくらい、Wanna Oneが見せてくれた景色は本当に美しくて尊かった。控えめに言って永遠を願うほどに。
ずっと続いたら、どんなにいいか。唯一それがWanna Oneに対して望んだ未来だったかなと思う。

 

2019年1月27日
何年経っても、何十年経っても何度もこの日にダイヤルを合わせて、Wanna Oneがいた日々を思い出したい。
リメンバー・ミー」という映画を観た。その映画の中では、人が死ぬということには、肉体が死ぬという実存的な死だけでなく、生きている人間の記憶から消えてしまうという本質の死という2つが存在することが描かれていた。それは、記憶から消えない限り、誰かが覚えている限り、生き続けることができるということだ。
実存は本質に先立つと思う。でも、実存は本質に先立つからこそ、実存しなくなってしまうからと、本質まで後を追って消える必要はないはずなのだ。
だからこそ、忘れることは無責任なことだとも思った。過ぎた日には戻れないのと同じように、忘れてしまったものは思い出せない。出会ったからには、別れても忘れないように努めるのが生かされた人の使命だと思った。
Wanna Oneという実存がなくなってしまっても、Wanna Oneがどんなに素敵なグループだったかという本質、魅せられて好きだったという事実まで、消してしまう必要はない。

2019年1月27日は、忘れたくても忘れられない。そんな日になった。悲しいことは分かっていたけれど、解散コンサートは、想像を超える悲しみとそれ以上に残酷さと絶望感があった。
私はてっきり、Wanna Oneのメンバーは、解散を受け入れているものだと思っていた。最後のアルバムリリースもステージの演出が悲しみを誘うようにされていただけで、本人たちは淡々とスケジュールやステージをこなしているように見えたし、そもそもPRODUCE101(以下プデュ)に参加した時から、Wanna Oneが期間限定であるというのは周知の事実であったし、オーディション番組への参加、オーディションに合格してグループとして活動すること、Wanna Oneとして起きたすべての事象が自分自身のステップアップのための階段のひとつとして認識しているものだと思っていたし、そう思っていてほしいと思っていた。
ステージの上で輝く機会を求めていた少年たちがステージに立って注目を浴びてスターになって、そしてそれぞれが自分の夢を追うために、それぞれ次の扉を開けて進んでいく、そういう前向きな気持ちで明日を待ち遠しく感じるようなエンディング。それが良いWanna Oneの終わり方だと勝手に思っていた。ハッピーエンドしかないと思っていたのに、解散コンサートの終わり方は悲しみに焦点が合いすぎていて、途中耐えられないかもと思った。
最後のコンサートは、4日間に渡って開催され、初日から毎日メンバーが泣いたというレポが流れていた。最終日はどんな公演になるのか覚悟はしていた。
私は映画館でライブビューイングを観たが、ステージを見つめる全ての視線が、目の前の現実から逸れているような、ステージ越しに違う何かを見ているような、不思議な感じだった。Wanna Oneの最後の姿を目に焼き付けたいと思うと同時にまだ受け入れたくないような、出来ればこのまま時間が止まればいいようなそんなことを願う気待ちだったと思う。
それはWanna Oneが未来を語って次を向くステージを見せてくれることで、払拭できる感情だったと思うけれど、Wanna Oneがステージで見せたのは必死の抵抗感だった。
最後のステージで良い姿を見せようとダンスのひとつひとつの動きに力を込めるのだけれど、そのたびに自らが傷ついていくような、音楽が進めば進むほど弱っていくように見えた。期間限定と分かって始まったグループだからと、終わりが来ることを受け入れて最後の日を迎えたけれど、最後と実感するとやっぱり嫌だという思い、それが本心だとステージを通して訴えられているようで、でも私にもそれはどうすることもできなくて、ステージの上で人目をはばからず号泣し、Wanna Oneの解散を惜しむような発言を受けて、一体なにが最善でなにがWanna Oneにとっての幸せなのか全然分からなくなってしまった。
好きなアイドルの幸せをいつだって願いたいと思っていた。それがアイドルにとって、ステージの上に立ち続け、ファンの前から消えないことであってほしいと思っている。Wanna Oneのメンバーは、Wanna Oneが解散してもそれぞれの道を歩いてステージに立ち続けたいと願っているのは間違いないと思うし、歩く道がある限り、私たちの前から簡単に消えたりしないとも思う。ただ、今日まであって明日からなくなるものがWanna Oneというグループだ。それが彼らにとってどれだけ大事なものだったのか、最後の最後に私は思い知らされた。
思えば、ステージに立ってスポットライトを浴びることを夢見た少年たちだ。期間限定の活動も承知で手を伸ばすほど、切にデビューを夢見た少年たちだった。同じ夢を持っているという共通点だけで結成され、最初はメンバーそれぞれについていたファンが、Wanna Oneに魅せられグループのファンになり、韓国内に留まらず世界中にファンを作って熱狂を生んだ。グループとして多くのことを成し遂げ、苦楽を共にし、思い出を作ってきたわけだ。この先、こうして集まって何かするということもなくなる喪失感は計り知れないし、それほどまで密に過ごしてきたというのを今更理解した。たかが1年半の活動期間だったけれど、彼らにとっては人生を変えた1年半だし、今後何十年、時が経っても、その時間を突き抜けて光が届いて見えるくらい輝いた思い出になるのだと思うと、誰も望まない終止符の必要性を考えてしまった。

私の中で、それを唯一正当化する理由が「ファンミニョンが戻ったNU'ESTを早く見たい」という気持ちだ。Wanna Oneを知って、ファンミニョンというアイドルを好きになればなるほど、彼が戻ったNU'EST、NU'ESTに戻ったファンミニョンへの期待も高まっていた。Wanna Oneが期間限定ならば、遅かれ早かれNU'ESTとして再びステージに立つミニョンさんには会えるわけで、その日を待ち遠しく思う気持ちが、Wanna Oneの解散を正当化できる唯一の感情だと思っていた。
けれど、当の本人は、ステージの上で涙を流し狼狽えていた。時間の経過についていくことを放棄して、立ち止まりたいという抵抗感を彼なりに表していたように見えた。
それに最後の挨拶で彼の口からでたのは、謝罪の言葉だった。
好きなアイドルグループの解散コンサートで、推しの口から謝罪の言葉を聞いたときのファンの気持ちの模範解答を誰でもいいから教えて欲しかった。謝らないでという気持ちもあったし、その気持ちの真意も憶測だけど分かるような気もした。でも1番はそんな言葉聞きたくなかったという気持ちだった。
男の子は、いつもそうやって最後に謝るよね。その時その時で謝ってくれてたら許せて、こんなことにはならなかったのに、その時は強がって聞こえのいい言葉を放っておいて、手放すことになってから謝るよねって思うことある(誰)。ミニョンさんだけじゃない。他のメンバーも最後の最後に謝ってた。それってすごく未練が残る。ずるい。最後こそ、いい言葉を聞きたいのに、この別れが良い決断だと思わせてほしいのに、Wanna Oneはファン以上に、Wanna Oneを手放したくなかったみたいだ。ファンの未練を残さないように、ファンに希望を与えるためにいい言葉を言う余裕がないほど、必死に抵抗して全力で悲しむ姿が余計に痛々しく思えた。

最後は、1人ずつ挨拶をしてステージから姿を消すという演出だった。まじさー、こんな残酷な演出考えたの誰よ!神経疑うわ!!センスなさすぎる!!って正直に口語で言うとこんな感じの演出で。今は笑い飛ばせるけれど、1人ずつ背中向けてステージから去っていくなんて本当に残酷すぎて、途中から見ていられなくなったし、ただでさえ号泣していたのに、嗚咽まで出て私も映画館も相当カオスだった。
1人ステージから姿を消すたびに残されたメンバーが泣き崩れ、会場から悲鳴が起き、自分の番が来るとステージから離れる一歩を踏み出すのを躊躇ったり、狼狽えて言葉もまともに言えなくなったりする姿もただただ辛かった。好きなアイドルのこんな姿が見たくて解散コンサートを観たわけではないし、最後に見たWanna Oneの姿が悲しみで絶望している姿なんて信じたくなかった。
やりきれない、行き場のない、そんな後味で、無駄にWanna Oneが解散したという現実を突きつけられて帰路についた。こんな最後は予想していなかったけれど、映画館を出てツイッターを開いたら、まず嵐の活動休止のニュースで荒れるTLが飛び込んできて、さらに落ち込んだ。永遠はないって、これ以上ないほど思い知らされたばかりなのに、嵐まで…と、現実の残酷さを恨んだ。自担は体調不良でレギュラーのラジオ番組の生放送を欠席したらしいし。笑い事じゃないが、なんて日だ。
かたや体調不良でラジオに出れない自担、かたや活動休止発表について会見を受ける日本の国民的アイドル、かたや1年半の活動に終止符を打つのを受け入れられず抵抗する推し、かたや愛するWanna Oneを失って悲しみに暮れるファン、どうすることもできない絶望感でいっぱいの私…全て同じ地球の上で同じ時間に起きていることだなんて思えなかった。人の数だけ流れる時間があるのだから当然なのだが、世界中では本当にいろんなことが起きているんだと思う。同じ時に、地球のどこかでは人生で一番嬉しい瞬間を過ごしている人だっているかもしれないし、幸せで眠れない人もいるかもしれない。そんなふうに反する感情で上手く押し合ったり引き合ったりしてるから地球は自転するのかもしれない。
悲しい出来事は出来る限り早急に忘れたいと思って生きてきたけれど、この日の悲しさや絶望感の代わりに嬉しさや幸せがきっと世界のどこかに転がっていると思いたかった。希望もクソもない終わり方だったけれど、そんな終わり方だったからこそ、Wanna Oneはきっと必ずこの悲しみを乗り越えて一層の輝きに変えてくれると信じたいと思った。アイドルを夢見る練習生ではなく、私が出会ったときにはもう、誰がどう見ても立派なアイドルとしてステージに立っていたから。きっとまだ夢の途中なはず。Wanna Oneを思い出して恋しくなって切なくなるのは、私が引き受けるから、Wanna OneにとってWanna Oneはいつまでも眩しくて暖かい春風のような思い出になってくれたらいい。映画館から家に帰る電車に乗ったばかりなのに、もうWanna Oneが恋しかった。

 

きっと最後の日は悲しくて辛いだろうからと、好きにならなきゃよかったと思ったこともたくさんあった。手を引こうと何度も思った。最後の瞬間もこんなに辛いと思わなかった。でも、今となれば、いや、辛いと思いながらも、Wanna Oneを知らずに生きるよりずっとよかったと思う。映画のセリフじゃないけれど。
Wanna Oneというグループはもうなくなってしまったけれど、もし誰かの記憶の中で生き続けているなら伝えたいことがある。
まずは、1年半の活動本当にお疲れ様でしたという労い。最後、あんなふうに別れることになるとは予想もしてなかったけれど、その日を迎えるまでは本当に楽しくて幸せで美しい毎日だった。ただでさえ短い期間の活動だった上に、私がWanna Oneを知ってからの時間は少なかったけど、何年分、何十年分も好きになったような気がするし、一生に一度見れるか見れないかと言えるくらいの素敵な景色を、Wanna Oneはたくさんみせてくれた。
Wanna Oneというグループが世に放った曲、パフォーマンス…閃光のように一瞬だったけど、目が眩むほど眩しかった。時に目を瞑りたくなったこともあるけれど、今目を瞑ったらWanna Oneがいなくなったときに後悔すると思いながら見ていた。もう何を言っているかわからない。とりあえずWanna Oneが大好きだ。絶対に忘れるもんか。
Wanna Oneに出会えたくらい幸運な私だ。Wanna Oneがいなくたってそこそこ幸せには生きていける。Wanna Oneは、ファンの幸せを願ってくれたけど、自分が幸せにするとは一言も言わなかった。だから私も願うことにします。Wanna Oneがそれぞれ幸せでいられるように。
2019年1月27日。Wanna Oneが解散した。
これからWanna Oneというグループが次のページを開くことはないと思うと悲しく切ない。きっとずっと尽きない。いつか、それぞれの道で輝くメンバーを見たとき、あの頃すごかったなあ、大好きだったなと、Wanna Oneのことを笑って話せる日が来るのを願っている。

 

必死の「ごめんね」を 必死の「ありがとう」を
時が経っても決して忘れないように この涙を瞬間冷凍したい
世の中はどうやったって 過去を省みたって
やったことは取り消せないのさ
だから未来に向かって やれることを頑張って
あんなこともあったと笑い合おう
明日が待ってるぜ あなたのことを
(「押忍!こぶし魂」/こぶしファクトリー

 

 

 

 

 

 

続きを読む

好きになったアイドルグループには、残り時間があった

 

8月31日に最終回を迎えた「PRODUCE48」。日本人練習生からはHKT48宮脇咲良ちゃん、矢吹奈子ちゃん、AKB48本田仁美ちゃんの3名がデビューメンバーの12人に選ばれ、IZ*ONEとして、韓国で10月29日にデビューすることが決まった。さらに、IZ*ONEの活動期間中は、当グループの活動に専念することも発表され、3名の48グループメンバーとしての活動休止期間は、2021年4月までの2年半に及ぶということも発表になった。
48グループのファンという目線で「PRODUCE48」を観始めた人間としては、3人にとって2年半の活動休止は、正直長いように感じてしまう。
もともと「PRODUCE48」へ参加するにあたり、デビュー決定後の自グループとしての活動は休止するというのが条件としてあったようで、参加者自身はもちろん、視聴者の私もそれは重々承知の上で観ていたのだが、いざ、IZ*ONEが始動することになり、明確な活動期間が提示され、その活動期間がそのまま3人の48グループとしての活動休止期間となることが突きつけられると、IZ*ONEとしての活動は、2年半後の彼女たちのために本当になるのだろうかという考えも出てきてしまうようになった。HKT48の2人は、直近の選抜総選挙で選抜入りを果たすほど、日本での人気は確固たるものを築いているとはいえど、黄金期の同順位のメンバーの人気や知名度には及んでいないと思うし、グループ自体にも、あの頃ほどの勢いはないように思う。そんな状態での2年半というのは、アイドル人生の中でとてつもなく大きい時間だと思う。
以前、ここで「PRODUCE48」について書いたときはあんなに応援していたくせになんなんだというくらい無責任なことを書いている自覚はある。
もちろん、IZ*ONEの活動を通して経験することは、彼女たち自身にとっては、それはそれは素晴らしい経験になると思う。だからこそ、言葉も分からない環境でたくさん苦労もするだろうから、2年半後は必ず報われて欲しいと思う。幸せになって欲しいと思う。アイドルとしてさらに大きな存在になって欲しいと思う。そう思うと、自グループを離れることに対するリスクもあるよなと考えてしまう。そのリスクを背負ってまで挑戦するからには、挑戦した甲斐があったと思える2年半後が待っていて欲しいと心から思う。


「PRODUCE48」は、韓国のオーディション番組「PRODUCE101」が48グループとコラボした企画であり、「PRODUCE101」シリーズとして通算すると第3弾の企画となる。
第1弾では、2016年にI.O.Iがデビュー、第2弾では、2017年にWanna Oneがデビューしており、2018年のIZ*ONEのデビューで、3年続けて新たなアイドルグループを世に送り出すことになる。
2016年5月にデビューしたI.O.Iも、当初より定められた期間限定での活動であり、2017年1月に既に解散している。在籍していた11人のメンバーは、ソロデビューしたり、それぞれの所属事務所に戻ってグループ活動をしたり、全員がそれぞれK-POP界の第一線で活動している。そう思うと、当企画でデビューするというのは、今後アイドルとして活動する基盤作りにちょうど良く、デビュー後というよりも、デビューし解散した後のことを見据えて挑戦するには各事務所としてもそれぞれのアイドルにとってもありがたい企画なのだろうと思う。
隠れた才能を見つけ出してチャンスを作り、世に送り出し、K-POP界に新たな風を吹かせ、グループが解散した後もその才能が多方面に散り、さらにK-POP界を盛り上げることに繋がっていると考えると、この企画のK-POP界に対する功績は大きいと思う。
だがしかし、いちアイドルファンである私にとってK-POPの発展などぶっちゃけどうでもいい。私が「PRODUCE48」を観ていたのは、デビューという夢に向かって、練習生たちが進む道のりとかける思いに心を動かされたからだし、デビューを掴むまでの道のりを見てきたからこそ、そのデビューがどれだけ切実だったことなのか、そのグループとしての活動がどれだけ尊いことなのかを思い知ったからだ。だから、アイドル1人1人が悔いなく幸せと思える未来を願っていたし、その結果としてグループがひとつ誕生したからには、そのグループの歩みも他人事とは思えないのだ。日本から挑戦する3人にも、他の韓国人メンバー9人にも、間違いなく2年半後は訪れるわけで、そこに彼女たちが夢見る世界が待っていてくれたらいいなと切に願っている。

 

「PRODUCE48」のグループバトル評価で課題曲として使われていた、I.O.Iの「Very Very Very」という曲がとても気に入って、私はYoutubeでI.O.IのMVを観た。動画をたくさん観ている中、関連動画に「ラストコンサート」「解散後のメンバーの活動」という文字が並んでいることに気づいて初めて、既に解散しているということを知った。
「PRODUCE48」の放送が終わって、まもなくI.O.Iが誕生した「PRODUCE101」の再放送が始まり観始めたが、観たところでI.O.Iは既に解散しており、変に思い入れだけが募っても、思いをぶつけたいグループはもうこの世にいないのだと思うと、どうも観る気が起きなくなってしまった。
じゃあ、次はと、「PRODUCE101 Season2」でデビューしたWanna Oneを観始めた。こちらのグループも、「Energetic」という楽曲が「PRODUCE48」の課題曲として使用されたこともあり、入るのは簡単だった。
PRODUCE出身だと知らなかった頃の私のWanna Oneというグループに対するイメージは、「去年デビューしたばかりなのに、なぜか爆発的人気を博するモンスターグループ」。これは、韓国で毎月発表されるブランド評価というライキングで、SEVENTEENは何位かなと、上から1つずつハングルで書かれたグループ名を読んでいき、毎月毎月、1位と2位を防弾少年団Wanna Oneが固めていることに気づいて得たものだ。
Wanna OneがPRODUCE出身のグループだと知って、この人気の高さにも納得が行った。MVを観ているうちに、私が今ハマっている韓国のSEVENTEENというグループとはまた違う良さがあって、すっかり好きになってしまい、貪り食うように動画を見漁った。
このグループもきっと期間限定なのだろうけど、去年デビューしたばかり。IZ*ONEの活動期間が2年半なのだからそれくらいは活動するものだと、すっかりメンバーも全員覚えた。この3連休は全く予定がないということも拍車をかけ、Youtubeで観れるだけの映像を観倒していた。
彼らのことを知っていくうちに、Wanna Oneの活動期間はいつまでなんだろうという疑問は早いうちに解消しておかねばと思い、調べてみた。


Wanna Oneの活動期限は、2018年12月だった。
いつの時代からか、世界では太陽暦が採用され、いつの時代からか、世界でイギリスのグリニッジ天文台を基準に時間が定められてしまったおかげで、現在2018年10月だ。
好きになったグループには、残り時間があった。しかも、その残り時間が多く残っていない。11月にリリースされるアルバムがラストアルバムだと発表されている。
I.O.Iは、私が知ったときには、既に存在すらなくなってしまっていた。IZ*ONEは、これから2年半という長い活動期間が待っている。Wanna Oneは、韓国内で防弾少年団に次ぐ人気を得ているのにも関わらず、あと3ヶ月もなくこの世から存在がなくなろうとしている。その事実に頭が真っ白になった。
「興味を持ったグループは既に解散していた」、「これから応援しようと思うグループが期間限定グループである」ということと、「好きになったグループに残り時間があった」ことは全然違う。しかも残り時間が少ない。そんなことってあるか。
2年半の活動は長いと言ったけど、終わりが見えたら見えたで、何が期間限定だ、覆れそんなの!と思ってしまう。Wanna Oneの活動期間はなぜ1年半しかないんだ。いっそ、Wanna Oneももう解散していてくれていたら、こんなにやるせない気持ちになることもなかっただろう。
2年半は長くて、1年半は短い。いや、きっとWanna Oneが始動するときから観ていたら、想像すらできない1年半後は、遠く長く感じていただろう。始まるときは長さを感じて、過ぎてしまうと短さを感じるなんて時間ってやつは本当に憎い。
残念ながら、PRODUCE出身のアイドルグループのその後に関して前例がI.O.Iしかないため、Wanna One解散後のメンバーの活動もどうなるのか全く見当もつかない。I.O.Iのように解散後もメンバーそれぞれ活動の場があれば、そんなに嬉しいことはないけれど、Wanna Oneというグループがこんなに良いと思う今は、Wanna Oneという形が最善で最高としか思えない。解散するなんて考えたくない。
48グループの活動を休止してIZ*ONEとして活動するのは果たして最善なのかとか言いつつ、こんなことを言うなんて都合がよすぎる。
時間は憎いし、私は本当に都合がいい。


Wanna Oneをもう少し早く知れてたら、とも思うけれど、「PRODUCE48」がなければ、「PRODUCE48」を観なければ、彼らには興味なんて持たなかっただろうし、そもそもSEVENTEENを好きになっていなかったら韓国のアイドルに興味を持つことすらなかっただろう。どう考えても時系列を組み替えて彼らに出会うことはできなかったのだ。
それはそれで受け入れるしかない。

ただ、そもそもなぜ活動期間なんてあるんだ、と考え始めてしまうとやりきれない。
活動期間が決められていることで既にデビューを果たしているもなかなかに伸び悩んでしまっているアイドルが自グループを一旦離れて「PRODUCE101(48)」に参加することができて、練習生に知名度という不公平な要素が出来てしまう。でも番組としては、無名の練習生だけの番組にするよりは、知名度があるデビュー済みのアイドルも参加してくれたほうが視聴率とかデビュー後の諸々で都合がいいのだろうと思う。視聴者にとっても少しくらい知っている人が分かりやすいし投票しやすいだろうとも思う。
でも、I.O.Iがたまたま全員個々に活動できているのであって、この番組でデビューしたからといって解散後まで約束されているわけではない。事務所によっては用が済んだと干されるかもしれないし、Wanna Oneとしての活動で得たファンがそのまま解散後も着いて来てくれるとは限らない。
ただでさえアイドルは3年持てば良いなんて言うK-POP界で、デビュー7年を越せない国民的グループも多いことから「7年目の呪い」なんて言葉も飛び交う世界で、I.O.Iの半年、Wanna Oneの1年半、IZ*ONEの2年半はそれぞれ長い時間だけれど、人間は80年生きる時代だ。日本はもちろん、韓国も平均寿命は80歳を超えている。長い人生から考えたらほんの数年だ。アイドルも人間である以上、死ぬまで人生は続いていく。そのうちのたった数年のために、この企画の参加者は必死になって夢を見て追いかけている。夢を掴んでも、その夢には期限がある。それがそもそも残酷すぎる。言っても仕方のないことなのだけど。
掴んだ夢に期限があると分かっているのに、それでも掴みたいと思う。夢の途中でも、夢の期限が切れたあとの夢を見ながら夢を生きて行く。
私は、アイドルが笑えて幸せで楽しく活動できれば、それ以上のことは望まないのになあ。それすら難しい時代なんだよな。生き残るために、1日でも長くアイドルでいるために、たとえ期限があろうとも全てをかけて挑戦する人がいるんだ。


私はWanna Oneというグループを好きになった。でもWanna Oneには活動期限があった。一緒に年は越せない。I.O.Iのラストコンサートの映像を観た。みんな泣いていた。惜しんでいた。きっとWanna Oneも最後の日、全員悲しむだろう。惜しむだろう。そんなこと、期間限定と知った時から分かっていたはずなんだ。彼らのことを知れば知るほど、最後の日が近づいていく。分かっていても、好きだと思ったきっかけが、要素が残り続ける限り、手を伸ばしてしまう。
いつか幸せを手放さなければいけないと思うと、悲しみは計り知れないけれど、きっとそんな日が訪れることになってもそれ以上にその幸せを手にしていることを幸せだと思うから、こうして限りのある夢に手を伸ばすのだろう。終わりに近づいてしまうとしても足を止めないんだろう。まさに生きるってことじゃないか。Wanna Oneを知らないまま過ぎてしまわなくてよかった。Wanna Oneはなくなってしまっても、Wanna Oneという素敵なグループがあったということは消えないし、きっと忘れない。
今さらWanna Oneを好きになったけど、残り時間が少ないけれど、このままWanna Oneを見続けてみたいと思う。

好きになったグループには残り時間があった。
引き返すなら今のうち、とも思ったけれど、好きになってしまったら、知ってしまったら、もう引き返せない。それに、後出しするけれど、限りあるからこそ輝いて魅力的に見えるというのも確実に言えると思う。
もうすぐ「PRODUCE101 Season2」の再放送が始まる。彼らがWanna Oneになる前の、モンスターグループになる前の、姿をしっかり目に焼き付けたいと思う。(まさに「僕の心の中に保存♡」*1

 

 

 

 

 

 

Wanna Oneの活動期限延長を求める声も上がっているらしい。事務所の契約やスケジュールの関係で、延長出来ても1ヶ月だそうだが、1日でも長くWanna Oneが続くことを望む人がいるなら、それはそれで喜ばしいことだと思う。けれど、私は1ヶ月くらいなら延長しなくてもいいのではと思う気持ちもある。
なぜなら、私のWanna Oneでの推しには、戻る場所があるからだ。
「PRODUCE101」の期間限定活動のシステムのおかげで、既にデビューを経験したアイドルもPRODUCEの門を叩いている。「PRODUCE48」だとAfter Schoolとしてデビュー経験のあるイ・カウンちゃんや、fromis_9として現役で活動していたチャン・ギュリちゃんなどがその例だ。カウンちゃんは、After Schoolが事実上活動休止状態にあるため、再びステージに立つ機会を求めPRODUCE48に挑戦した。ギュリちゃんは、練習生期間なくデビューしたため実力が足りないと感じ、一から勉強したいとの理由で、一時練習生に戻って参加を決めたという。
Wanna Oneにおける私の推しファン・ミニョンさんも、2012年にNU'ESTという5人グループでデビューをしており、グループとしても活動していた。しかし、グループの人気がなかなか振るわず、再起を狙ってグループ5人のうち4人でPRODUCE101に参加したそうだ。PRODUCE101 でデビューし、期間限定グループで活動すれば、自分の所属グループの知名度向上に繋がる、と信じての参加。Season2は未視聴なので、多くは分からないが、ミニョンさん自身は、恐らく他のメンバーとも一緒にデビューしたかったのではないかと思う。
残念ながら、結果としては、NU'ESTからデビューメンバーに選ばれたのはミニョンさんのみで、ミニョンさんは、Wanna Oneとしての活動期間中、NU'ESTとしての活動を停止している状態だ。Wanna Oneは先述のとおりの人気だ。
デビューの叶わなかった3人はというと、グループに戻り、現在ミニョンさん以外の4人でNU'EST Wとして活動している。PRODUCE効果で、NU'ESTはデビュー6年目にして初の1位を獲得したとか、売り上げが350倍増えたとか、正真正銘の再起に成功。
ここで、私は思ってしまった。「ミニョンさん、早く戻りたくならないのかな」と。もともと、グループ再起のために参加したPRODUCE、グループが再起したので、あとはミニョンさんがWanna Oneの活動を無事に終えるだけという不思議な状態になってしまっているのがすごくむず痒いのだ。
「PRODUCE48」に参加したふたりは残念ながら、IZ*ONEとしてデビューすることは出来なかったが、ミニョンさんは、デビュー出来てしまった。Wanna Oneにミニョンさんがいなければ、私の中でNU'ESTは、SEVENTEENの事務所の先輩という情報のみで終了していただろうから、ミニョンさんは、十分NU'ESTの入口になれているとは思うのだが、早くNU'ESTに戻ったミニョンさんを見たい、5人揃ったNU'ESTを見たいという気持ちも大きくなってきた。だから、むやみに延長されてWanna Oneから離れられなくなってしまって戻りにくくなってしまうのは避けたいとか思ってしまう。
でも、Wanna Oneのミニョンさんもとってもとっても素敵なんだよな〜。NU'ESTのメンバーよりかなり年の差のあるWanna Oneメンバーとの絡みも見ていたいし、という気持ちもある。Wanna OneWanna Oneで、とてもいいから。でもNU'ESTのミニョンさんも見てみないとなあ。ミニョンさんが必要とされるアイドルすぎて誇らしいな。
あれ、ただの推し自慢になってる笑
一番は、NU'ESTとSEVENTEENが同じ事務所なので、そこが積極的に絡むところが見たい。もっというとNU'ESTの推しミニョンさんと、SEVENTEENの推しジョシュアの絡みとかとても見たい。(そこかよ)
Wanna Oneは他の事務所と契約しているので、今ミニョンさんはPREDISの人じゃないんだよねたぶん。早くPREDISの人に戻ってほしい。
PREDISという事務所は、本当に、男女共に、ビジュアルがよく、歌もダンスもうまくスタイルもよく、人柄もいいという人材が揃っているし、代表のハン・ソンス氏は、「PRODUCE48」でメインプロデューサーとして秋元康と名前を並べて、IZ*ONEのデビューアルバムにも携わるほど猛威を奮っているし、SEVENTEENはあの人気っぷりだし、ここ10年くらいでとても勢いをつけている事務所なのだが、NU'EST、After Schoolと、とにかく素晴らしいグループと人材をとにかく干す運営力のなさには問題がありそうなので、これからの動向で真価が問われそうではあるが、韓国三大事務所の背中ひっ捕まえるぞ!って勢いはある事務所だと思うので、っていうか、たぶんそれもこれもNU'ESTとSEVENTEENにかかっていて、それが楽しみなので、何卒よろしくお願いします!
でもでもでも、Wanna OneがなくなるのはもったないないからWanna One全員兼任すればいいのに!たまにWanna Oneやってくれたらいいのに!ドリームモーニング娘。的な感じで。という超個人的希望。(長々書いて結局こんな締めかよ)

*1:Wanna Oneパク・ジフンくんの生み出した流行語?

SEVENTEENのコンサートに行ってよかった

この幸せな思い出ひとつあれば、軽く100年は幸せに生きていけそう。そう思える出来事だった。

カラオケで何を入れたらいいかわからないなと思ったとき、いつも入れてしまう曲が、プリンセスプリンセスの「Diamonds」だ。その曲の「プレゼントの山 埋もれもがいても まだ死ぬわけにいかない」という歌詞がとても好きだ。
「死ぬわけにはいかない」という言葉に「生きる」という言葉を超える生命力を感じる。
同じ理由で、AKB48の「ハイテンション」という曲の「ミサイルが飛んで 世界が終わっても 最後の一瞬もハッピーエンド」という歌詞も大好きだ。「死ぬ」とか「世界が終わる」という言葉自体は、積極的に使うのが躊躇われる言葉だが、使い方によってこんなにも力強く前向きなイメージに聞こえるから不思議だ。


私生活で、昨年度末あたりから死にたいと思う瞬間が増えた。今思えば、当時なにがそんなに辛かったのか、嫌だったのか、悩みの種があまりに小さ過ぎて恥ずかしいくらいなのだが、その時はとにかく憂鬱な今日から逃れたい一心で、今日会社に行かなくて済む方法はないか毎朝毎朝考えていたら、「家の階段から落ちて骨折したら…」「この(交通量のあまり多くない)道で赤信号を無視してみれば…」「駅のホームから飛び込んでみれば…」と、どんどんエスカレートしてしまった。
それまで、自殺のニュースを見るたびに、「なにも死ななくてもいいじゃん!」と思っていたが、死という道を選んでしまう人の気持ちがすごくよくわかった。怪我や病気程度じゃ治ったらまた会社に行かなきゃいけない。しかも、迷惑かけてすみませんでしたと謝って、休んでた分取り返すように働かなきゃいけない、働けなくてもそう思っている気持ちだけは見せなければいけない。なら、死んだ方がマシかも、死んだ方が楽かも、って。そうしたら、あ、それいいな!名案だな!死のう死のう!今辛いこととか悩んでいることから全部解放されるとか最高じゃん!って、本気で同調するんですよ自分の頭が。そういう時ばかり、考えてる通りに身体が動こうとするみたいで、本当に線路の淵に一歩近づいてこのまま踏み出すのが怖くもなんともないと思えたのだ。

何が言いたいかと言うと、死というのは、いい意味でも悪い意味でも物凄いエネルギーを持っているということだ。自分が心から死にたいと思って、死に最接近したとき、物凄い力で吸い込まれそうになるのだ。駅のホームから電車に飛び込もうかなと思った時も、すごく前向きな気持ちが勝って、恐怖心が全くなかった。
しかし、なぜ私が電車に飛び込まずに生きているかというと、せっかく命を犠牲にして死ぬのなら、惜しい人材をなくした、仕事が回らないと、会社の人たちに思いっきり迷惑をかけまくるくらい仕事ができるようになってからじゃないとな、と思ったのと(一体なんの恨みが笑)、死に最接近して、一番に思い浮かんだのが嫌で嫌で仕方ないはずの会社の人たちの顔だったのがすごく悔しかったからだ。
死ぬときは、大好きな人たちや愛しい人たちの顔を思い出しながら、最高に楽しかったと思いながら死にたいじゃんか。嫌なところから逃げられる代わりに大好きな人たちのことを思うことができなくなるのは悲しい。
生きていれば、この先幸せに思えることが起こるかもしれない可能性を、死ぬことで捨てるのなら、これまで生きてきた人生くらいは、自分で全肯定したい、幸せだったと思えるものにしたい。そういう気持ちになった。
埋もれもがいていたのはプレゼントの山じゃないけれど、プレゼントの山じゃないからこそ、私はまだ死ぬわけにはいかない。そう思った。


埋もれもがいてもまだ死ねないと思う「プレゼントの山」は、よっぽど魅力的なもの、もっと欲しいもののメタファーだと思う。私にとっては、そのひとつがアイドルだと思う。
コンサートは何度行ってもまた行きたくなるし、テレビや雑誌で笑顔が見れれば、ドラマや映画や舞台で活躍していれば、とにかく元気がもらえるし、うん、元気になれる。そして楽しい。毎日頑張っている分、壁にぶつかるし嫌なことだってあるけれど、そんなものを簡単に吹き飛ばしてくれる。だから頑張れるし、だからもっともっとと欲しくなる。

年が明けてから、私はSEVENTEENという韓国のアイドルグループに大ハマりしたのだが、実際に、深刻な死にたい期に、毎朝、「目を開けて起きたら会社に行かなければいけない」と布団と中で葛藤していたのに、いつのまにか、「でも通勤時間にSEVENTEENの曲を聴ける」と思えて、そう思ったら、とりあえず、身仕度をして家を出ることができた。そうして駅に着く頃には飛び込みたいな☆と思うのだが、好きなグループの曲を聴く、そんな簡単なことが私の生きる目的になっていたし、彼らの曲や存在のお陰で、どれだけ救われたか分からない。
現実逃避かもしれないけれど、アイドルを摂取することが私が私を死に近づけない唯一の方法だった。まさにプレゼントをたくさん欲しがる子どものように、YouTubeの動画を漁り切ったらAbema TV、無料動画を観切ったら、DVD、CD、WOWOW、スカパーと有料コンテンツにも手を出して、そうしていくうちに「いつかSEVENTEENのコンサートに行ってみたいな」とか「彼らのホームである韓国に一度行ってみたいな」なんていう小さな夢ができ、それを叶えたいからまだ死ぬわけにはいかないと、死なない理由みたいなものができた。

そして、念願のSEVENTEENのコンサートに行った。
SEVENTEENのコンサートは、過去のコンサートすべて映像で観たけれど、どうしてもカメラに収められた部分しか観ることができない。SEVENTEENはHey!Say!JUMPよりもさらに大所帯なので、カメラに収まらない魅力がきっといっぱいあるはずだと、行く前から楽しみだった。実際に行ってみたら、本当に楽しくて幸せな気持ちになれた。帰り道、この幸せな思い出があれば、この先幸せだと思えることがひとつもなくたって、この思い出を思い出せば、死ぬまで幸せに生きられそうだと思った。
今ここで死んでしまったとしても、幸せな人生だったと、人生に何の悔いも残さず死ねる、そう思えるくらい幸せだった。

今ここで死ねると思えるくらい幸せなことは、また明日から頑張れるという気持ちを超越した生命力だと思う。今ここで死ねたら本望だと心から思えるということの幸福度。あれだけ憂鬱だった日曜日夕方に心に重いものがひとつもないということ。少し前の私と今の私、死にたいという言葉を真逆の意味で使っている。とにかく私はまだ死にたくないし、でも今死んでもいいと思えるくらい幸せであることは間違いない。それがどれだけ恵まれていることか、凄いことなのか、私は思い知った。


人生は意味において不可解だとしても
味わいにおいては泣きたくなるような美味しさ
                                  畑にて/谷川俊太郎


ダイヤモンドほど価値のある人生なんかじゃない。騙し騙しでおんなじようなことを何度も何度も繰り返すかもしれない。でも、泣きたくなるくらい胸がいっぱいになったり、出会えてよかったとか生きててよかったなんて、人生でそう簡単に口にしないような感情にさせてくれるからアイドルはすごい。
SEVENTEENのコンサートに行ってよかった、SEVENTEENに出会えてよかった!


詳しいコンサートはまた!
そしてこれからJUMPコンじゃああああああ!!!!

 

 

King&Prince、強すぎる

キンプリの1stコンサートに行ってきた。キンプリど強え(言葉遣い)。なんだあいつら。聞いてない。えらい強い。余韻に浸る?いや、ズタボロ状態にも程がある。やられまくった。戦ってきたの?って感じ。King&Prine、強すぎる。

まず、言わずもがな、デビュー曲「シンデレラガール」が最強。これがデビュー曲なのまじで強い。なにこの神曲。好きじゃんこんなの。頭から最後まで歌詞がよすぎるじゃん。メロディーがよすぎるじゃん。世界観が出来上がってるじゃん。ここから始まってずっと歌い続ける曲なわけでしょ。キラキラした未来しかないって分かるよ。はい、強いー。
そして顔面がきれい。ソロパート移り変わるごとにモニターに抜かれる顔がとんでもなくきれい。いついかなるときももれなくみんなきれい。6人の並んだ画も個々の画も、美しいがすぎる。モニターから目を外して実物見ると顔だけじゃなくてスタイルというか身体つきまで美しいじゃん。感心する。どんな遺伝子の集まりだ。強い。
そしてみんな歌が上手い。これは私がナメてたのも大いにあると思うけど、みんな歌えるのびびった。かわいい曲だけじゃなくカッコいい曲も伸びやかな曲もこなすじゃん。ラップも全員こなすじゃん。鳥肌。1stコンサートでしょ?なんでこんな歌えるの?強すぎる、、、、、、
そしてみんなキャラ濃い。個性がもう立ってる。誰とも少しも被ってないし、試行錯誤のJr.時代をきちんと過ごしてきたからこそ、キャラがちゃんと定まってる。チームワークとは違う、なんというか、ぶつかりあってもないし譲り合ってもないし、別の方向向いてるわけでもないし、デビューしたばっかのグループなのにブレてないし、まだ若いなのに、擦れてないというか。6人それぞれ良さがあって、それが平等に見え隠れするのすごい。それがもう出来上がってるのすごい。強い。
あと、歌だけじゃなくダンスも上手い。
私、まじで、サマステだっけ?&じゃなくてVSの時代の彼らすらアップデートしきれてないまま2018年にワープしてしまったので、伊達にJr.期間積んでたわけじゃないなー、しっかりやってたんだなーと思った。神宮寺とかJr.になったばっかの頃、ほんと下手くそだったよ!れんれんもなにきん時代、身体の線が細すぎてふにゃふにゃしてたのに!そしてもともと踊れる子たちもガシガシ踊ってるし、強いなーって。
あと、MC上手い。全部れんれんが回収してまとめてくれてるけど、ボケも凄まじいし、テンポがいいし、何度も言うけど1stコンサートなのに、MCで大爆笑取れるのほんとすごい。岸くんと平野がずば抜けて面白すぎる。思い出すだけで笑える。顔良くて歌もダンスも上手くて、MCでも笑わせてくれるって最強では?


あーもう強い、とにかく強いなあ、キンプリ。わかっちゃいたけど、わかってた以上に強い。もうなに言ってるのかわかんない。とにかくめちゃくちゃ楽しかった。キンプリがすごいのは知ってたけど、魅了されたって言葉がぴったり。感動。
そして、エモい。
バックもれあたんとか本高とかエモいがすぎる。
そして、セクサマのJr.の振りをまだ踊れた私、エモい。
5年くらい前はその振り、セクゾのバックでじぐいわとかが踊ってたんだよなー、それが今は自分たちがメインでバックで踊られてて、そのバックに当時セクバ一味で一緒にやってた子たちがいるってエモすぎる。
あの頃、こんな風にデビューするなんて誰が想像できた?個人的に神宮寺は絶対デビューすると思ってたけど、岩橋の人気とか一時的なものだと思ったよ心から。
それが、岩橋はMyojoのJr.大賞で、あの、名誉ある「恋人にしたいJr.」で1位になってるし、神宮寺は姿勢がよくなってダンスが上手くなってるし、れんれんが不変のビジュアルを手に入れてるし、岸くんは舞台人になって表現力身につけてるし、海人くんと平野という逸材組み込まれてるし、最強ってこうやって作るんだ〜!ってなんか納得してしまうやつ(笑)

今回、2公演入って、最初の公演では、ファンマナーめちゃくちゃいいな!10年経ってもカオスなJUMPファンなんなの!?って思ったけど、2部入ったらそうでもなかったな。元気だった。あと、思ったよりファン層低くなくて、なんなら同世代くらいのお姉様方もたくさんいて良かった。10代前半の子たちに囲まれて公開処刑になるかと思ったからよかった。と、これは余談。


あとは、もう感じたままに書きます。

かいちゃんこの世のものとは思えない。髪色がよく似合ってる。顔が整いすぎててアンドロイド、もしくは山下智久。故に強い。なのに、喋るとめっちゃかわいい、踊るとかっこいい、故に強い。
神宮寺、万能すぎ。いや、昔から出来る子だった。けど、やはり出来すぎる子だ。かつて、同僚のJr.(言い方笑)に「職業チャラ男」と言われていたほどのキャラ立ち、ちゃんと覚えてっから。「チャラぐうじ」な!そして今も「国民的彼氏」って抜群のキャラ。強い。そして知らないうちにボーカリストとしても頭角を現してた。強化。言うまでもなくビジュは素晴らしく良い。良いところは全然変わってないけど、伸びてほしかったところは成長してる。強い。私、キンプリでは神宮寺担なる。決めた。
れんれん歌上手い。声甘い。イケメンなのに、こんな人当たりよくて雰囲気柔らかくて気が回る良い子どうやったら育つの?親御さんのお話をぜひ聞いてみたい。トーク回すの上手で頼りになる。関西弁ズルい。ビジュ整いすぎて、男の子に言う言葉じゃないけど、お人形さんだった。強い。イケメンなのに、「至極真っ当」って言葉がよく似合う優等生な印象。強い。小さい頃から顔も声も変わらない、ビジュも変わらないという奇跡。強い。
平野が歌もダンスも上手いの知りすぎてて、今回あんま強さ感じなかったけど(笑)、最後の挨拶かっこよすぎた。「みんながかわいくきれいになる分、誇りに思ってもらえる男になる」とか、かっこよすぎか。この人ぶっ飛んでるところもあるけど、まじで天才。狙ってないんでしょ?計算じゃないんでしょ?出てくる言葉、出てくる表情、全部素なんでしょ?一体全体、強すぎませんか?
岸くんは勢いが強い。ダンスが強い。キャラが強い。表情が強い。キラメキが強い。とっても眩しい。そして岸担の声援が強い。岸くんの思考回路、全アイドルに標準搭載してほしいくらいアイドル。好きにならない人とかいる?強い。コンサートで味わう気持ちを表現する言葉が見つかるまで一緒にいてくださいって素敵だった〜。岸くんは素敵。いじられたりかっこ悪いところもたまーにあるけど素敵。ずっと素敵だったし、これからもずっと素敵なんだろうなあ。強い。
岩橋はやっぱかわいい。かわいいは正義、強い。に尽きる。どこで覚えたそんなのって技を繰り出し続ける。強い。羊の皮被った狼だった、強い。


キンプリはデビュー1年目にして、どこをどう切り取っても刺さるというか、すでにどの組み合わせも売り物として成り立っている(言い方)のがすごい。どの組み合わせも推せるし、いろんな組み合わせを1年目の段階から試してるの可能性しかないし、厨を生み出すから熱狂度は高まるんじゃないかと思う。よく出来てるわー。強い。今この完成度で、これからどんどん強くなっていくんだと思うともうどうなってしまうのか想像もできない。とにかく総合評価が高いグループだよなあ。ジャニーズ全グループを得点化したとしたら、キンプリは、一番後輩グループだけど総合点一番高いんじゃない?個人部門では、上位食い込んでくるの今はまだ平野くらいだろうけど、そんなのも時間と機会が伴えば勝手についてくるだろうと思うし。って楽観的すぎるかな?笑 でもかなり脅威だなって。すごい子たちが出てきたなって思えるし、まだまだすごい子たちがいるんだろうなって思える、そんな可能性しかない素晴らしいグループだなって思います。

コンサート自体は、知らない曲ばっかりだったけど、覚えやすい振りとかキャッチーなメロディっていうオーソドックスさもありつつ、素材が素晴らしいからなにをやってもハイクオリティでとっても楽しかった。
あとなんと言っても、コンサートが始まって、一番初めのメンバー登場、あそこ天下一品!そこがピークに発狂したけど、あの登場の仕方で見事におとぎ話の世界に誘われた。DVD出たら絶対買って全ジャニヲタに見せたい。キンプリだからこそできる登場の仕方というか、考えた人がとにかく天才すぎる。

キンプリ、とにかく強かったー!楽しかった!
次の活動、活躍もとても楽しみです!!

 

夜更かししてPRODUCE48を観ている

PRODUCE48にハマっている。
毎週金曜の放送がとにかく楽しみだ。
もともと、このプロジェクトの動きはなんとなく知っていたけれど、韓国のアイドルと日本のアイドルというのはあまりにも毛色が違いすぎて、企画がきちんと成り立つのか、韓国のケーブルテレビ局の番組なんて、韓国勢に偏った出来レースなのでは?もっというと、実力主義の韓国人練習生と互角に戦える日本人アイドルがいるのか?という疑問ばかりで、全くそそられなかった。

ところがだ。ふとツイッターを見ていたら「PRODUCE48でHKT48矢吹奈子ちゃんが1位になった」との文字。なんだって!?日本人が1位!?なこみくだったら断然奈子派だし、かわいいなと思ってたけど、そんなことある!?と、YouTubeで動画を観てしまった。さらに、偶然全く別の動機でスカパーを契約したことで、放送が観れるようになってしまった。もう、25になるおばさんは、未来ある少女たちの輝きに吸い込まれて、葛藤に感情移入している。


PRODUCE48はいいよ。
まずシステムがいい。
グループバトル評価、第1回全体評価、ポジション評価、第2回全体評価、コンセプト評価(ここまでが放送済み)、、、、など、参加者は常に評価され、順位付けされる。評価方法は、100%視聴者投票による。視聴者投票は、可愛ければ、前回の放送でスポットを当てて取り上げられれば、順位が上がるという単純明快さもありながら、パーフォマンスが良ければ票が集まり、印象に残らなければ相対的に低い順位になるというシビアさもある。
さらに、ベネフィットというシステムも良い。グループバトル、ポジション、コンセプト、各評価ごとにベネフィット得票数が決められており、1位になるとベネフィットが与えられる。
ポジション評価を例に挙げると、個人順位で1位になるとベネフィット15万票獲得できることになり、脱落圏にいた練習生が大逆転して生き残り次のステージにいけるという順位変動を起こせる。ポジション評価では、練習生がボーカル&ラップポジションかダンスポジションどちらかを選んで、さらに好きな課題曲を選び、個人個人がそれぞれのポジション1位(ベネフィット15万票)を目指すと共に、チーム内で1位になるともらえるベネフィット5万票獲得するため、センター、メイン争いが勃発。もちろんみんながやりたい曲ができるわけではない。チーム分けも順位の低い参加者から好きなチームを選び、希望が重複し定員を超えてしまったら順位の低い人が押し出されるという残酷なシステムなのだ。どれだけ歌が上手くてダンスが上手くても、票数を稼いで順位を上げなければ、自分の魅力をアピールできそうな曲に挑戦することさえできない。
1位になったチーム全員にベネフィットが入るような評価のときは、「自分は脱落圏だからベネフィットを取るためにセンターをやりたいけれど、チームでもらえるベネフィットを考えると順位が上の人にセンターをやってもらって票数を集めた方がいいのかもしれない」という葛藤が生まれる。チームで話し合って決めたセンターでも、トレーナーによるレッスンで容赦ない酷評を受けることがあり、センターに見合う実力がなければセンターの座を譲らなければならないこともある。
ベネフィットを求めるギャンブルでもあり、生き残りをかけたサバイバルでもある。そこに若い少女たちの夢や希望、涙が詰まってくると、涙なしでは見られない。
このシステム、このプロジェクトの大元である「PRODUCE101」という韓国のオーディション番組のシステムらしいが、視聴者的にはめっちゃ面白いシステムだと思う。当事者の子たちにとってはあまりにも残酷すぎるだろうけど。

PRODUCE48がいい次の理由、それが日韓合同プロジェクトなことである。
参加者は韓国の芸能事務所に所属する練習生と日本の48Gのメンバー。最初は言葉の壁、育ってきた環境の違いでぎこちなかった参加者たちだが、このプロジェクト中、共同生活で寝食を共にするというのもあり、いつのまにか「違い」を超えて仲良くなっているのである。
その友情が、またサバイバルを複雑にしていて、回り回って投票数にも繋がることもあるから怖い。
全体順位発表で脱落が決まったメンバーと生き残ったメンバーとの最後の別れは分かっていても涙が出る。それもこれも、チームで同じ曲に挑戦し、朝から晩まで練習をしてきたという時間から生まれるものだ。視聴者としても、「このチームみんな生き残ってほしい」とか「このメンバーでデビューできればいいのに」と思ってしまうが、そうはいかない。最初は96人から始まったこのプロジェクトも第3回の全体順位発表を終え20人にまで絞られた。最終的にデビューを勝ち取るのは12人だ。みんな一緒に残ることはできない。自分が残りたいと思えば、明日隣の仲間は順位を下げるかもしれないし、あの子が認められれば自分がダメかもしれない。それでも、目の前の課題曲にチーム全員で向き合う姿に心を打たれてしまうし、その先に完成したパフォーマンスがあると思うと尊いなあと思う。

PRODUCE48は、公演スタイルで、チームで練習してきた成果は、ライブ会場で現場にいる観客の前で披露し、その場で投票が行われる。この映像はyoutubeのMnet公式チャンネルからも見ることができるので見てほしいが、ステージセット・衣装・会場の大きさ・楽曲・パフォーマンス、すべてが本格的で一流のもので揃えられていて、公演は華やかすぎるほど華やかで、視聴者も見惚れてしまうし、練習生にも夢を見させてくれる。それがただの夢で終わってしまうか、夢に近づくのか、ステージ上で準備してきたものすべてを出し切った先でしか分からない。だからこそ、美しいし儚いし面白いし目が離せないなあと思いながら見ている。


「人気の48G、実力の韓国」という人がいたり、番組で取り上げられ方の差を指摘したり、実際会場に来たファンに偏りはないのか、事務所の力の強さや思惑などなど、冷静な声を耳にすることもあるが、当の本人たちは、至って真剣なのである。頑張ればデビューできる、それだけを信じて辛いことにも苦しいことにも立ち向かっている。
彼女たちを見ていると、月並みな表現だけれど、夢があるというのは、こんなにも人を強くするのだなあと思う。番組で詳しく取り上げられていない子たちにもそれぞれこのプロジェクト参加にかける思いがあって、夢があると思うと、一つも蔑ろにしてはいけないし、その力に視聴者の存在がなるなら、冷たい声より温かい声をかけてあげたい。

韓国人練習生たちはもちろん韓国でも無名な存在だし、48Gのメンバーたちも、毎年のAKB選抜総選挙で、上位で名前を呼ばれるようなメンバーたちでは正直ない。私もこれを見るまで知らなかった子たちがほとんどだ。だからこそ、彼女たちにとって、このPRODUCE48で得たものはこれからの糧に絶対なるし、誰がデビューメンバーになっても嬉しいし応援したいと思う。

私は、歌が上手かったり、ダンスが上手だったり、いわゆる「スキルのある」アイドルに強く魅力を感じるタイプだけれど、それはアイドルとして必要不可欠だとは思っていない。むしろ「なんでこの子はこんなに上手いんだろう」と想像するのが好きだし、だんだん上手くなる過程も含めてアイドルなんじゃないかと思う。スキルがあることを実力と定義されることが多いけれど、アイドルの場合、実力の定義はもっと広いと思う。韓国のアイドルは、日本のアイドルより歌とダンスに関してより本格的な教育を受けていて、スキルに関してストイックだろうけれど、今回PRODUCE48を見て、スキルがあるからと言って生き残れるわけではなかったし、彼女たちもそれを分かっている様子なのが印象的だった。きっとキャラクターや表現力、票を集める言葉や魅力、必要だと思わせる何かが必要なんだと彼女たちは分かっていて、それは普段の練習では得られるものではないんじゃないかと思う。全く違う環境で生きる日韓のアイドルたちが関わったからこその産物だと私は思っている。
昨日、第3回の全体順位発表で30人から20人に絞られて10人の練習生が脱落した。中には、個人的に好きだった練習生が何人もいて、今までで一番寂しくて悲しい回になってしまった。今回脱落した10人だけでなく、今回までに脱落してしまった全ての参加者は、生き残った参加者と比べて、劣っていたわけでも足りなかったわけでもダメだったわけでもない。それは伝わってほしいと思うし、ここでデビューすることが全てでは絶対にない。この場所から彼女たちを失ってしまった無念さは、ずっと残るだろう。でも、きっとよりよい形で、輝ける場所がきっとあるはずだし、そんな時がきっと来ると思う。
アイドルになれば幸せになれるとは限らないから、幸せを願えば願うほど、デビューのために泣いたり苦しんだりする姿でさえ心が痛いけれど、アイドルになりたいという夢を持ち続けてそんな日々に幸せを感じ続けて、またどこかで会えたらいいと思う。
これから生き残ったメンバーからもさらに脱落者が出ることになってしまうが、夢を叶える瞬間を見せてほしいと思う。
投票権もないくせにどんな目線で言っているのか、わからなくなってきたけれど、PRODUCE48はいいよ。
12人のメンバーでどんな風にデビューして活動するのかわからないけれど、デビューしてからこのグループのことを知った人にぜひ温かい声を掛けて欲しくて、温かい目で見て欲しいと思っている。
思惑や戦略のないアイドルはいないけれど、何かしらの利益のために生まれるものかもしれないけれど、物語のないアイドルはいないし、気持ちのないアイドルはいないと思うんだ。どっかの芸能人のように私も願う。「アイドル」「48グループ」「K-POP」を好きになってほしいとは言わない。マイナスな思い込み、レッテル、偏見が少しでもなくなれば、誰かの目線が「意外といいじゃん」に変わるきっかけにどこかのアイドルがなってほしいなと思う。